第64話 「夜分遅くにすいません。棚橋さん」
伊勢が音頭を取ったわけではないが、彼女を中心としてくるみちゃん探しの体制はみるみる内に固まっていった。
取りあえず命の危険がある地帯は増水している川周辺で、これは子供の足でも気軽に行けてしまう可能性が高い、ということだった。そもそも北広島という地域は川に囲まれた地帯に出来上がったような町だ。平和な夏の土日なんかは足の付く河川で川遊びをする子供が何人もいるし、それどころか小学校に川に入って遊ぶという学習があるくらい地域として親しみがある。
「そういえば、くるみちゃんっていつも自転車に乗ってたよな。カゴのついた、スポーティーな自転車だったかな」
ちょっとした情報提供のつもりでそんなことを言うと、爺さん婆さんプラス若者二人の視線がいきなり俺に突き刺さる。
「そういえば、あんたァどちらさんだ?」
一人の爺さんが奥歯の抜けた頬を指で掻きながら聞いてきた。その隣のしゃんとしたお婆さんが「だぁっ! 言ったしょや!」と、爺さんの肩をどつく。「伊勢ちゃんのカレピだ、カレピ!!」
聞き違いでなければ、今目の前の婆さんから「彼ピ」というワードが飛び出た。気のせいか、若者の一人がガッカリしたような気配がある。
「んだらこと言ってねえべや。いつよ!」
「言ったべやあ! この間、伊勢ちゃんのカレピが不審者探し回ってるっちゅって! あんた、コラッ、酒ば〜っかし飲んでるから! これだも!」
「うえ〜へ〜へ〜へ〜」爺さんが糸を引くような笑い方をすると、ようやく年季の入った夫婦漫才らしきものが終了したらしい。「ま、いいんだ。それで、自転車乗ってたって? どんなんさ」
俺は、ホワイトボードにくるみちゃんの自転車の特徴を書き付けた。あっ、と後悔したのが、くるみちゃんの写真を伊勢の部屋から取ってくるのを忘れたことだ。……まあ、それはくるみちゃんの母親から提供して貰うとして、くるみちゃんの特徴も一緒に書き付けておく。
すると、爺さん婆さんはホワイトボードに顔を寄せて、あまり手間取らずスマホで写真を撮りだした。写真を撮ること、見返すことはできるだろうが、共有まではできないだろうな、と思った。
「そんだら、川の周りに自転車落ちてないか、気い付ければいいっちゅんだな?」
「公園も探さないと駄目だ。この雨だし、遊具で雨宿りとかしてるんじゃないか」と、これは綺麗な標準語を喋るハンサムな爺さんが言う。彼に答えるように、他の爺さん婆さんが「う」と唸った。
「とにかく、外は皆で探すから。伊勢先生らは、くるみちゃんの立ち寄りそうなところを調べた方が良いんじゃないかい」
「そうですね、ええっと……」困ったような顔で伊勢が俺の方を見てきた。小学校の中ならいざ知らず、校外のくるみちゃんの生活はあまり知らないんだろう。「どうしよう、松尾。……あっ。この人、探偵なんです」
なんでそれを今言うんだ。
「探偵! お〜!」
「……取りあえず、俺たちはくるみちゃんの家に行って、話を聞こう。いや、そのうち北方先生や警察がここに来るんだから、連れてきた方が良いな。すいませんが、どなたかここに残って状況を説明しておいていただけると助かるんですが」
爺さん婆さんは揃って「う」と答えた。
*
一軒家のインターホンを数度鳴らして出てきたくるみちゃんの母親は、俺がイメージしていたよりは若かった。とはいえ、目元に焼き付いた暗い影や、やつれた頬、乾燥した髪の毛に混じった白髪に、俺たちの経験していない年季を感じさせる。
「すいません。どうぞ」
雨音に負けそうなか細い声で、俺たちをあっさり家の中に招き入れた。廊下を入ってすぐの壁には段ボールの束が立てかけられていて、家の床のあちこちの隅に埃が溜まっている。
リビングはさらに雑然としていた。食卓と思われるテーブルには書類の束や文房具、爪切り、スナック菓子の滓が載っている皿、それに酒の缶やらが乗ったままで、テレビの前の座椅子にはもみくちゃになった毛布が掛かっている。床にも衣服やゴミ袋を初めとして様々なものが落ちているが、くるみちゃんの所有物らしきものは一つも無かった。
俺たちは、取りあえずテレビ前に空いていたスペースに正座して向かい合った。
「夜分遅くにすいません。棚橋さん」
「いえ……こちらこそ。そちらの方は?」
俺は、ええい、もういいや。と思って「伊勢の友人で、探偵をしております。松尾です」と、興信所の名刺を渡す。
「はあ。探偵さん……渋谷の……?」
「今はちょっとこっちに帰省していて。――それで、くるみちゃんが、家に帰っていない……?」
「はあ。多分、そうだと思うんですけれど……」
「何時から帰っていないんですか!?」と、伊勢。
「さあ……。お昼にはまだ家にいたと思うのですが……私、今日は夕方頃まで寝ていたものですから……」
「すると、少なくとも夕方頃から姿を見ていない?」今度は俺が聞いた。
「そう、だと思うんですが……」
「くるみちゃんの自転車は、見当たらないんですか? いつも持ち歩いていたリュックは?」
「部屋にはないと思うんですが……自転車も……」
終始推量形なのは、そういう口癖だと思いたい。
ここで、一旦質問を止めて俺たちは今日の出来事を整理した。夕方頃から姿を見ていないとなると、くるみちゃんの行動範囲は結構な広さになってくる。希望的観測で誘拐の可能性を度外視するにしても、下手をすれば札幌までの範囲を捜索しなければならないのではないか?
……いや。それはどうだろう。以前札幌で出くわした時、俺は彼女を駅まで送った。ということは、そこまで行くなら電車に乗る筈だ。
「くるみちゃんは、一人で電車に乗れますよね」
「はあ……?」
「以前、たまたま札幌であの子と出くわしたことがあるんですよ。確か父親に会いに来ていたって――そうだ。そちらの家に連絡は?」
「あのう。元夫からは、連絡が来ていないんですが……。それに、カードは置いたままなんです」
「カード?……ああ、交通系IC?」
「はい。札幌に行かせるときは、いつもチャージしたカードを持たせているんですが……だから……」
「現金は持っていたんでしょうか?」
「現金は……多分……はい……幾らかは分からないんですが……」
北広島駅の駐輪場を調べる必要はありそうだ。もしかすれば、ジジババ捜索隊がもう当たっているかもしれない。
「あのう……」と、ここで初めてくるみちゃんの母親、もとい棚橋さんが自ら声を挙げた。「私、明日、仕事で朝早くて……見つかりますか……?」
「…………」
この人は自分の娘をスマホか何かだとでも思っているのだろうか。
俺は、今目の前の女をぶん殴ったら具体的にどういう不利益を被ることになるんだろうと真剣に考えた。それほど困ることはなさそうだ。が、伊勢が拳をきつく握りしめているのを見て取って、やめておいた。
「棚橋さんっ!!」
絶叫に近い声量で伊勢が吠える。いつか、子供を叱ったときの彼女を思い出した。
「くるみちゃんは今、行方不明なんですよ!? 警察にも連絡をしています! 町中の人たちが、くるみちゃんを探すのを手伝ってくれているんですっ!! しっかりしてください!!」
すると、棚橋さんは全く反発する力を見せずに、素直に年下の叱咤を受け入れて項垂れてしまった。目元からぼたぼたと涙が落ちているので驚いた。
「……私、……だって、もう……。一杯一杯でぇ……。どうして、私を困らせるのよお……あの子……」
これ以上、この母親から情報を引き出すのは手間取りそうな雰囲気だった。
「くるみちゃんの部屋を調べさせて頂いても良いですか?」
返事がないので、勝手に調べることにした。伊勢も一緒に立ち上がった。




