第45話 「松尾、起きなよ」
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けいちゃんは欄干に寄りかかって、肌の輪郭を朝日に透かして笑った。
「俺は、これからもまっちゃんと遊びたいんだ」
「俺と……遊ぶ?」
「今回みたいにさ。別に旅行じゃなくたって、一緒に飯を食ったり、ゲームしたりとかな」
「そんなこと、いつだってできるだろ」
というか、どうして俺と伊勢をくっつけようとするのか、という質問を俺はしたはずだ。はぐらかされている気がする。
「んなことはない」俺のツッコミに、けいちゃんは笑いながら手を振って言った。「いつだって遊べるわけじゃないし、いつまでも遊べるわけでもない。実際、あんなに仲良かった俺たちが中学上がった程度のことで十年以上疎遠になっちゃったじゃないか。こうして喋ってみると、お互いあんまり変わってないのにな」
「そりゃ、委員長やエビと比べたら……男だからかな。ただ、小学生の頃の感性のままおっさんになりつつあるって感じだよな。――けど、確かに。疎遠になってからはすっかり連絡も取らなくなったっけ」
どっちにしろ引きこもっていたけいちゃんが応答するとは思えないが。
「まっちゃん、夏が終わったら東京帰るんだろう」
「――そうだよ。この仕事が終わったらな……」
「せっかく再会したのに、またどっか行っちゃうんだもんな」
けいちゃんは、後頭部を掻きながら困った子供を相手にしているような声色で呻いた。そんなことを言われてもこれが人生というものだ。
俺は、なんだかんだ言っても人間一人でいる時間だけが、生きている時間の実体だと思う。……こんなことを考えるのは、誉美や甲斐の影響だろうか。嫌だな……。
「……と、そういうわけで、俺はまっちゃんを北海道に引き留めたいと思っているわけなんだよ」
「あん?」
「もしもまっちゃんがエビちゃんと結婚する、ってことになったら、その願いは叶うだろ。勿論エビちゃんだって幸せになるだろうし、話が丸っと纏まって皆ハッピーじゃん? あ、エビちゃんを東京に連れて行くのはナシの方向でね」
「……なるほどね」
なんとも回りくどい説明だったな。
要するに、けいちゃんは俺を北海道に引き留めるために、伊勢と結婚させて定住させようっていう腹らしい。
「つまりね。まっちゃんが好きな地元の人間は、エビちゃん以外にもいるってこと。俺や委員長とか……それこそ、今働いている職場の人たちだってそうなんじゃない。月本さんがいなくたって、まっちゃんが地元に戻ってくる理由はある、と。そういうこと!」
やや乱暴な口調で言い切ると、俺の背中を叩いてきた。
「もうすっかり朝だ。ホテルに帰ってシャワーくらい浴びるべ」
*
大学時代の人の縁から渋谷の興信所に勤めだして、はや数年になるか。
今になって考えると、都内のそれなりの私立大学を卒業したという学歴に見合った就職ではなかった。それでも、当時の若い俺は企業に訪問してペコペコ頭を下げる就職活動っていうのにどうも辟易してしまって……後悔は、していないけど。
大学時代の同期は、会う度に身なりが上等になり、結婚だ昇進だ仕事が世間に認められただのと順調に人生の駒を進めているらしい。そして、この年になってようやく気がついたのは俺の人生がしょうもないということだ。
悪いことに、興信所の調査員というのはつぶしの効かない仕事だし、こんなことなら一生に一度の新卒カードを大企業に投じれば良かったのか。今更仕事を変えると言ったって何から、どう手を付けるのか。
――地元に帰る。
そんな選択肢が頭に浮かぶようになった今年の春頃、北海道の古い伝手を甲斐に紹介されたのだった。まあ、実体は目的のふわふわとした人材派遣だったのだが。
それから帰ってきた北海道で痛感したのが、俺の居場所がなくなっていたこと。いつまでも変わらないホームだと思っていたこの街だって、どんどん人生を花開かせる同期たちのように成長し続ける存在だった。
東京にも、北海道にも取り残されていくような心地の俺は――かつて思いを寄せたような寄せられたような月本に――会いたいと思った。
変わらない彼女一人がいれば、この大地にも居場所があるような気がしたんだ。変わっていたって良い。結婚していても文句は無い。それならそれで、諦めが付くというものだ。
……ところが、いざ北広島に行ってみて出会ったのは――
「松尾、起きなよ」
肩を揺すられて目を開くと、目の前に伊勢がいた。
*
「ん。……ん!?」
寝ぼけた眼を擦ると、車中からは見慣れた景色――伊勢の家の前が見えている。
後部座席に沈み込むように寝ていた俺は、扉を開いて乗り出した伊勢に起こされたらしい。他の席には乗客がいない。
「なんだ、もう付いたのか」
「そうだよ。松尾ったら、お昼食べてからずっと寝てたし」
「あー……」
顔を擦りながら車外に出ると、まだ太陽はギラギラ照っていた。
確か、朝八時くらいに小樽を出た俺たちは、札幌の適当なマックで食事を済ませたんだっけ。旅の終わりになんでマックなのかと言うと、小樽の店が開き始めるには早すぎたし、帰ってきて旅先の飯より美味いものを食べたら悲惨だからだ。
それで、ハンバーガーとコーラを腹に入れた俺は、電池が切れたように意識を失ってしまったのか。
そのまま、当然のように伊勢の家に上がってから気がついた。
「……ん? なんで札幌で起こしてくれなかったんだ?」
「え?」と、靴を脱いだ伊勢が髪を耳に掛けて振り向く。「だって、まだ松尾と喋りたいし。どうせ今日はまだ時間あるんでしょ」
「ま、あるんだけどさ」
そう明け透けに目的を語られては、軽口を返す余地もない。それに、伊勢の家というのは何かと居心地が良いので暇な時間を潰すには良いんだよな。
「なんか食べる? お昼あんまり食べなかったから、お腹減っちゃった」
「ポテチで良いよ。あー……」
伊勢は早速台所の棚を漁り始める。
「着替えたいんなら、松尾の下着洗って置いてあるけど」と、小皿にお菓子を開けながら言った。
「え。捨ててなかったのか?」
いつもはコンビニで買った下着に着替えていたんで、シャワーを浴びる度にパンツを洗濯カゴに放置していたのだ。
「一応人の物だし、捨てるに捨てられないし。ここに泊まる度松尾のパンツが増えていくんだから……お風呂場の棚ね。ドライバーが入っている所の一段下」
「お、おお」
なんか、凄い気恥ずかしい。というか、当たり前のように家の棚に男の下着をしまっている女って、傍から見ればどうなんだって感じだな。
それで風呂場に行ってみると、最近脱いだらしい彼女の下着が洗濯カゴに入っている。彼女にしたって最早俺に下着を見られるくらいはどうとも思わないみたいだ。
つくづく考えて、ここまでの関係になって一度も抱き合わないってのは奇天烈だな。
……下着を着替えてリビングに戻ると、彼女も薄いTシャツに着替えてソファに寛いでいた。テレビではNetflixで「水曜どうでしょう」を流していて、机の上にはポテチを載せた皿と、小さな手帳。
床に座ってポテチを一つ食べると、にやにやとムカつく笑顔の伊勢が聞いてきた。
「松尾、けいちゃんに色々言われたんじゃない」
「ああ。……そういえば、そっちは委員長が上がり込んできたんだっけ?」
「そっ。なあんか、陰謀してたみたいだね、あの二人。人の恋仲を種に裏で盛り上がっちゃって、癪じゃない?」
「そうか? けいちゃんとは、結構健全に旧交を温め合った感じだったけど」
「そりゃそっちは良いでしょう。こっちは委員長よ。何か色々言われたけど、簡単にまとめると最終的に人間性を否定された気がするわ」
ああ、現場の光景が目に浮かぶ。
「……女って怖いな」
「ま、それは良いよ。私も色々委員長に言ってやったしね。どうせこの年で恋人いない同士だもん。遠慮が無くて良いわ」
「ふーん」
委員長には恋人がいない。まあ、予想していたことだ。
再び皿のポテチに手を伸ばしたところで、そういえば見慣れない手帳が置いてあったのを思い出した。何気なく手に持ってみると、大人一人が住んでいる部屋には似つかわしくない程のかわいらしいデザインで、さらに違和感が生じる。
「おい、なんだよこれ」
昔流行ったキャラクターがでかでかと描かれたハードカバーで、更にその上からロック付きの薄い水色のクリアカバーで装丁されている。この令和の時代には百均に行ってもお目にかかれない安っぽさ。明らかに平成初期のセンスだ。
「松尾、言ってたでしょ。失せ人探しするんならデータベースだって。――それが、私の持ってるデータベースってわけ」
伊勢は、鼻の頭を掻いて、俺の手から手帳を取った。
急な話だったんで、俺は若干話についていけていない。
「月本さんに繋がるかもしれない、多分最後の手がかりだよ」




