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第81話 「こんなに立派なホテルでやるのかよ」

 久しぶりに伊勢の家にお邪魔した。部屋の様子は、夏の頃と大して変わらなかった。ただ一つ、リビングのソファの前に灯油ストーブがあるくらいか。きっと仕事部屋の方には電気式のヒーターでも置いてあるんだろう。そういえば、北海道ではエアコンで冬の寒さを凌ぐ文化はないんだったな。


 いつの間にやら、同窓会まであと二時間半という具合だ。のんびり札幌を遊び歩いたような記憶はないが、経過した時間から考えるにそういうことになるんだろう。


「やばっ。もうこんな時間」


 家に上がるなり、伊勢はぱたぱたと小走りで風呂の方に向かう。


「まだ二時間以上もあるじゃん」


 俺の方は、これ以上準備するべきことは特にない。ソファに座り込んで、ストーブを点けた。つんとした、暖かい灯油の匂いが広がる。


「言ってなかったっけ?」と、浴室で何やらガチャガチャ物を漁りながら答えてくる。「会場の準備とかー、受付の準備とかで-、一時間前には一回会場に行くのー」


「あ、そう」


 会場をホテルの宴会場にするとか言っていたけど、そこら辺はホテル側が色々調整してくれるもんじゃないのか。……金をケチったのだろうか。


「それに、北方先生を迎えに行かないと!」


「なるほど」


「松尾も行くんだからねー」


「……」


 まあ、そうなるか。……そうなるのか? 幹事仕事の連絡のグループに俺が含まれているから、というだけの理由で頭数に入れられている気がする。仕事を引き受けたつもりは一切ないんだが――ま、暇だしな。


 ドライヤーや、ヘアアイロンらしきものを胸に抱えた伊勢がリビングに戻ってきた。


「松尾も行くんだからね!」


「分かったよ」


「じゃあ、私の支度が済むまでちょっとゆっくりしててよ」


「言われなくてもそうしてる」


 俺はさっき買ったジャケットをソファの背に掛けて、テレビを点けた。


「冷蔵庫に飲み物入ってるから」彼女はそう言い置いて、仕事部屋の扉をパタリと閉める。


 それから、彼女の支度というのがエラく時間が掛かった。しばらくの間ドライヤーの音が響いていたが、やがて静まり、黙々とヘアメイクや着替え、化粧に取り組んでいたらしい。再びリビングで顔を合わせるまでに、俺はNetflixで最近話題のドラマの一話と半分までを見たのだった。


 *


「はい。おまたせ」


「おう」


 振り返って驚いた。伊勢が、とても綺麗な格好をしていたからだ。上下黒の、カジュアルなドレスだ。パーティードレスと言えば良いんだろうか。そもそも、スカートを履いた伊勢、という時点で珍しいというのに。髪の毛も、なんだか妙に艶々していて毛先がよく纏まっているようだ。耳には小さなシルバーがキラリと光っている。


「どう?」


「なんか凄い気がする。なんか、……なんか、綺麗な気がする」


「――小学生みたいな語彙力じゃん」


「それ、もしかしてピアスか?」


 尋ねると、伊勢は目の前で耳のアクセサリーを簡単に外して見せた。ちょっと照れくさそうだ。


「ただのイヤークリップだし。小学校の先生が穴開けるのはちょっとね」


「いやーくり……それは、ピアスなのか?」


「だからイヤークリップだっつの。というか」左腕の小さな腕時計の文字盤を指で叩く。「もう時間! 早く会場に行くよ!」


「そうだな。……ちょっとまった」


 何故だろうか。俺は、誰かにせっつかれて家を出ようとすると必ずと言っても良いほどトイレがしたくなるのだ。


「なに!?」


 既に玄関に向かっている伊勢が声を挙げて聞き返す。


「トイレがしたい」


「……早くしてよ」


「悪い。でかい方だ」


「……言わなくていいから!! もー!」


 伊勢はぷりぷりと怒りながら、玄関を出て行ってしまった。


 *


 会場として抑えたホテルは、駅から西の方にそびえる山に立った結構立派なホテルだった。寂れた旅館をイメージしていた俺からすれば、結構衝撃的だ。


「こんなに立派なホテルでやるのかよ」


 市内からは車で十分ほどで、駅とエスコンフィールドから直通のシャトルバスが出ているらしい。今日は、エスコンからやってくる連中もそれなりにいるそうだ。


 掃除の行き届いたロビーを抜けて会場のある階まではエレベーターで行く。


「というか、市内で使えそうなホテルの会場がここくらいしかなかったんだよね。今はエスコンもシーズンじゃないし、これでも結構安く借りられたの。会場も、小さくて手頃なやつがあるし」


「……ちょっと広めの居酒屋、ってあたりをイメージしていたんだけどな」


「北方先生が来るっていうのに、そんなところ選んだら失礼でしょ。それに、今日はあちこちからわざわざ北広島に帰ってくる、っていう人の方が多いんだから。これくらいはね」


 エレベーターを三階で降りる。伊勢の言う小規模な会場が幾つかと、大きなメインホールが入っているフロアだ。そして、エレベーターホールからは既にホテル周辺の山景色を見渡せる窓がある。葉を落とした木々は黒々と集まって、雪原に突き刺さっているように見えた。遠くの方は雪煙で白くぼやけている。若干日が傾いているので、既に白と黒の世界に緋色が差していた。


 なるほど、中々立派なもんだ。同窓会が始まる頃には、この窓が映すのは全くの闇になっているだろう。残念だ。


「ここ、夜になったらライトアップするんだって。冬の間は」


 俺の胸中を察したわけじゃないだろうが、隣に立っていた伊勢がそんなことを言う。


「そうか」


「まあ……あんまり、期待してないけどね」と、これは小声で、悪戯っぽく言う。


 そこに、「おおい」と声が掛かった。見ると、突き当たりの廊下突き当たりの扉からけいちゃんが頭を出している。格好は俺と似たり寄ったりで、シンプルな色合いの半分正装ってところか。ただし、無残な程に汗をかいている。俺の顔に目を留めて、「お! お! まっちゃあん!」と、びしょ濡れの顔をほころばせた。


「久しぶり、けいちゃん。……どうした? その汗」


「それが、なんか、映像が流れないっつってさあ!」


「えっ!!」


 伊勢がとても驚いている。なんだかよく分からないが、彼らにとっては緊急事態なんだろう。


「なんか、ホテルの機器と? 動画の形式が相性悪いみたいな? それか、ハードウェアの問題とか?」


「頑張れよ。けいちゃん、技術系Youtuberなんだろ」


「Youtuberでも、機材トラブルは無理!」と、大手を振って叫ぶ。黒目がぐるんと回った。そして、「あー、どうすっかなー……拡張子を変更して……」とぶつぶつ言いながらまた突き当たりの部屋に戻っていく。


 俺と伊勢も、ゆっくり後を追った。


「……で、映像って、あれか」


「ほぁ?」


「昔の、小学校のアルバムなんかをスライドショーにして流して、スクリーンに投影したりするわけか」


「そりゃそうでしょ」


 俺はもう辟易してしまった。


「……で、あれか……。BGMは、俺たちが小学校の頃流行ったJPOPなんかを流すわけですか」


「……そうだけど、なに」


 俺は完全にうんざりしてしまった。大体、他人の結婚式のスライドショーでも毎度うんざりさせられるのだ。


 ――と、ホールに向かう途中に綺麗な喫煙室があるじゃないか。幅広な吸煙テーブルを中央に設えたロの時の小部屋だ。中には既に一人先客がいる。委員長だった。彼女は伊勢ほどドレッシーじゃなくて、白いタートルネックに灰色のテーラードジャケットとカジュアル寄りな格好。それでも、細かい部分は普段より綺麗な気がする。うつろな目でぼんやりタバコの煙を眺めていた。


 俺と眼を合わせて、おっ、と手を挙げる。俺もそのような素振りをした。久しぶりの挨拶はたったそれだけで済んだ。


 ま、こんなもんだろう。


 騒がしい夜が始まりつつあった。

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