第44話 「……くっだらないなあ」
深夜三時――
ホテルロビーの喫煙所でタバコを吸っていたら、見慣れた顔が戸窓に見えた。目が合うと、すぐに入ってくる。
「まっちゃん」
「……けいちゃん」
委員長と共に過ごしていた筈のけいちゃんは、タバコを吸いもしないのに遠慮無く俺の横に座った。
「まさか、このまま部屋に帰らないつもり?」
「そりゃそうだろ」
「なんでえ。せっかく部屋を取ったのに、勿体ないでしょや」
「そりゃ、だって――!? お前、まさか……」
怪訝な目を向けると、けいちゃんは後頭部を掻いて分かりやすく目をそらした。それは、すんなりと彼の思惑を白状したようなものだった。
「委員長と共謀していたってわけか」
「い、いやあ。別にそんなつもりは無かったんだけどさあ。委員長が二人を良い感じにさせようって言うから……」
俺は盛大に溜息を吐いて、タバコを灰皿に押しつけた。
結局、空かない扉を前にエビと困惑を絡ませた俺は、本来俺とけいちゃんが寝泊まりする筈だった部屋を彼女に譲ったのだ。
……で、今晩俺はどこで過ごすのかと言うと、このホテルの一階。ここにはシンプルなソファをボンと置いた簡易的なロビーがある。ロビーと名乗るのはとっても烏滸がましいクオリティではあるが、今晩過ごす身として畏敬の念を込めて、ロビー。受付はもう閉めているようだし、男一人がここで一晩過ごしたところでそれほど迷惑ではないだろう。
そこの喫煙所に、この非喫煙者はやってきたわけだ。
「俺たちはてっきり、委員長とけいちゃんがよろしくやっているもんだと思ってたよ。……そういうことなら、後でエビの誤解も解いておけよ」
「エビちゃんのことなら心配要らないよ。今頃、委員長が一緒にいるはずだから」
「……」
なんなんだ? その二人体制は。
どうやら、この旅の最中委員長とけいちゃんは徹頭徹尾協力関係にあったようだ。思えば無駄に小樽を観光したのも、連絡が取れずに飲食店を二人で回ったのも、伊勢を部屋から閉め出したのもそうなのか。
「余計な気を遣いやがって……」
「別にまっちゃんに気を遣ったわけじゃないから」
「あん?」
「エビちゃんに気を遣ったんだしょや」
「…………」
引き籠もりのけいちゃんに、男女の仲の一体何が分かるというのだ。という俺の思いを見透かすようにけいちゃんは目を細めて続けた。
「委員長に、色々話は聞いているよ。家に泊めたとか、愛しているとか」
「泊めたその日は何もなかったし、愛しているとは言ってないっ。委員長には、昔のエビが大嫌いだと言っただけだぞ。なんでそう曲解に曲解を重ねるかなあ。俺とエビの間には、けいちゃん達には分からない事情が色々あるんだよ!」
「……くっだらないなあ」
冷え切った声で切り捨ててくるので、煙を変な吸い方して盛大にむせてしまった。
「く、くだらない?」
「どうせ、まっちゃんが気にしているのは月本ちゃんのことだろ。初恋の人を気にして未だにうじうじしてるなんてくだらないべや! エビちゃんもエビちゃんだ。傍にいない人間に気を遣って、一生のチャンスを棒に振るなんてさ。これじゃあ結婚できないわけだよ。うん」
「それ、ブーメランってやつじゃね?」
「だな。ははははは!!」
鬱陶しいので、タバコを灰皿に叩きつけて喫煙所を出る。今晩居座ると決めたロビーのソファに戻ると、けいちゃんがまだ付いてくるではないか。
「……おい。まさか一晩中俺にくっついて小言を続けるつもりか?」
「俺だけベッドに寝るなんて薄情じゃんか。まっちゃんの行くところなら、俺は世界の果てでも地獄でもついて行ってやる」
――結局、俺たち二人はホテルのロビーで一晩明かすこととなった。
伊勢と俺をくっ付けようと画策するけいちゃんは結構しぶとく説得してきたが、それもせいぜい一時間のこと。彼自身も今日は慣れない経験を積んで疲れたらしく、いつの間にやらソファにごろりと寝ていた。
とはいえ、十数年引きこもっていた割には中々の根性じゃないか。
朝六時頃、ぼちぼちホテルの客たちも活動時間。隣の彼の肩を揺すって起こしてやると、「しまった!!」が第一声だったので流石に笑ってしまった。
「もう朝!? くっそお〜! いつも徹夜余裕だったのに……!」
「昨日は色々あったから疲れたんだろ。引き籠もりのけいちゃんに体力で負けてちゃ社会人が廃るっての」
「……なにさ。まっちゃんは随分余裕そうじゃんか。そんなに体力あったのかよ」
「体力があるわけじゃなくて、体力の節約が上手いんだよ。職業柄、こういう一日は何度も経験あるしな」
「……くっそお〜!」
とはいえ、俺の疲れもさほど取れていない。変な体制でうたた寝していたから背中が張っているし、瞼も少し腫れている気がする。目覚ましに朝の散歩でもしないかと提案したら、目を擦りながら後を付いてきた。
まだ空気が陽で膨らんでいない早朝の小樽は昔の夏のような涼やかさだった。人気の無い歩道は男二人で歩くには贅沢過ぎる。車の通りも無いので、朝日に輪郭を燃やす建物全部が俺たち二人のもののような気分になってくる。
運河沿いの遊歩道へ行くまでは無言だった。お互い一々声に出さないでもそこにある美しい景観は意識下で共有できる仲だったし、今もきっとそうなんだろうと思う。けいちゃんとは桃鉄をしたり、ネットの面白動画で爆笑したりと何かとあっちゃ二人でいた。
けど、今になって思い返すのはどうでもいいことを真剣に話しながら何でも無い田舎道を歩いていたことばかりだな。場所は違うが、今みたいに。
「……そういえばさあ」
「うん」
「俺とけいちゃんってなんで仲良くなったんだっけ?」
「え? うーんと……あれじゃねえかな。ドッジボール」
「ドッジ?」
「うん。俺とまっちゃんが敵同士でさ、最後の一人ってところで俺たちが残って、滅茶苦茶投げ合ったことあったじゃん。あれじゃねえかな」
……そういえば、そんなことがあった気がする。
「いや、あれは小学三年の秋の大会だろ。もっと前から仲良かった筈だよ」
「ああ、そっか。……じゃあ憶えてねえなあ。仲良くなった後の思い出がありすぎて、仲良くなる前の記憶なんか頭に入ってねえわ」
けいちゃんは、そう回答を締めくくると、「なんでそんなことを聞く?」とは言わずに運河沿いの遊歩道へ続くスロープを軽い足取りで降りていった。この辺りは昨晩伊勢と歩いた所だが、一転して寒々しい程に人がいない。辛うじて擦れ違うのは、ゴミを拾う清掃員やランナーくらいだ。
「にしても、まっちゃんがここまで頑固な奴だとはな-!」
けいちゃんは誰もいないのを言いことの運河に向かって大声を上げる。
頑固というか、これはむしろ学習性無気力の一種ではないかな。三度に渡って伊勢との夜を過ごした俺は、どうも伊勢と一緒に寝るということに精神が退いてしまっているらしい。何より、一人で己の性欲と戦うあの情けなさはあまり味わいたくないからな。
「そっちも大概だろ。まさか、本当に部屋で眠らないなんてな。……ははは。せっかくお金払ったのに、勿体ない」
「ほんとだよ。それもこれも、まっちゃんのせいだべや」
ふとした会話の流れで、またもこのトークテーマに戻ってきてしまった。水面に光る朝日を目に入れて、けいちゃんの頭が目覚めてきたのだろう。
「……なんでだよ」
「ん?」
「なんで、けいちゃんは俺とエビをくっつけようとするわけ?」




