第80話 「俺ほど碌でもない男は中々いないと思うけど」
久しぶりの実家で、久しぶりにゆっくりと時間を過ごした。
……って、入院中にも結構ゆっくりとは過ごしていたんだが。なんというか、傷を癒やすためではなく、心を癒やすために過ごせた気がする。
別に特別なことをしたわけじゃない。父、母とほんの近所にある焼き肉屋に行った。別に有名でも特別美味しいというわけでもなく、近いからという理由で昔から行っていたところだ。俺も親も昔ほどに食べることはなかったが、その代わり会話の時間が増えた。そして、じっくりと風呂に入り、リビングで父と一杯の酒を交わし、深く酔わないうちにベッドに入った。
十二時を回らないうちに寝た。やることが無かったからだ。
*
翌朝起きると、自覚できるくらいに体調が良かった。
未だに怪我の痛みは最早霧散している。それとは関係なくて、近頃は常に寝不足、二日酔いが朝には押してたんで、中々健康体という状態は得がたいものであった。
なるほど、やることがない、というのも悪いことばかりではないらしい。
実家のリビングでローカルニュース番組を眺めながらパンを食べていたら、そういえば今日は伊勢と北広島に戻る約束をしていたことを思い出した。……戻るってか。
しかし、時間は決めてなかったな。多分同窓会は夜からになるだろうけど、それまではどうやって時間を潰そう。
実家から札幌――つまり、札幌駅まではそう遠い距離ではない(北海道のスケールでは)。最寄りの駅まで三十分ほど歩かなければならないくらいだが、札幌に行ったとして時間を潰すアテもない。だけど、だからこそ家を出ようと思った。雪に覆われた地元を歩く、なんて機会も考えてもみれば久しぶりだったからだ。
いざ外に出てみれば、過酷ではない寒さだった。
……まあ、寒いことは寒いんだが、コートを着れば何でもない、というところか。これで例えば水気を含んだ雪が降っていたり、強風が吹いていたり、それらが合わさった吹雪であったりなんかすると過酷、ということになる。厄介なことに、北海道ではそういった日に出歩く用事があることが少なくない。視界は殆どが銀色に輝いていた。
吞気に雪を踏み潰しながら石狩街道沿いを札幌に向かって歩いていると、伊勢からコールが来る。かじかんだ手を振って、スマホをタップした。
「はい。どうした」
「今日はどうしよっか? 今何してる?」
「こっちは特に用事ないよ。今は石狩街道沿いを歩いているけど」
「あ、そう。じゃあこれから迎えに行くから」
「え? ああ、そう」
こんな時間に迎えに来られてもやることがない気がするんだが。まあ、こちらとしては車が使えるからありがたい……かな。
なんと言ってもここは北海道。徒歩で町と町を移動するなんて東京的な価値観が通用しないことは、夏の間に身に染みている。
*
石狩街道は北海道の左肩(?)を縦に通貫する広く、長い国道である。基本的に日本海を横に望む道なのだが、実は終端が三十四条辺りになっているので、あれこれ考えなくても南方向にひたすら歩けば札幌に向かっていることになるわけだ。
勿論、ここは北海道なので、この道を一時間程度歩いただけで町に至るわけではないんだが。
それでも何となく歩いていると、様々な発見があって面白い道ではある。傍を通る川に見慣れない橋が新設されていたり、見慣れた店が見慣れない店になっていたり。そんな感じで散歩していると、中央分離帯を挟んだ車線に伊勢の軽が見えたので立ち止まった。すぐにUターンして、俺の横に停まる。
「あれ。なんか顔色良いんじゃない?」
と、乗り込むなり言われた。
「昨日は健康的な時間に寝られたんだよな。……というか、こんな時間に合流してどうする?」
「どうするも何も。松尾、まさかそんな格好で同窓会に行くつもり?」
「えっ」
俺は自分の服装をチェックした。柄物のシャツに、父親から借りたミリタリーコート。それにジーンズという格好だ。
「変か? これ。……確かにちぐはぐな感じはするけど。っていうか、伊勢だって」
今日の彼女は素っ気ない化粧に、なんだか妙にてらてらした乳白色のジャケット。ダサいとは思わないが、特に洒落ているとも思えないような出で立ちである。
「私は、私の家で着替えるし」
「……なるほど」
「どうせそっちはそれしかないんでしょ。服」
「ない……な」
どうして俺は、一々服を現地調達しているんだろう?
こういう所で結構無駄遣いしている気がする。甲斐から受け継いだ無頼の性質が根強いのかもしれない。
「だと思った。どっか買いに行こうよ。そんなんじゃ恥かくし」
「そうかあ? 同窓会って、そんなフォーマルじゃないだろ。……たしか、しみったれたホテルの宴会場だろ?」
すると、伊勢はあからさまに顔を顰めた。
「そういうことじゃなくて、ダサいって言ってんの」
「……。そうかあ?」
一体何が悪いんだろう。シャツは勿論柄がある方が良いに決まってるし、ミリタリーコートとジーンズの愛称も悪くないと思うんだが。伊勢が運転しながら、素早く俺の服装を二度見やった。「ふっ」と鼻で笑われる。いささかムッとした。
「大体地方の人って東京に染まって洒落るっていうけどさ、実際はそんなこともないんだ」
「オイ。どういう意味だ」
「な〜んでもない! きゃはははっ!」
そういえば、夏に同じような流れで彼女とスーツを買いに行ったっけ。
もしかして、俺はちょっとダサいのだろうか? いやいや、まさか。こっちは都民だぞ。
……あ、もうすぐ道民になるのか。
*
服のチョイスは、完全に伊勢に任せた。俺は元都民なのでダサいわけがないのだが、服というものにそれほど興味がないからだ。結果的に、俺の服装は大体モノトーンで構成されるシンプルな服装になってしまう。
俺としては、柄物を外すセンスが解せない。つまらないじゃないか。――が、まあ、これが女性のセンスというのなら唾を飲み込むくらいの度量はある。
札幌から北広島への道中で、札幌に戻ってからずっと伊勢の世話になっているということに、はたと気がついた。移動は大体運転して貰っているし、金も都合を付けて貰ったし、こうして服を選んで貰っている。我ながら、こんな男が存在することが信じられない思いだった。
一体、何なんだ。俺は。
「……なあ、お前、俺に幻滅しただろ」
「またその話?」
「俺ほど碌でもない男は中々いないと思うけど」
「松尾、くるみちゃんを見つけてくれたじゃない」
「あ? ああ」
「あの出来事があってからね、くるみちゃんはちゃんと学校に登校するようになったの」
「……」じわりと胸が温かくなったが、いや、それはまやかしだと冷静になる。「俺のやったことは関係なくないか、それ。あの時は伊勢と棚橋さんがちゃんと大人の役割を全うしたんじゃないか」
「そう? 私は違うと思う。あのとき、松尾が本気でくるみちゃんを探さなかったら、きっと今もくるみちゃんは不登校だったと思う。……ほら、あの子猫がいたでしょう? 結局あの子はくるみちゃんの家で飼うことになったの。あまり懐かないんだけど、親子で頑張ってお世話して、可愛がってるんだってさ」
「へえ」
「だから、松尾のお陰じゃん?」
どこがだよ。猫のお陰だろ。
……だけど、伊勢は心の底から俺がくるみちゃんの不登校を改善させたものだと信じきっているらしい。彼女の俺に対する尊敬は、素直に嬉しかった。
懐かしの伊勢の家宅が見えてきて、ふと背中の傷の具合が気になった。
例えば彼女が俺の背中を流そうとするとき、きっと彼女は怖がるだろうな、と少し暗い気持ちになる。
……そうか、傷跡が残ると、こういうときに一々暗い気持ちになるのか。
傷跡が残るということは、親しい人間に負い目や、申し訳ない気持ちを抱かせるということなのか。
初めての気づきだった。




