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第65話 「私たちは何処を探そうか?」

 リビングで啜り泣いている棚橋さんを放っておいて、俺たちは何となく二階に上がった。子供部屋がどこにあるかは分からないが、二階建ての建物なら大抵二階だとアタリを付けたのだ。


 果たして、くるみちゃんの私室らしき部屋は二階廊下の突き当たりにあった。唯一そこだけ電気が付けっぱなしで、扉が開放されている。


 部屋の中はあの年頃の割にはきちんと整頓されている、女の子らしい部屋だった。薄いピンクの絨毯に、綺麗な学習机。壁には額入りのジグソーパズルと、学校の時間割が画鋲で貼られている。服を脱ぎ散らかしている様子もないし、ゴミ箱も溢れかえっていない。本棚には……あまり本は入っていないようだ。空いたスペースにはぬいぐるみが詰まっていて、本来の用途で使われているのはほんの一角だけか?


 伊勢が腰を屈めて、本の背表紙を眺める。殆どはコンビニで売ってる漫画の総集編だった。


「あの子、こんな漫画読んでいたんだ……。なんか、一つのシリーズのファンって感じじゃないけど。なんでこんなにバラバラなタイトルを揃えてるのかな?」


「そういうコンビニ漫画って、ブックオフとか、フリーマーケットとかで滅茶苦茶安く売られたりするだろ」


「ああ……。あとは、漢字の練習帳に、自由帳。か……」


「あ。下の方の段に漫画雑誌もあるぞ。結構前の月で止まっている」


 伊勢が膝を折って下の棚を眺める。彼女の目が少し潤んで、鼻水を啜る音が聞こえた。


「……この月、くるみちゃんのご両親が離婚した前の月」


「なるほど」


「それから段々学校を休むようになったの、あの子」


 ゲーム機の類いは見当たらなかった。そもそもモニターがない。学校に行かない間は何度も読んだ漫画を読んで過ごしたのだろうか。それとも、今までのように自転車を乗り回していたのか?


 そういえば、この部屋の雰囲気は他の空間とは一線を画しているようだ。というか、離婚してから家が荒む中で、くるみちゃん一人がこの部屋を平和だった頃のまま、一生懸命守っているのではないか、という感じがした。せつないな、とも感じた。だが、今は感傷に浸っている場合ではない。


 俺は学習机の引き出しを開いて中を点検した。大した物は入っていなかったが、最下段の深い棚に彼女のノートが保管されていた。全て、以前彼女が本屋で取り出したものと同じだ。手前の一冊を見てみると、大体が落書きだった。殆ど動物で、小学生の割には絵心がある。


 ところが、末尾に近い辺りに文字が出てきた。かなり読みにくいが、どうやら自由研究についてのアイディアを箇条書きでまとめていた様子だ。幾つか書かれているが、「夏休みのときの先生」という項目に丸がついている。


 ……そうか。


 くるみちゃんは元々このタイトルで自由研究を進めようとしていたのか。それで、俺が伊勢の近くに現れたから、興味がこっちにシフトしたんだ。となると、俺が北広島に来てからかなり早期にくるみちゃんの監視の目があった可能性は高い。


 とすると、俺の足取りが彼女の行動範囲に影響している? 今日、俺たちはけいちゃんの家に行っている。……連絡しておこう。


「さて、あと調べられそうなことは――そうだ。エビ」


「なに?」


「ちょっと、クローゼットの中を見てくれない?」


「……なんで?」


「計画的な家出なら、着替えを持っていったかもしれない。不自然にスペースが空いていたりしないかな」


「なるほどね」


 伊勢は本棚横のクローゼットを上から開いていった。すぐにチェックを済ませて、首を横に振る。


「特に、乱れている様子はないかな。多分だけど……それは?」と、机の上を指差す。そこには、何冊かのワークブックが平積みになっている。


「夏休みの宿題、かな」


「あ。ほんと」伊勢はページをペラペラ捲った。「……なんだ、結構真面目にやってるんだ。でも、それで家出ってなんかおかしいね」


「……。揃ってるのか?」


「揃ってるって?」


「だから、宿題。これで全部ってこと?」


「えーとね。ううん……」平積みになっているワークブックを上から横によけていく。「いや、全部じゃないみたい。漢字の書き取りがまだあった筈。それと、読書感想文と、自由研究――あれっ? そういえば、自由研究って何をしているんだろ」


「夏休みの先生がどう過ごしているのか、っていうテーマから、先生の周りをうろつく怪しい男が何者かっていうテーマに手を広げたらしい」


「……」伊勢は、撃たれたような勢いで俺に顔を向けた。「ああっ! 松尾のことじゃん!」


「うん。だから、一応取材みたいなことはされた。碌な研究結果にはならないだろうけどな」


「そうなんだ」


 改めてくるみちゃんの部屋を見渡した。


「大体、調べるべきことは調べたかな」


「もう良いの? あまり役に立つ情報無さそうだけど」


「そうだな。でも、事前の計画があったって感じは無いんじゃないかな。着替えの持ち出しもないし、登校に向けてしっかり宿題もやっている。くるみちゃんは、ちゃんと明日学校へ行こうと思ってたんだろう」


「じゃあ、家出じゃない……?」


「うん。札幌に行っている可能性も低そうだな。北広島の何処か、か」


 電気を消して部屋を出るとき、最後に振り返って部屋の中を見つめる。そのとき、俺の頭の中で何かが強く瞬いた。この部屋には、幾つかあるべきものが無かった。その原因は? そんな疑問を発端に頭の中で光るものの輪郭を捉えようとしたが、敢えなくそれは思考の海に沈んでいった。


 *


 それから俺たちは一階に降りて、しくしくと泣いている棚橋さんを会議所に連行した。さっきまでホワイトボードの前に整列していた連中の顔ぶれは一新していて、既に到着していた北方先生夫妻と、お爺ちゃん警官、それに新規の爺さん婆さんを交えてさらに大所帯となっている。


 奥の方に、さっきも見かけた標準語のハンサム爺さんが座っていた。彼が情報を伝達していたらしい。既にホワイトボードにはくるみちゃんの写真が貼り付けられている。


「おう」と、たまたま眼が合ったハンサム爺さんが立ち上がった。「北方! 伊勢先生ら、来たぞ!」


「う」


 振り向いた北方先生は、さめざめと泣いている棚橋さんに驚いたようだ。北方夫人が肩に触れて、「ほら。大丈夫よ、大丈夫よ」と、警官の前に座らせた。


「私、こんなに人に迷惑掛けて……すいません……すいません……」


「あ〜あ〜。いいから、いいから。まずこれ書いて。ほら、ここに名前ね」


 そんな調子で、お爺ちゃん警官が捜索願を書かせる。傍から見ていると、行き詰まった貧乏人に借用書を書かせているみたいだ。


 それから、俺は北方先生に電車に乗った可能性は低いこと、少なくとも計画的な家出ではないこと、念のためけいちゃん家方面も捜索した方が良いことを伝えた。代わりに先生からは、既に駅前の駐輪場はチェックしていること、増水した川沿いの捜索に収穫はない、ということを知らされる。


「目撃情報は?」


「おう。四時頃に子供が自転車に乗ってた、っていう話はちらほら聞くんだ。雨が降っていたから、印象に残っている人も多かったんだべな。場所は今、地図にシール貼ったところだったんだ」


 長机に広げられた地図を見ると、北広島市の地図に赤いシールがぽつぽつと貼られていた。……各地点の時間帯は分からないが、大雑把に言うと、北広島市を横に通貫する国道一○八○の駅近くに数件、それと、東側の外縁とも言える東栄通で二件。小学校近くの北進通り、中央通りで一件ずつと、他にもあちらこちらの通りでポツポツある。


 思わず、腕を組んで唸ってしまった。横で北方先生が「なあ?」と、困ったように後頭部を掻く。


「国道を走っていたのは間違いないと思うんだ。でも、他のとこはどうかなあ……。雨の日に自転車に乗ってる子供なんて、くるみちゃんだけじゃないだろうし」


 俺は、何となく東側の二つのシールが気に掛かっていた。そこは、農耕地帯と雑木林に接している通りで、昔は俺も虫取りをしていた憶えがある。


 ……それに、伊勢の家からはまあまあ近いのか……。


 また頭の中でチリチリと思いつきが火花を放つ。


「松尾。私たちも、探しに行こう」


 思考を整理する間もなく伊勢が声を掛けてきたんで、思いつきはあっさりと霧散した。


「あ、ああ」


「私たちは何処を探そうか?」


「くるみちゃんには、友達がいたのかな」


 聞いてみると、伊勢は悲しい顔で「ううん」と否定した。


 ……今までの情報を整理した上で、くるみちゃんの立ち寄りそうな場所はどこだろうか? 俺は、少し考えて結論を出した。

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