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第12話

華やかな合唱コンクールを終え、学校は再びいつもの慌ただしさへ――。

主人公が「非日常」の達成感を胸に抱いたまま、静かに“日常”へ帰還する様が描かれる。行事の熱気が過ぎ去ったあとに残るのは、工事で姿を変える渡り廊下や相変わらずの空席、そして変わらず差し込む夕陽。かつて痛みの象徴だった風景が、少しずつ穏やかな愛着へと変わりつつあることを示す場面。合唱で得た一体感とクラスメイトの何気ない優しさが、失われた存在を「悲しみだけではないもの」へ昇華させ、主人公が未来を見つめるための静かな後押しとなっていく。

 合唱コンクールが終わって数日後、学校はいつもの平穏を取り戻していた。華やかな行事がひと段落すると、次に待っているのはテストや部活の試合など、いつも通りの忙しさだ。クラスメイトたちは合唱コンクールの話題を「いやー、楽しかったね」で済ませ、また新たな目標に向けて動き始めている。


 ぼくも日常に戻りつつあった。朝のホームルームで担任の先生が連絡事項を話す間、あの空席が視界に入っても動揺はしない。昼休みに最上階の踊り場へ行く回数も減った。でも、それは「彼女を忘れた」わけではない。むしろ、心の中で彼女の存在を自然に感じつつ、「今」の自分を生きている感覚だった。


 放課後、久しぶりに渡り廊下の裏手を通ってみた。そこはもう工事の関係で一部フェンスが張られている。彼女と探検した想い出のある踊り場や古い備品置き場は立ち入り禁止になっていた。時間の流れは容赦なく、ぼくらの思い出の場所をも変えていく。そう思うと、少し切ない。


 けれど、同時に校舎の窓ガラス越しに見える景色は変わらないようにも感じる。校庭では野球部がノック練習に励み、体育館ではバスケ部のシューズが床を鳴らしている。図書室の窓からは夕陽が差し込み、あの最上階の踊り場にも、変わらぬ光が注いでいるはずだ。新しく工事される場所もあれば、変わらない風景もある――それが学校という世界なのだろう。


 「もし、彼女が今でもここにいたら、どんなふうに笑っていたかな」


 そんな想像をすることも、今は苦痛ではない。むしろ、心の奥底で温かく広がるような感覚がある。合唱コンクールでクラスメイトと声を合わせたとき、確かにぼくは「新しい喜び」を知った。喪失を背負いながら、それでも前へ進んでいいのだと気づけた瞬間だった。


 その帰り道、偶然にもクラスメイトと鉢合わせする。向こうも部活帰りらしく、汗をかいてゼーゼーと息を切らしていたが、「一緒に帰ろう」と声をかけてくれる。最近はこうして何気なく誘ってくれる人が増えた気がする。ぼくが少しずつ心を開いているのを、周囲が敏感に感じ取っているのかもしれない。


 校門を出ると、空は淡い夕焼け色に染まっていた。友人とくだらない話をしながら笑い合い、そのまま駅前のコンビニで立ち読みをする。彼女がいない世界で、こんな日常をこなせている自分に驚くこともあるが、同時に「それでいいんだ」と受け入れ始めている。彼女が望んでいたのは、きっとぼくが笑って過ごすことだと思うからだ。


 翌週、ホームルームの時間に、担任の先生が合唱コンクールの表彰について話し始めた。結果として、ぼくらのクラスは特別賞を逃したが、「最も盛り上がったクラス」として運営サイドから特別に小さな盾をもらったらしい。先生がそれを誇らしげに掲げ、「誇っていいぞ。みんな頑張ったからだ!」と笑う。クラスのみんなも拍手を送り、ちょっとしたお祭りムードに包まれた。


 そのとき、背後の空席をふと感じた。もし彼女がいたら、この瞬間にどんな顔をしていたかな。きっと、「やったじゃん!」と嬉しそうに笑ってくれただろう。その想像が胸を締めつけるけれど、同時にあたたかな愛しさも込み上げる。彼女の存在はもう、ぼくにとって「痛みだけ」じゃないんだと実感できる瞬間だった。


 HR(ホームルーム)が終わったあと、先生が小声で「おまえ、最近いい顔してるな」と言ってきた。どこかで、ぼくが立ち直る過程を見守っていてくれたのかもしれない。返す言葉が見つからず、ただ「ありがとうございます」と頭を下げた。すると先生は「ま、彼女(あいつ)もきっと喜んでるだろ」とぽつりと漏らす。ぼくはその言葉に救われるような気がして、自然と目が潤んでしまった。


 放課後、いつものようにクラスメイトと談笑しながら教室を出て、下駄箱へ向かう。校舎を出る直前、思わず振り返って教室を覗くと、あの空席は薄暗い光の中に沈んでいた。明日になれば、また当たり前のように空席はそこにあるだろう。だけど、ぼくはもうそれを憎んだり嘆いたりはしない。むしろ、「そこにいてもいいんだよ」と思えるようになった。


 昇降口を出たとき、校庭から吹いてくる風が頬を撫でる。遠くで誰かがボールを蹴る音が聞こえ、グラウンドには夕陽が差している。彼女がいない世界はやっぱり寂しい。けれど、音や光は満ち溢れていて、ぼくはその中を歩き続けている。


 いつかもっと未来に進んで、卒業し、大人になって、それでもあの空席や彼女の声を忘れないまま生きていくのだろう。喪失は終わりじゃない。そんな考えが、心の中でやわらかな確信に変わりつつある。ぼくは小さく笑って、友人と一緒に校門を出る。


 空を見上げると、オレンジから紺色へ移り変わる微妙な時間帯。街灯がちらほら点灯し始め、通学路には学生や会社員が行き交っている。彼女の姿はもうどこにもないけれど、ぼくが想い続ける限り、彼女はきっとずっと一緒にいてくれる。そう信じながら、これからも学校の日常を重ねていくのだ――。

合唱コンクールの余韻を胸に、主人公は“彼女”の不在を抱えたままでも歩いていける自分に気づきました。空席はもう嘆きの対象ではなく、思い出を宿す場所としてそっと受け入れられる。先生や友人の言葉、夕焼けの光、グラウンドから届く音――日常に散らばる小さな温もりが、彼を「生きていてよかった」と思わせてくれます。

過去を忘れるのではなく、共に連れて未来へ進む。その確信が柔らかく芽生えた今、物語は“喪失は終わりではなく、続いていく日常の一部になる”という静かな希望を残して幕を下ろします。たとえ彼女の姿がもう見えなくても、想いがある限り、二人の時間はこれからも主人公の中で息づき続ける――そんな余韻を、あなたの胸にもそっと灯せていたら幸いです。

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