第50話 「月本は、全然変わらないんだな」
札幌での生活、最後の最後に果たした月本との再会の後、俺たちはお互いがビックリしたまま地下通路のど真ん中で三分間ほど静止していたらしい。固まった俺たちを見守るのはショーケースのマネキンと広告ポスターの若手俳優。それと間に挟まったくるみちゃんが不思議そうに俺の腕を引いて、「ほら、やっぱりこの人」と声を挙げたんで、ようやく思考を取り戻すことが出来た。
「あっ。ああ……。久しぶり、月本。俺のこと憶えてる?」
「憶えてる。まっちゃん。それと、さっきレジの前で本を探してた……え? どういうことなんだろう」
これまでの札幌や北広島の時間が一気に縮んで過去になってしまうような衝撃だった。月本のいままでは知らないが、彼女にしても同じようなショックを受けていたのだろう。取りあえず視界に入る情報を整理して口に出している、という感じだ。
いつの間にやら、月本の黒い瞳が俺とくるみちゃんの間、繋いだままの手に止まっている。
「まっちゃんの――子供?」
「えっ!? あっ!? 違う違う! こいつは……説明するのが面倒なんだけど、エビの教え子なんだ」
いや、エビの教え子ってなんだよ。
言った直後に自分で突っ込んでしまった。月本からすれば、小学生の頃エビと呼ばれていたムカつく少女なんて、今の状況とは全く関連しないだろう。というか、伊勢が小学校の先生であることも知らないのに、いきなり俺は何を言ってるんだ。
ところが、「エビ……? 教え子……? ふうむ」と、ドラマの探偵が考え込むように目を瞑ると、やがて指を鳴らしてこう答える。
「なるほど。地底怪獣ツインテール、か」
何が「なるほど」なのか、何が「地底怪獣ツインテール」なのか一切分からない。くるみちゃんは確かにツインテールだが、地底怪獣と手を繋いで歩いている憶えはない。
「お前は何を言っているんだ?」
「ウルトラマンの怪獣、地底怪獣ツインテール。生まれたてのツインテールはエビの味がするんだよ。知らない?」
「全然知らないし違うんだけど、……まあいい! とにかく、俺は――月本のことを探していたんだ」
「そうなんだ。私も丁度まっちゃんのことを考えていたところだったんだよ」
「……なんで?」
ここで俺は、腑抜けたというか、力が抜けたというか、とにかくやや呆然としたまま月本の目の前に突っ立っていることに気がついた。久しぶりの再会だというのに、月本は俺のことを昨日話して別れた友人、くらいの温度感で接してくるのである。
ただ、俺に親しみを感じていないわけではない、ようだ。単純にこういうシチュエーションに臨む態度を彼女は知らないのか。
地下街には何件も喫茶店がある。何となく歩き出すと、月本はふわりとスカートを揺らしてくるみちゃんの隣を歩き始めた。俺、くるもちゃん、月本と横並びの形になる。……なんだ、この一行は。
「『未雷』っていう書名を聞いて、ふとね。今どうしているのかなって考えてたよ。札幌に住んでいたとは知らなかったな」
「札幌に住んでいるというか、もうすぐ東京に帰るんだけどな」
「おっさん、東京に行くの!? エビセンとの関係は!? 私の自由研究は!?」
「エビセン? 自由研究?」
「……後で説明するから。くるみちゃんも、そう次々におかしな単語を捲し立てるな。月本、話す時間あるか?」
「買い物は済ませて、あとは帰るだけだから平気」
*
地下街の、若い客が和気藹々としながらも落ち着いて話せる喫茶店に入って、まずは事情を話した。俺が札幌で居候をしていること。北広島で今は小学校の先生をやっているエビ――伊勢里映と出会ったこと。そして、北方先生から同窓会の準備を頼まれたこと。
「……というわけなんだけど。久しぶりに会って色々捲し立てて悪いな」
「うん。事情はよく分かったよ。つまり、くるみちゃんは伊勢さんのクラスの子ってことだね。で、夏休みの自由研究で伊勢さんと一緒に動いているまっちゃんのことを調べていると」
話しきらないうちに月本が今の状況をすっかり説明したんで、前のめりになっていた俺の体の力が抜けてしまった。月本も、どこか今の状況を楽しんでいるように明るい表情をしている。
「物わかりが良いな」
「与えられた情報で作れるシナリオがそれだけなんだよ。それにしてもこういう状況、前に何かの小説で読んだのとそっくりなんだよね。……タイトルは何だったかな……」
と、そんな彼女の何気ない一言からいつの間にやら小説の話にシフトしていて、それが結構盛り上がった。
ゼロ年代の頃からの大きな賞を彼女は全て読んでいて、それ以外にも勿論息を吸うように本を買っては文字を読む、という生活を続けているらしい。しかも印象的な小説はパッとあらすじを喋れるくらい物覚えが良いようだ。会話に取り残されそうなくるみちゃんに、彼女は面白い話をあれこれと聞かせてしまうから仲間はずれという感じにはならない。
くるみちゃんにしても、自分のことを子供扱いしない大人が珍しいんだろう。一生懸命話の内容を理解しようと頷いては、楽しそうに質問したりしている。
……すっかり思い出した。月本という人間は、こういう人間だ。
常日頃から様々な媒体の物語をインプットしているので、仲良くなって、一度話し出せば滝のような勢いで頭の中の様々な智恵を吐き出してくる。それが軽妙な会話になって、心地良いんだ。こういった人間は不思議なことに俺の人生では月本以外に出会ったことがない。強いて言えば、甲斐が近いだろうか。
ふと、凄く高尚な仕事に就いているんじゃないか、という疑問が湧き出てきた。
「月本は今、何の仕事をしているんだ?」
「私? 私はしがないITエンジニアだよ」
「ITエンジニアだと?……理系?」
全然イメージにそぐわない。例えば図書館司書だとか、編集者だとか、……そういうのがぴったりだと思うんだが。
「大学は文系だったんだけど、就職活動してみたら私にできそうな仕事が全然無くって。試しにプログラミングの教本読んでみたら案外行けそうだなって思って、IT企業に就職した感じかな」
「何か、本に関する仕事をしていると思ったんだが……」
「本とか物語は好きだけど、そういうので生きていこうとは思わなかったかな。好きな物は何かしようとしなくても好きだし、私の中ではそれで完結しているから。私は仕事でお金を稼いで色々な物語を読めればそれで良いの」
「な、なるほど」
自分の好きという感情を世間に認められようとも思わず、ただ好きなままでいる。それって並の精神性じゃないと思うんだが、一周回って月本らしい人生のような気がする。仮に彼女が小説家にでもなろうとしていたら、今目の前にいる彼女は別人として映っていたのかもしれない。
「……それで、まっちゃんは探偵ってことで良いのかな?」
「探偵というか、調査員というか」強烈なアイデンティティを持っている月本を前にすると、俺の素性はちょっと言いにくい。「一応、今は雑誌社の事務員ってことになってる。もうすぐ調査員に戻るんだけど」
「うん。なんかまっちゃんらしい」
「そうか?……褒めてんのか?」
「さて、どうでしょう」
月本はおどけたように笑って見せた。笑顔が昔と全然変わっていない。
「月本は、全然変わらないんだな」
「それは褒めてるのかな?」
「……分からん。いや、多分褒めてるな……」
ぼそりと呟くと急に気恥ずかしくなって、慌ててアイスコーヒーで喉の奥を冷やした。くるみちゃんの鬱陶しい視線が視界の中にちらつく。
話をしていて、月本とは今も非常に気が合っていることが分かった。一応、結婚指輪はしていないことを確認して、そんなことを一々気にする自分が嫌になる。
「とにかく、元気そうな月本に会えて良かった。東京に帰る直前なのが残念だけど……もう、札幌に心残りはなくなったよ」
「東京に帰る直前なのが、何で残念なの?」
「大人になった月本と、ゆっくり酒でも飲んでみたかったんだよ。フライトの前に仕事の残処理があって、あんまり時間が無いんだ」
「それなら、向こうで一緒にどこか行く?」
「……向こうって……ん?」
「ああ、言ってなかったね。私、今秋葉原の会社で働いているんだ。今は帰省中」




