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第82話 「それにしても……同年代の人って、皆ああなのかしらね」

 ……四十分も経つ頃には、俺はエレベーターホールに設えられた受付に立っていていた。次から次へとエレベーターから出てくる同窓生の名前を尋ね、名簿に一々チェックを付けて、名札を渡し、参加費を徴収していた。


 既に北方先生は邸宅からここまで送迎している。今はホールのテーブル席で元教え子を相手に談笑しているところだろう。


 また、エレベーターから人が出てきた。今度は女性二人組だ。背の高い女と、背が低く少しおどおどしている女。確かに、昔同じクラスにこんな二人がいたような気はする。で、彼女たちは受付の前に立つなり、俺の胸の名札を見て仰天したらしい。……何度目だ。


「えっ!? えっ!? まっちゃん!? 松尾君!?」と、まず背の高い女が大声を挙げて俺の立っている受付に歩いてきた。


「ああ。どうも」


「エヴァのカジさんみたい……」今度は背の低い女が感動に打ち震えたように言う。


「え、えば……かじ?」


「それ思った!! マジでカジじゃん! あはははっ!」


 よく分からないが、誰かに似ていると言われているようだ。バンドグループか何かだろうか。


「取りあえず、この名簿の自分の名前にチェックして貰えるかな。それと、これ名札だから。自分の取ってって」


「は〜い!」


 二人は、何かこちゃこちゃと話をしながら会場ホールの方へ向かった。あれも久しぶりに会った同士なんだろうか。


 正直、俺はあの女二人の名前なんて分からない。


 というか、受付を通っていく人間の殆どの名前が分からない。彼らが名簿に記したチェックの横の名前を見て、ああ、そうなんだと思うのみである。せいぜいシングルマザーの鈴木さんと、小樽でバーテンダーをやってる小畑と久しぶりに挨拶を交わした程度のもんだ。


 大体、俺の交友関係だってそれほど広いわけじゃないし。


 仲が良かったのがけいちゃんと月本くらいで、世話になったのが委員長、嫌いだったのが伊勢なんだから、まあ、この会で俺が味わう懐かしさみたいなものは大分薄れてしまっているんだよな。


「まっちゃん」ホールの方から委員長がやってきた。「受付変わるわ」


「別に良いよ。会場で話してれば」


 すると、委員長は俺の言うことなんて全く意に介さずに隣の空いている椅子にどかりと座り込んだ。この距離になって驚いたのだが、ほんのりと甘く、良い匂いがした。タバコを吸う人間が香水とは珍しい。


「ああ、これタバコバニラ」


 俺が尋ねる前に、委員長が袖を引っ張って言う。


「前は香水なんて付けてなかったよな」


「タバコの匂い嫌がるから……けいちゃんがね」


 彼女がバツが悪そうな顔をしているのは気のせいではないと思う。そういえば、今日は前のような色つきの眼鏡ではなくシンプルなフレームの透明なレンズだ。彼女なりにTPOを考えているということか。


「委員長、けいちゃんと仲が良いのか」


「まあ、そんな感じ?」こめかみを、黒いネイルで掻きながら認めた。「別に付き合ってるわけじゃないんだけどさ。普通に、仲の良い友達って感じよ。話合うし、……なんか、落ち着くって言うか」


「……なるほどね」


「いや――別に、変な意味じゃないから」


「分かってるって」


 委員長が、陰険な顔で名簿をぺらりと手に取る。


「で、こいつらが、私の同窓会企画をぶっ潰した馬鹿共ってわけ」


 ……忘れてた。委員長はこのクラスの連中を恨んでいるんだった。だからさっきから喫煙所に籠もっていて、会場に行かずに受付にやってきたのか。


「ま、まあ、それは良いじゃないか。水に流せとは言わないけどさ……」


「心配しなくても、会場でやかましく言うつもりはないから。そんなことしたらわやでしょ。北方先生もいるしね」


「そうしてくれると助かるね」


「それにしても……同年代の人って、皆ああなのかしらね」


「ああって?」


「何だか、若いというか。キャピキャピしているじゃない。若干ついていけないし……まっちゃんもそうなんでしょう」


 俺は頷いた。


 特に同窓生に対してどうという感情も持っていなかったが、そう言われると、確かにそうだと感じる。――若い、か。同い年の筈なんだが。


 まあ、俺は最近色々あって、仕事はクビになって、将来は暗くて、ある少女の家庭を崩壊させたわけだから暗い気分であるのは確かだ。諸手を挙げてはしゃいだりする気分には流石になれない。


 俺が伊勢に引け目を感じ続けているのは、背中の傷のせいだろうか? きっと果たせない夏の約束? 同級生は、全員が立派な仕事に就いているわけじゃないが、立派に仕事をしている連中しかいないじゃないか。ダッシュボードの金を貰ったから? 俺は――


 果たして、間に合うのか。


 三十歳までに、彼女に釣り合う男になれるのか。


 ……と、そういうことばかり考えてちゃ心も老け込むってもんだ。


 *


 伊勢たちが抑えたホールは、確かに俺たちが同窓会を開くにはぴったりな空間だった。収容人数は三十人らしいが、今日の人数はそれにギリギリ足らない程度で人口密度に不快感はない。入り口から入って正面には大きなスクリーンがあり、その前に円卓がパラパラと並んでいる。そして、各テーブルにはコースの料理が届いてくるというわけだ。


 開会の挨拶は、伊勢が務めた。


 マイクを持って、正面のスクリーンの前に立って喋るわけなのだが、正直彼女のスピーチは殆ど頭に入らなかった。綺麗な格好をした彼女が、綺麗な会場で堂々と振る舞っていると、どうしたって他の女性より綺麗だな、と思ってしまう。その突飛な認知が、俺の中でただただ不思議だったのだ。


 ……いや、実際、伊勢ほど綺麗な人はこの会場にいるのだろうか。……いるよな。普通に。いるはずなんだけど、こんなことを考えてしまうということは、俺はいよいよ末期か。


 ところが挨拶を終えた後の伊勢の周りに、様々な男が行ったり来たりするのがやけに目に付いた。中にはずっと粘り強く立ったまま酒を飲み続ける男も、俺より立派な仕事をしている男も、年収がよほど高い男もそこにいた。そこには――彼女の周りには確かに、脂ぎった男の欲望みたいなものが渦巻いていた。


 様々な職業、様々な目的の人間が行き交う会場の中で、俺は一人で黙々と酒を飲んでいる。……正確には、俺に絡む人間はいた。さっき受付で絡んできた二人組の女だ。名札も読み直したが、視線を外す度にやっぱり名前を忘れてしまう。


 中央の席に座っている北方先生に目を移すと、非常に楽しそうに酒で顔を赤らめていた。


 ……まあ、伊勢も楽しそうだし。


 それならそれで良いんじゃないか? という気がした。


 どうやら俺には、他人を幸せにするという能力がないようだ。だったら、これで良い。俺は他人が勝手に幸せになる光景を、ただ眺めるだけで良いんじゃないか。


 伊勢は俺がくるみちゃんの不登校を改善させたと言うけど、それだって……不確かなもんだろ。


 女二人を振り切って喫煙所に向かった。


 煙は、甘く重たく胸に落ちた。


 喫煙所の利用者は俺以外にはいない。最近の人間はあまりタバコを吸わないらしい。そんなに世の中生きやすいとは、とても思えないのだが。


 ……ところが、半分程まで吸ったところで喫煙所の扉を開く人間がいた。


 けいちゃんだった。

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