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第79話 「クリスマス……」

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 事務所近くの喫茶店にもまあまあ人が入っていた。普段俺や誉美が入るようなチャキチャキのところじゃなくて、季節のケーキがおすすめされていて、クリームソーダの項目に「おすすめ!」というシールが入っているような店だ。そういえば、事務所のビル一階のラーメン屋も混んでたな。


 あっ、年末か。と、気付いた。


 正確に言えば、年末が近い。


 月刊ヨミみたいに非常に繁忙する人間もいれば、生徒や学生のように休みに入って冬の札幌を朝から出歩いている連中がいるんだろう。社会人だって、有休を使って休みに入ってる人もいるか。


 そう気付けば、札幌の街はちょっとしたお祭り的な空気感に包まれている。


 今日は二十五日。クリスマス当日じゃないか。俺はクリスマスイブに札幌にやってきたのか。だったら深夜でも飛行機のチケットを取れたのは幸運だったかも。


 札幌市のどこにもそんな権威はないのだが、日本のクリスマスの本場は我々の地にこそ有り、というような自負がある気がする。そりゃ東京に雪は降らないんでこっちの方が冬、って感じはあるけどな。


「……で、話ってのは?」


 若い連中に挟まるようにしてテーブル席に腰を落ち着けると、さっそく誉美が喋り出す。誉美の背後に座っている女子高生が、顰めた顔をこちらに向けた。すぐ顔を背ける。


 若干居心地の悪さを感じつつも、俺はシンプルにクビを宣告されたことを説明した。我ながら小さい人間だと思うが、心証を気にして自分のしでかしたことは喋らなかった。


 だが、誉美は全く動じない。腕を組んだまま、じっと目を瞑って俺の話を聞いていた。


「それで、以前社長に、働き口なら面倒みてやるって言われたこと思い出したんですよね」


「…………」


「憶えてますかね。ほら、俺の送別会の帰りに」


「…………」


 誉美は、じっと目を瞑ったまま何も言わない。思えば彼がそんな台詞を吐いたのは随分前だし、滅茶苦茶に酔っ払っていたタイミングだ。


 忙しい時に不躾だったかな、と思ったら――


「ガアアアア」と、目の前の誉美の鼻からとんでもない大きさの鼾が飛び出た。


 ……寝てる……。


 首がガクンと後ろに折れて、背後の女子高生はいよいよギョッとしたらしい。


「ちょっと。社長。社長ってば」


「がッ――。何だ? どうした」


 まるでずっと起きていたかのように取り澄まして言うので、思わず笑いそうになった。だが、一応真面目な話をしているつもりなので、咳払いをしてごまかす。


「ですから、仕事の口を面倒見てくれるって話……あれ、まだ有効ですか?」


「俺、そんな約束したっけか」


「…………」


「冗談だ。憶えてる憶えてる。まさか本気で頼ってくるとは思っちゃいなかったがな」


「はい」


「ま、色々あったわけだ。お前も」


「……はい」


「しかしお前。難しいもんだぞ、仕事の口を探すってのは」


 今気がついたが、既に甲斐から俺のしでかしたことを聞いているかもしれない。だとすれば、誉美が俺をあしらおうとするのも予想できたはずだ。何でこんなことに俺は思い至らなかったんだろう。


 俺も、色々必死だったからだろう。焦って、視野が狭くなっていたんだろう。


「言っておくが、俺の紹介する仕事はそれほどマトモじゃないぞ」


「元々マトモな仕事はしてませんから」


「それもそうだな。取りあえず、今すぐ紹介できる優良な口はないけど、夏みたいにウチに籍を置けば良いさ。……お前、あれか」


「はい?」


「惚れた女がいるわけか」


 突然、誉美の背後に座っている女子高生の会話が静まりかえった。明らかに意識がこちらの会話に向いている。


「な、なんですか急に」


「俺たちみたいな人間がマトモな仕事に就こうとするのは、女に惚れたタイミングしかないだろうが」


 少し顔が熱くなってきたので、アイスコーヒーを飲んで冷やす。暴論には違いないんだが、今の俺はまさしくそんな状況だ。


「まあいいさ」せかせかとコーヒーを飲み干して立ち上がった。舌が苦くなったんでタバコを吸いたくなったんだろう。「俺は事務所に帰る。仕事がまだ残ってるんだ」


「何か手伝いましょうか?」


「要らん。たまには実家に顔でも出しておけ」


 *


 駐車場で合流して、朝飯のついでに昼飯を食べに行くことにした。狸小路の方に最近流行っているラーメン屋があるらしいので、車は置いたままぶらぶらと町を歩く。腰の痛みは大分マシになっていたが、また滑って転ばないように真剣に道を見ながら歩く。


「どうにかなりそ?」


 ちょっとしたトラブルの顛末を聞くみたいに尋ねてきた。


「まあ、なんとか無職にならなくて済みそうかな。……そういえば、今度はどういう職業を名乗れば良いのか分からないな。給料とかも聞いてないし。大丈夫なのかな、俺……」


「良いじゃない。困ったときに扶けてくれる人がいるのって、恵まれてる」


「それはそうなんだけど」


 外を歩いていたら、嫌でもクリスマス的なムードが纏わり付いてくる。朝だというのにカップルで歩いている人間のなんと多いことか。これが夜になれば、街路樹に巻き付けられたイルミネーションが一斉に光り出すんだろ? やれやれ。何となく、来るタイミングを間違えているような違和感がある。


「そういえば、同窓会の件は結局どうなったんだ? 俺、途中からやり取り追ってないんだけど」


「そりゃ……! すっごい! 忙しかったよ! 人数確定するのも、会場抑えるのとか、下見とか、流す映像作ったり、結構面倒臭かったし。けいちゃんが――というか、けいちゃんと委員長が大概のことをやってくれたから助かったんだけど」


 どうやら彼女たちが企画している同窓会は結構本格的なものらしい。


「へえ。けいちゃんもしっかりやってるみたいだな」


「そうなの。夏のことがあって、最近はよく外に出るようになったみたい。本当に、昔のけいちゃんが戻ってきたみたい。……で、今は自動車免許を取ろうとしてるんだって」


「ふーん」


「逆にそっちは? 月本さんは、結局同窓会来ないみたいだけど」


「月本は、……俺と月本って感じの付き合いが続いているかな」


「……気、合うんだ」


「そりゃ、合うよ。ただ一つ――」歩道に落ちてる黒い氷を蹴飛ばして言った。「彼女は、あまり雪が好きじゃないみたいだ」


 一緒に食事に行った何時かのタイミングでそんな話をした。他人に言っても理解されないような話だが、何となく月本は雪が好きだという俺の感覚を理解してくれると思ったのだ。


 だが、それは俺の勘違いだったらしい。彼女は雪が降ると家でじっと過ごすタイプ。


 その他の趣向の一致具合を考えれば、非常に些細なすれ違いの筈なんだが、俺の中ではそのことが奇妙なほど引っかかっている。


「雪ねー。私は結構好きだけど。道民ってみんなそうなんじゃないの?」


 思いがけず、心が優しい形に変形したような感触があった。


「……あ、そう。いや、結構希少種らしいんだよ、俺たちは」


「そう。――そういえば、どうする? 今日」


「今日?」


「クリスマス……」


「クリスマスだな。言われなくても、この町並みを見れば分かるけど」


「そういうことじゃなくって……夜のこと、なんだけど」


「今日は、実家に泊まろうと思ってるんだ。夏は顔出さなかったままだし」伊勢の言葉を深く解釈しないまま、俺の考えをそのまま言った。言ってから、彼女の意図みたいなものに考えが及んだ。「あっ。そういえば、夏に……」


 夏に果たせなかった約束について言いかけたが、


「それ、良いじゃん!」と、彼女が笑顔になったので、そういうことになった。「私も、久しぶりに札幌の実家に顔出そうかな」


「良いんじゃないか」


「それじゃあ、明日は一緒に同窓会の会場に行こうよ。待ち合わせてさ」

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