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第8話 「伊勢先生の、元カレ」

 北方先生の家を辞して、シャッターの前。


 昼の盛りを迎えてかアスファルトは焼け付くような暑さになっている。さっそく軽に乗り込もうとする伊勢に、俺は声を掛けた。


「しかし、北方先生ほんと変わらないな。陽キャっていうかなんていうか」


「…………」


 彼女は応えもせず、車の扉を閉めてしまう。


 まあ、急に変な仕事を振られたからといって仲良く会話をするような俺たちではないか。取りあえず酔い覚ましがてらタバコに火を付けると、運転席の窓がすっと開いた。


「ちょっと。何してんの? タバコなんか消して、早く乗れし」


「……。なんで?」


「色々打ち合わせしないといけないでしょ。あと、松尾には色々言いたいことがあるんだから」


「あ、そうですか」


 俺は火の付いたタバコを携帯灰皿に突っ込んで、助手席の扉を開けた。


 *


「松尾が探偵だったなんて聞いてないんだけど」


 さっそく大きな通りに走り出して、伊勢はそんなことを言い出した。走りやすい道を選んでいるのか、左は畑作地帯、右は住宅地の外縁といった風景。車の通りは殆ど無いが、伊勢はあくまでも安全運転で左の車線をのろのろと走らせている。


「だから、正確に言えば探偵じゃなくて調査員。もっと正確に言えば、今は調査員ですらないんだっての」


「さっきも聞いたけど、それ何!? 結局今の松尾は何者なわけ?」


「今は、……小さい雑誌社の派遣事務……?」


 別に事務仕事をやっているわけじゃないんだが、流れで収まった今の身分はそれ以外に説明のしようがない。


「意味がよく分からないんですけど」


「実のところ、俺もよく分かってない。……そうそう。こうやって説明するのが面倒だから、俺の話はしたくなかったんだ。この話、もう良いだろ」


「ふんっ」伊勢は首を捻ってこきりと関節を鳴らした。「良かったじゃない。松尾にとっては役得な展開でしょ。北方先生から大金を貰った上に、正式につきもんを探す口実ができたんだから」


「なんで不機嫌そうに言うかな」


「……事実でしょ。人のこと利用して。ほんっとはんかくさい……」


「勘違いするな。この金は着手金って言う調査の手数料のようなものだし、お前が使う金でもある。それに、月本の調査は多分しない。というか、できないと思う」


「……何で。あんた、今でもあの子のこと好きなんじゃん」


「調査に時間が掛かりすぎるだろ。五年で転校した彼女についちゃ、連絡帳も役に立たないし、後回しにせざるを得ないから」俺は、鼻から溜息を吐いて続けた。「――あとな、別に今も月本に恋してるわけじゃない。単純に仲良かったし、ちょっと最近の様子を見てみたかっただけ」


「ふーん」


 伊勢は右手で窓を開くと、そのまま右肘を開いた窓枠に乗せた。彼女の髪の毛が、外に流れる風を孕んで揺れる。少なくともクーラーの冷風より生暖かい筈なんだが、何故だか彼女は涼しげに見えた。


 そんな彼女の綺麗な顔に、突然険が走る。


「あの子たちったら――もう……!」


 何かと思って前方に目を向けると、三人のちびっ子が自転車で車道を横断しているではないか。


 幾ら車の通りが無いとはいえ、大人の目から見ればちょっと心配だな、という光景だ。


「コラァァーッ!!」


 窓から顔を出した伊勢が、大人の俺が仰天するような声量で絶叫する。


 怒られた子供たちの方がショックが浅いようなのは、普段から伊勢に怒られ馴れているからだろうか。「やばい! エビセン!」「車乗ってる! バラバラに逃げろ!」「もっくん家で集合!」と、驚くべき速度で意思を伝達すると三方向に逃げていくではないか。


 彼らを捕まえる術もなく、伊勢は一旦車を路肩に止めて外に出た。さっきの怒号でまだ心臓がドキドキしている俺も、一旦外の空気を吸いに出る。


「あの子たち、月曜日に説教してやるわ! この間学校で注意したばかりなのに!」


「……エビって、本当に小学校の先生なんだなあ。ああ、驚いた……。それにしても、なんだってあの子たちはあんなに危ない運転を……?」


「あれよ。あのオモチャ」


 伊勢の視線を追うと、夏直前の青空の中にぽつんとおかしな黒点がある。眼鏡を掛けてよく見てみると、どうやらそれは浮遊する機械――ラジコンというより、あれは……


「ドローンか? 誰か空撮でもしてるのかな?」


「眼鏡」


「あん?」


 突如、伊勢が流れに沿わない言葉を呟く。彼女の方を向くと、さっきまでの勢いはどこへやら、何故か俺の顔をぽかんと見つめているではないか。


「眼鏡掛けてる」


「……んっ!? 俺のこと!?」


「松尾、目悪いの? いつも掛けてないのに」


「……大学で落ちた。日常生活に支障はないけど、仕事で差し支える程度にな。だから、こうして眼鏡を持ち歩いてるの」


 まだ伊勢の視線が俺の顔に留まっているので、いたたまれず眼鏡を胸ポケットにしまう。すると、興味を失ったように再び運転席に乗り込んだ。俺も続いて、助手席に戻る。


「ふーん。眼鏡、ねえ」


 ハンドルを握りもせず、腕を組んで唸った。


「なんだよ。また似合わないしキモいとか言いたいわけですか。伊勢先生は」


「は? そんなこと言わないし。むしろ、そんな被害妄想してんのがキモい」


「……はあ……」


 いい加減、伊勢に罵倒されるのも疲れてきた。こいつときたら、二言目にはキモいだの三言目にははんかくさいだのと、日頃の業務にストレスがあるのか知らないが俺をサンドバッグにするにも程がある。


「――縁なしにすればいいのに――」


「……お前は一々文句を言わないと気が済まないのか!?」


「べつに文句じゃないし」シートベルトを締めて、開き直るように言った。「これはアドバイスよ。彼女が欲しいんなら、私の意見に従った方が良いと思うね!」


「あー、ばっかばかしい。……ところで、さっきのは?」


「最近、学校の近くでオモチャを飛ばしている人がいるらしいのよね。なんか子供の盗撮している?……って、訴えている保護者の方もいて。詳しい先生によるとその心配はないって言うんだけど、児童は児童であのオモチャを追っかけて操縦している人の居場所を突き止めようとやっきなの。私は、あれが落っこちてきたら危ないから止めさせようとしてるんだけど」


「……警察案件だな。居住地の上を飛ばすには国の許可が必要な筈だ」


「まあ、そうらしいんだけどさ。他の先生が操縦している人が児童だったら、警察沙汰っていうのはあんまりでしょ? ってことで大沙汰にするの消極的なのよね。もう少し様子見ないと」


「小学校の先生ってのは考えることが多くて大変だな」そこで、俺はさっき子供たちが言っていた言葉を思い出した。「――エビセンだっけ?」


 再びハンドルを掴んだ彼女の肩が、溜息と共に沈む。


「……はあぁ。また変なあだ名を……」


「伊勢理恵先生、伊勢エリ先生、伊勢エビ先生、エビセン……ふっ」


「進化の系譜を辿るなっ。次そう呼んだら撲つからね。ほんとに」


 *


 山間の道を十五分ほど走って喫茶店に到着した。


 ちなみに、助手席に乗り込んでから喫茶店の駐車場に停車するまで俺の意思は一切聴かれていないし反映されていない。


 逆にこっちからすれば、行き先も告げずに何故これ程ドライブを……? というところだが、道民の感覚からすればこれくらいの移動は電車で一駅ってところなんだろう。


 まあ、良いんだけどさ。


 駐車場にドカンと建っている看板には、よく知るチェーン店の名前が書かれている。都内ではまず狭くて混み合っている、という印象が先に立つ店構えだった筈だけど、郊外では家族客も騒げる準ファミレスって感じなのかな。


 実際店内に入ると、俺たちの他には家族客が一組、高校生のカップルが一組、一人客が二名と都内の混みようからすれば信じられない開放感である。


 ……で、何故か店内のカウンターに見覚えのある人間が立っていた。他人の空似かと思って名札をよく見ると、


「いらさませ~――あっ」


 かやもり、と平仮名で書いてある。俺の顔を見るなり、ぴっと人差し指を突きつける。


「伊勢先生の、元カレ」

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