第43話 「エビは行きたい所に行けばいーんだよ」
運河沿いを歩きながら、暫く委員長とけいちゃんに連絡を飛ばすことを繰り返していた。レンガ造りの建物を照らす暖色の灯りが、運河を挟んでこちら側の石畳を浮き立たせている。
夏まっただ中ということもあって人通りは多い。肩を近づけて、お互いスマホを弄りながらのひたすらに歩いていた。
「あれえ?」と、伊勢がスマホのバックライトから顔を上げる。「こっちも駄目。委員長はともかく、けいちゃんまで出ないなんて……」
「もしかしたら、委員長に酒を飲まされてるのかもな」
「え。けいちゃんってお酒飲まないでしょ?」
「いや。飲めるけどビール一本ですぐ寝ちゃうんだよ。まあ、ホテル近いし潰れてもそんなに困らないとは思うけど」
「はあ……。じゃあ、どうする?」
心配だしホテルに戻ろうかな、と思ったが、ふと――
「小樽も、これで最後か」と、思い当たった。
「ん? 何?」
「あ、いや」一つ咳払いをして、運河とは反対方向の飲食街を指差す。「せっかく来たんだし、もうちょっと遊んでいこう。海鮮とか食べたいし」
「え〜。二人で〜? 私、今日は運転で疲れてるんだけどな〜」
体を少し捻らせながら、いつものムカつく笑顔でそう呻いてくる。
「それもそうだな。じゃ、ホテルに戻るか……」
とって返したところで、ぐるりと俺の体を回す伊勢。そのまま飲食街の方に背中をぐいぐいと押してくる。
「――疲れたけど!……せっかく久しぶりに小樽来たんだしっ。軽く飲んでからホテル帰ろ!」
「な、なんだよ。分かったから、押すな!」
*
それからは適当に二人で歩いて、目に付いた店を二件ほど過ごした。
こういうドライブ感に任せた飲み歩きについちゃ酒のペースが一致している伊勢とは気安く出歩ける。辛い酒にはならないし、話はまあまあ合うし、何より沈黙が苦ではない。
唯一気に掛かっていたのが、最初の夜やこの間のキス。とはいえ、彼女の方からきっぱりとそういうことはしないと言われたことで却って気軽に接することができるところは、正直ある。
月本に負い目を感じている伊勢が、俺と恋仲になることはないらしい。
この世界の何処かに月本がいる限り。俺たちが彼女に会えない限り。伊勢が、彼女に謝罪できない限り。
――月本を見つけることは適わない。
これらが意味するところは、つまり俺たちの関係は行き場も無く浮遊して、空中分解がオチだった、ってことなのかな。
……ホテルに戻る道中には、お互い少しだけ足取りがふらついていた。それでも理性が無いわけではないので一応車道を歩きながら、スマホでは地図を開いて――どうにかこうにか、ホテルに辿り着いたらしい。
受付の雰囲気はサウナのように簡素である。明らかに市内のホテルから零れた客をターゲティングしている小さなホテルだった。屋内廊下も特に何かしらの意図を感じない簡素さ。
「結局、残りの人たちはどうするんだっけ?」と、やや顔が冷めてきた伊勢が言い出した。
「もう他に北海道住みの同窓生候補はいないからな。割れている勤め先に、ダメ元でローラー作戦ってところじゃないか」
「じゃあ今回みたいな旅行も最後かあ」
「一応仕事だけどな」
「どうせなら、近場の行方不明者がもっといたら良かったのに。こういう機会って、大人になったらあんまりないでしょ?」
「行方不明者ってのは普通近場にいないもんだよ。……小畑の場合はちょっと特殊かもな。バーテンダー修行からそのまま店主になったんで、就活もしなかっただろうし、大きな組合に属したことがないのかも」俺とけいちゃんの部屋の前で立ち止まって、彼女の方に振り返る。「そもそも、旅行なんて行こうと思えば行けるんじゃん。出不精は感心しないね」
「で、出不精……」
「エビは行きたい所に行けばいーんだよ」
自分で言ってから我ながら納得するところがあって、不貞腐れた顔の彼女の背中をバシバシ叩く。結局の所、こいつは運命に躾された究極の出不精なのかも知れない。
「じゃあ、松尾が付き合ってよ。女一人旅なんて寂しいじゃん」
「はは……」何とも言えない笑いを浮かべて伊勢の言葉を見送った。「じゃ、俺寝るわ。また明日」
「はいはい。……」
お互い背中を向けて、対面同士の扉を開いた、と思ったら。
「ん……? ちょ、ちょっと待って!」
「あん?」
扉を開きかけたまま、伊勢の方に振り向く。何やら、中途半端に開いた扉に手を突っ込んでいた。
「なんかストッパー掛かってるんだけど!」
「ええ?」
見ると、細く開いた暗闇に確かに、金具の光沢が廊下の明かりを照り返している。ということは、先に部屋に戻った委員長がこれを掛けたということだ。
何故。
「委員長いるんだろ」
「でも部屋暗いし。……あれえ? お〜い、開けて〜。おお〜い……」
伊勢の呼び声も虚しく、暗闇から人の気配は漂ってこない。視界が狭くてベッドの方まで見えないが、ドア付近に女性ものの靴が揃えておいてあるではないか。
「靴がある」
「あ、ほんと! お〜い……」
「こりゃ、寝てるな。酔っ払って帰って、中で潰れてるんだろう」
「えっ!? どうしよう」
「取りあえずこっちの部屋に来れば?」
「でもそっちけいちゃんいるし。それに、男女同室って……」
「……それもそうか。っていうか、けいちゃんはまだ戻ってきていないみたいだけど」
さっき廊下を覗いたときはけいちゃんの靴がなかった。電気も付いていない。
「うそ-!? もしかして、委員長が何処かにおいてきちゃったんじゃないの!?」
「犬や猫じゃないんだから。取りあえず、もう一回連絡入れてみるか」
と、スマホでけいちゃんをコールしたら、何処からか着信音が鳴るのが聞こえた。それは俺たちの目の前、細く開いた闇の中からで――明らかに委員長がいる筈の部屋から響いてくる。
「…………」
伊勢が、そっと扉を閉ざした。
映画の濡れ場に居合わせたような沈鬱な気持ちで、廊下の壁に二人で寄りかかる。
「し、信じらんない。一体何考えてんのあの子たち!? 私たちが仕事している間に……ってこと!?」
「……な、なるほどね。二人電話に出なかったのはそういう……はあ……」
そういえば道中はやけに仲睦まじい雰囲気だと思ったが、まさか事態がここまで進んでいるとは夢にも思わなかった。
何故か、もの凄くショックを受けている俺がいる。
幾ら小学校の頃はモテていたといって、再開して数日のエリート女子を口説き落とすか? 普通。……いや、口説き落としたのはむしろ委員長の方か。ピュアなけいちゃんにそんなテクニックがあるとはとても思えん。
高所得のOLと、半端モンのYoutuber。これは一体どういうカップルなんでしょう。
兎にも角にも、そんなデコボココンビが今一つの部屋で過ごしているわけだ。今頃暗闇の中で俺たちの気配を伺っているんじゃないだろうか。
「流石に押し入るのは気が引けるよな。ははは……」
「当たり前でしょ!!」
その時、一部屋開けて奥の部屋の扉が開いた。ガウンを着た長髪の女性が、今し方大声で突っ込んだ伊勢を横目で睨みながらエレベーターホールへ向かっていく。
「……いつまでも廊下で喋ってたら迷惑だよな」
「そうは言っても、私はこの通り部屋に入れないし」
「……」
俺たちの目線が、本来俺とけいちゃんが泊まる筈だった部屋に注がれる。




