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第30話 「やるべきことが、見えてきたな」

「すっごいねーこれ」


 洗面所で顔を洗っていると、先に身支度を済ませた伊勢がリビングで声を挙げた。


「なにが-?」


「『月刊ヨミ』。創刊から揃ってるじゃないの」


「そんなドマイナーな雑誌、よく知ってるなあ」


「ちょっと前に話題になったじゃん。知らないの? 確か、記者の人が都市伝説の謎を解明? したとかなんとかで」


 知らない。


 確かに、事務所での会話ではそんな話がちょろっと上がることもあるんだけど、それは俺が東京にいた頃の出来事なのだ。


「へえ。……あ、その雑誌出してるとこに務めてんだよ。肩書きだけだけど」


「へええ! ふうん。じゃあお化けとかUMAとかのこと調べたりしてるわけ?」


「しないよそんなこと。言っただろ。俺は派遣の事務。せいぜい取材のメモを取ったり書類整理したり、荷物運びしたりくらいだ」


 世話になっているとはいえ、正直オカルト方面にはちっとも興味が無い俺である。一応取材に付き合ったりすることはあるんだが、記者の質問内容なんかはちっとも理解できない専門用語のオンパレードである。


 それにしても、今朝の伊勢は昨夜の調子から一転して明るい。色々わだかまっていたものを吐き出したんで心が軽くなったのか。


 始発に合わせてマンションを出ると、場所柄なのか、明らかに一晩過ごしたような男女がちらほらと通りを歩いていた。日は出ているが、空から地上の雰囲気はまだ夜の延長線という感じ。


 仕事があるとは言っても、今日は昼頃から学校に出勤すればそれで良いらしい。むしろ、俺たちが危惧しているのは家主である誉美に見つかることだ。


 勿論、俺と伊勢は表向き平穏な夜を過ごしたってことにはなるんだけど。だからこそなのか、虫のように建物から這い出てくる恋人という生き物を笑ってしまう俺たちの空気感があった。


「ところでどうするの。委員長のこと」


「委員長……ああぁ……委員長、な」


 忘れかけていた頃に厄介な存在を思い出させられた。


 よく考えたらこの成行は彼女の悪戯によってひねり出されたものに違いない。


「昨日、伊勢を放っておけば話はもう少し単純だったんだけど」


「……何それ、どういうこと?」


 俺は、昨晩の委員長との出来事や会話を粗方話した。ツーショットの写真を一方的に送りつけていたのは、伊勢に対する「仕返し」であったこと。委員長か伊勢か、選択によっては情報料をただにしてくれるという不埒な「条件」のこと。


 次第に、伊勢は肩を震わせる程に怒りに駆られたようだった。


「しっ、信じらんない……。じゃあ、私だけじゃなくて松尾まで委員長に弄ばれてたってこと!?」


「認めるのは癪だけど、そうなるのかなあ」


「絶対に許さないし!! 何が情報料! 何が条件!? まさか同級生の連絡先なんて知らなくて、私たちで遊んでいたってオチにはならない!?」


「そんな落語みたいなオチは御免被るかな。けど、委員長の伊勢に対する恨みってのも、あれで結構本気らしい」


 伊勢が呆れたようにねじれた唇を開き掛けたので、手で制止した。


「いや。お前に心当たりがないっていうのはもう十分理解しているから。俺が言ってるのは委員長は有りもしない恨み言で俺たちを弄んでるわけじゃないってこと。何かがあったのは確かだ。そして、エビにその自覚が無い、とすると……」


「なに?」


 俺は立ち止まって、何となくJRタワーの淡い輪郭を目でなぞった。


 ――果たして委員長は、自分がヒントを与えたことに気付いているのかな。


「やるべきことが、見えてきたな」


 *


 昨晩性欲に押された睡眠時間を二度寝で回収した後、丁度良く昼時だったのでラーメンを食べた。


 それから、一度事務所に顔を出して差し迫った仕事が無いことを確認しておく。普通の雑務を振られても断るつもりではあったが、一応伊勢との仕事だって急ぎというわけじゃない。


 俺はあくまで派遣事務。優先度が高いのは一応こっちの仕事だからな。


 狭い階段を登って事務所の扉を開くと開口一番で、


「おう、松尾。お前恋人できたのか」と、誉美が真っ正面から聞いてきた。


「…………」


 落ち着け……昨晩は間違いなく誉美と遭遇していない筈だ。だったら何故。……俺たちが寝ている間に、部屋に入ってきた? それでも流石に気付きそうなもんだが。


 黙りこくっていると、こちらを見ているもう一つの視線に気がつく。書類だらけのデスクに座っている、ライターの冴羽さんだ。ぼんやり目を合わせると、ぺろっと舌を出した。


 俺からすれば少し年上で中性的な顔立ちの美人なんだが、いかんせん口からオカルト関係の話しか出てこないんで恋人はいないらしい。


「ごめーん。昨晩見かけちゃってさ」


「……何を?」


「松尾君が、綺麗な人とパチンコ打ってるところ」


 俺は、心中手のひらを叩く思いだった。伊勢じゃなくて、委員長と一緒にいるところを目撃されたのか。


 誉美は腕を組んで椅子にもたれかかる。


「お前、全然そういう気配無いからな。二人で、変な幽霊に取り憑かれたんじゃないかって心配してたんだぞ。お前みたいな奴は女の幽霊の格好の的なんだ」


「一応生きてるから安心してください。あと、恋人とかじゃないんで。ただの元クラスメイトですよ」


 さらりと説明してしまうと、「な〜んだ」という雰囲気で二人はすっかり白けてしまった。


「うちの事務所には珍しく色恋話が出たと思ったのに。期待させやがって」


「いや。俺そういうキャラじゃないでしょ」


「別に良いんだぞ。恋人が出来たら勝手にそっちの家に居着いても」


 ……取りあえず、事務所は今日も平常運転ってところかな。


 *


 まだ伊勢は仕事中の筈だけど、手持ち無沙汰だったので北広島へ移動してしまった。彼女によれば、今日のところは昼から働き出して午後四時には抜け出して来られると言う。


 駅を出れば、焼け付くようなアスファルトが早速太陽の光を照り返してきた。すぽんと抜けるように広がる青空に、歩道の敷石やタイルの隙間から強靱に背を伸ばす雑草。これから札幌に向かうのだろうか、スーツを着たおっさんや、着飾った若い女性が何人か擦れ違って駅の入り口に吸い込まれていった。


 さて。来たは良いもののどこに行こうか。


 ……ま、伊勢の家かな。


 北広島でゆっくりできる場所と言えば、俺の中では既に伊勢の家がお決まりとなりつつある。エアコンが効いているし、風呂は自動給湯だし、テレビもNetflixも見られるし、コンビニも近い。一人で過ごすには何かと好条件が揃っていて――正直、間借りしている部屋より居心地が良い。


 ところが、駅から彼女の家に向かう道中に妙なことがあった。


 俺からワンブロックほどの距離を置いて、一台の自転車が同じ道を辿ってくるのである。一応尾行されている、のかな。


 なんで気がついたのかと言うと、あまりにもお粗末だったから。基本的に人通りの無い通りでこの距離感は近すぎるし、そもそも動き出すときに自転車のベルが鳴るので存在感マシマシだ。


 別に放っておいても良いかなと思ったけど、暇なので相手してやることにした。


 伊勢の家の近くのコンビニには、暇そうな茅森がレジに立っている。相変わらず研究と称してバイトをしているのか。ご苦労なことだ。


「よう」


「あっ。伊勢先生の……今どんな感じでしたっけ?」


「どうってこともないよ。それより、裏口使って良いかな」


「裏口? 何でですか?」


「どうも、尾けられているらしい」と、後ろを見ないまま店の外を顎で示す。「ちょっと驚かしてやろうかと思ってさ」


 茅森の視界には尾行者の姿が映っていたのだろう。「よく分かりませんけど、まあ良いですよ」と、あっさり承諾した。「トイレの横からバックヤードに入って、突き当たりに扉あるんで。そこっす」


「サンキュー。今度コーヒー奢ってやる」


「ほんとですかあ? 本気にしますよ〜」


 茅森の言うとおりにバックヤードから裏口に出ると、丁度正面から左に外へ出ることが出来た。そのまま裏手に回って、コンクリートの塀をひょいと越えたらもう見つかる心配は無い。距離を取ってコンビニ正面を観察すると、いつか見たような女の子が自転車に乗ってじろりと店内を睨んでいた。


 大ぶりなリボンのヘアゴムで結ったポニーテール。黒いTシャツに、オリーブのカーゴパンツ。跨がっているのは、多分男子向けのスポーティな自転車。


「帽子被らないと、熱中症になるぞ」


 声を掛けた途端、女の子はひっくり返る勢いでこちらを向いた。俺の顔を見て、さらに仰天の表情を浮かべる。


「……え!? なんで!?」


「年の功って奴かな」


 ――ん? よく見ればこの子の顔、見覚えあるかも。


 以前、集団下校の時に伊勢を言い負かしてた生意気そうな……くるみちゃん、だっけ?

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