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第70話 「俺は、明日から仕事」

 新千歳空港行きの電車はクロスシート、つまり、新幹線のように進行方向に向かうように並べられたシートで、札幌の始発から乗ってきたらしい乗客の頭が何個か並んでいた。とはいっても、殆どが空席だ。


 俺は、車内中央、窓側の席に腰を落ち着けた。


 なんとなく名残惜しくなって、眼鏡を掛けて顔を横に向ける。


 車窓に映るのはようやく目を覚まし始めた北広島。だが、町並みはすぐに過ぎ去った。新千歳空港行きの沿線沿いは緑が豊かで、実際のところ殆どの時間を鬱蒼と生える木々か、平原かを眺めることになる。町の領域から外れてしまえば、有無も言わさず北海道と聞いて一般的にイメージする閑散とした景色が続くのだ。


 伊勢との物理的な距離が、猛烈な速度で離れていた。しかし、その分俺は東京に近づいていた。


 ボスの気まぐれで、急に舞い込んだ札幌勤めだった。俺は、帰郷への思いを振り切れたのだろうか、それとも囚われた……?


 やるべきことはやった、という感触がある。自分で言うのもなんだけど、有償無償問わず色々な人助けをした。ビアガーデンに行った。ラーメンにジンギスカンに寿司にスープカレーにと、大体北海道グルメも満喫したし。故郷に帰って、一通りやるべきことは済ませたじゃないか。故郷に……。……。


「あっ!!」


 思わず大声を出してしまった。周辺の客の頭の天辺がちょっと蠢く。


 ……すっかり忘れていた。そういえば俺、実家に帰っていないじゃないか!


 というか、札幌に帰っていたことすら伝えていない。東京ですっかり忙しくしていたので、実家までの心理的な距離感が外国の町くらい離れてしまっていた。すすきのでも結構忙しくしていたし――別に両親と仲が悪いというわけじゃないんだけど。


 しかし、もう帰りの電車は走り出していた。仕方が無い。また次の機会に顔を出すことにしよう。


 気を取り直して、小説でも読もうかとスマホを開いたら、


「……あぁっ! あぁ……」


 顔の右半分をペちんと手で覆う。


 また、思い出してしまった。


 ……俺、『未雷』買うの忘れてるじゃん。


 せっかく月本に在庫情報を教えて貰ったというのに。月本と伊勢を会わせた帰りにでも寄ろうと思っていたんだが、あの日はショックな出来事があったんですっかり忘れていたんだ。くそお。


 気を取り直して、何となくスマホでブラウザを開いた。Amazonで電子書籍を買うには、Amazonのアプリでは駄目でブラウザアプリからなら購入できるのである(何故かは知らないが)。結構前に開いた憶えがあったので、溜まったブラウザタブを遡って――見覚えのある画面があったので、開いた。


 それはひょんなことから女性の家に泊まることになった、とある同い年の男の悩める質問投稿だ。頼もしいヤフー知恵袋の面々は、「突撃」だの「いかなきゃ逆に失礼」だのと回答を付けている。前見たときと違ったのは、一つの回答にベストアンサーが付いていたこと。


 ――概ねOKだが、告白はした方が良い


「あ……」


 そうだった。


 思い返せば、俺は伊勢に一度もきちんとした形で思いを伝えていないじゃないか。


 話の流れで好意を伝えたことはあったが――キスをしたこともあったが――彼女に好きだと言われたのに――なんなんだ。


 いざ帰る段になって、やり残したことばかりが思いの端に登ってくる。


 これじゃあ、また北海道に来なければいけない。同窓会……。


 呆然とスマホから目を上げると、車窓には開けた平原が映っていた。多分今は山中を通っているんだろう。平原の奥には青くぼやけた山々の稜線が見える。ふと、俺は雪が好きだったことを、というよりは、北海道の雪の降る冬が好きだったことを思い出した。


 北海道出身だからと言って、決して冬好きが多いわけではない。


 雪の降る季節は家に籠もってゆっくりするのが好き、という道民の方が多いだろう。


 ウィンタースポーツをやるわけでもなく、俺は、単純に凍えるような朝の外気が好きなのである。吹雪の日なんかはコートに細かい雪がこびり付いて、一々全身に塗れた雪をたたき落とす、そういう面倒な手間が好きなのである。昼には強力な日差しを地面の白が跳ね返し、まともに目を開けていられないような、飛行機がごおんと音を鳴らして青い空を駆けるような、道路を走る車がシャーベット状の氷を跳ねて走るような……そういう全てを、東京では味わえなかった。恋い焦がれていた。人に話したら驚かれるかもしれないが、世の中にはそういう人間もいるのである。


 こんな何でも無い話を、俺は伊勢としたかった。


 *


 東京の数ヶ月掃除していないワンルームに着いたのは昼頃だった。道中で俺は今異常な格好をしていることを、周囲の視線でハッキリ自覚した。


 だから、まず汚れきった衣服をゴミ袋に突っ込み、季節外れの服に着替えて、近くの銭湯でじっくり汗を流した。そのまま近場のラーメン屋で昼を済ませて、失った衣服はユニクロで買い足し、馴染みのタバコ屋で缶ピースを三つ購入し、外の喫煙所でゆっくり一本吸って、家に帰る。


 こんなことを、なんと三時間も掛からないうちに、家の近所で完結できてしまうのだから東京は凄い。交通機関に頼らずとも徒歩圏内で何もかもが済んでしまう。


 ――向こうとこっちじゃ時間の進む早さは明確に違うようね


 というようなことを、昨日委員長が言っていた。


 確かに。北海道での時間には、もう少しゆとりのようなものがあった気がする。


 それは俺が暇だったから、というわけじゃなくて。こっちの日常では常に次の予定があり、その合間にタバコを吸って一息入れる、という感じなのだ。北広島ではその日の予定をじっくり考えたり、買い物が億劫でだらだらと過ごす時間がもっとあったかな。


 取りあえず、職場には明日から行くということになっていた。


 汚い部屋のベッドに寝転がると、一挙に二日分の疲れが押し寄せてきて、あっという間に意識を失う。一応飛行機でも寝たんだけど、やっぱり横になることでしか取れない疲れはある。


 意識が底の方に沈む中、閉じた窓から電車が行き交う音がガタガタと鳴っていた。


 *


 その日の晩に、疲れきった様子の伊勢と通話をするタイミングがあった。話すことがあった気がしたので俺からコールしたのだが、いざ向こうの空間の音がスピーカーから聞こえてくると、しどろもどろになってしまった。


「あっ、あっ? エビ?」


「うん」


「おお」


「どしたの?」


 明らかに疲れ切っている声。……そりゃそうか。今の今まで寝ていた俺と違って、彼女は昨日から働きづめだ。タイミング、ミスったかも。


「ああ。無事一日を終えられたかと思ってさ」


「んー……。まあ、なんとか。何度か意識失いかけたけど。そっちは?」


「俺は、明日から仕事」


「そっか。……がんばろうね」


「うん。……それだけ。お疲れさん。おやすみ」


「ん。おやすみ……」


 あっさりしたやり取りだけで通話を切った。伊勢の声を聴いて満足する反面、非常に物寂しい気持ちになったが、酒を飲んだら忘れた。

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