第25話 「札幌は、地方だ」
「……ん? いくら?」と、やや蚊帳の外にいた伊勢が顔を近づけて、俺がそうしたように人差し指でゼロを数えた。「ご、五百万円!? これが情報料!?」
委員長はが俺たちの顔の前でスマホの画面を切り、ポケットにしまう。
「なんだか驚いているみたいだけど」鼻で笑ってから、どちらかと言えば伊勢に目を向けて言った。「個人情報には違いないもの。まさかタダで教えてあげるわけにはいかないわね」
「そ、それっておかしくない!? 私たち、何も見知らぬ人の連絡先教えてほしいって言ってるわけじゃないし! 友達でしょ!? 友達に友達の連絡先を聞くのにお金を取るわけ!?」
委員長はまた一つせせら笑うように歯を見せると、フローズンドリンクに口を付けた。
「あのねえ、エビさん。友達に友達のってあなたは言うけど、分かれてから十五年間経った人間同士なんて最早知り合いとすら言えないんじゃないかしら。大体、随分私の情報を当てにしているようだけど、他に交友関係が広い知り合いはいないわけ? それこそ、友達とか」
「!!……。……」
おお、なんか凄いことになっちゃったぞ。
取りあえずアイスコーヒーを啜りながら静観していたが、それ以上伊勢の口から反論は出ない気配だ。委員長に痛いところを突かれたのか、顔を真っ赤に染めて黙って――何故か、俺のふくらはぎを蹴ってくる。
……あ。そういえば俺、伊勢にフォローしてくれって頼まれてたんだっけ。断っちゃったけど。
「取りあえず情報料のことは置いとくとして、委員長がエビをブロックしてたのってそれが原因なのか?」
ズバリそのまま聞いてみると、「ちょっ」と慌てた伊勢が今度は太ももを掴んできた。が、
「なんだ、やっぱり気付いてたのね。なんか全然触れてこないから怖かったわ」と、委員長は全く平静なスタンスである。
「気付いてなきゃ、わざわざ俺の方から委員長に連絡取らないよ。なんか伊勢が失礼なこと言ったんじゃないかって思ってたけど、単純に疎遠になったからってことなのかな」
「まさか。疎遠になったくらいでブロックするなんて、ちょっと異常でしょう」
正直、委員長が異常者になってしまったのでは、と思っていたので、取りあえず常識的な価値観を持っているらしいことにホッとした。
「えー……じゃあなんで?」
「それは伊勢さんに聞いてみたらどう?」
委員長がこんなことを言うので、隣で太ももを掴んでいる伊勢の顔を見た。
「わ、私に聞かれても知らないし。だって、委員長とはそこまで話してなかったし……。なんか傷つけること言った、なら、謝る、けど」
「…………」
委員長が、少しだけ残念そうな顔をしたような気がした。が、すぐに眼鏡の位置を直したので目元の影が見えなくなってしまう。
「あ、そ。まあいいわ。それで情報料。払うの? 払わないの?」
「……無理だ。払えない」
「あら。即答なんだ?」
「単純に委員長が提示した金額は、着手金を大きく上回っているから。俺は仕事は出来るだけ楽に済ませたい性分だけど、そのために身銭を切るつもりはないし……切ったところで払えないってのが正直なとこかな」
「いやいやいや」と、伊勢がわざとらしく笑いながら立ち上がる。「そもそもこんな大金払うのマジで馬鹿馬鹿しいし。……もう帰ろ! 松尾!」
「ちょっと待て、エビ」去ろうとする伊勢の肘を掴んで、慌てて委員長に言った。「あのさ、交渉の余地あると思うんだけど」
「松尾!!」
「うん。エビさんはともかく、まっちゃんに恨みはないからね。こっちの条件を飲んでくれたら、負けるのもやぶさかではないかしら」
この口ぶりだと、委員長の伊勢に対する恨みは本物らしい。ちらりと伊勢を見やると、所在なさそうに唇を摘まんで引っ張っている。
「それで、条件っていうのは?」
「簡単なことよ」委員長は机に頬杖を突いて、眼鏡と眉の隙間から俺と直接目を合わせた。「私がエビさんをブロックした理由。それを当てられれば負けてあげるわ」
*
「全く、何なの!? 委員長のあの態度!!」
ラーメン屋に向かいつつ大通公園をふらふら歩いていたら、伊勢が急に大手を振って怒りを露わにする。
逃げるように喫茶店を去る伊勢を追ってからずっとこの調子だ。地下の道もあるのに、無闇に炎天下を歩き回っては俺に当たってくるんだよな……。
「結局、最後の最後まで伊勢と委員長の不仲が足を引っ張ったってことになるのかな。お前、本当に心当たりないわけ?」
「だから、何度も言ってるけど、無い!!」
伊勢の絶叫が、通りすがるちびっ子を驚かしてしまったようだった。慌てて「ごめんね~」と謝っているけど、もしかすれば彼女が児童に説教するときはこんなテンションなのかも知れない。
とはいえ、ここまで自信満々に言うんだから本当に心当たりはないんだろう。
「伊勢と委員長は別に仲悪かったわけでもないのに変だな。……とすると、勘違いとか、逆恨みとか。そういうのは?」
「勘違いはともかく、逆恨みぃ? 何よそれ」
「そうだな――」自分の状況から考える推測がふと口をついた。「たとえば、お前が無自覚に、委員長の好きな人に粉を掛けたとか。そういうの、結構相談されるトラブルの火種なんだよな」
実際、色恋沙汰から始まるいざこざは興信所では格好の銭の種になる。調査にかり出されて他人の逢瀬を監視するこっちの身からしたら溜まったもんじゃないが、とにかくそういうことだ。
世の中には、笑ってしまうような恨み辛みが思ったより多くある――というのは、俺の師匠(?)である甲斐の言葉だったかな。だから、虚心坦懐で物事に挑むべし、と。
伊勢は歩きながらゲッと顔を顰めて俺を振り返った。
「私が委員長の彼氏を、ってこと。あはは……普通にあり得ないから」
「どうかな。大学時代はどっちも札幌が拠点だったりしたようだし、変なとこで擦れ違ってる可能性、結構あると思うけど」
「下品な妄想に私を巻き込まないでくれる?」
「いや、妄想とかじゃなくって、こういうときは可能性を一つ一つ潰していくのが大事で――」
「なんかキモいんだけど。もういいよ、早くラーメン屋行こ。ムカついてたらお腹減っちゃったし」
話を強引に切り上げて、プリプリと前を歩いていってしまう。これでは全く話にならないではないか。
一歩後れを取ってから、肩を掴んで強引に振り向かせた。
「……おいっ」
「なによっ」
「さっきからどうして俺に当たる? 委員長の言動で不快になるのは分かるけど、そういうのは筋が違うだろ」
「……」
伊勢の目は力強く俺を捉えている、が、光に誘われる羽虫のようにくらくらと上の方に逃げてしまう。それから唇を変な形にくねらせて、
「――何か、嫌なんだけど」と、零した。
「嫌? 嫌って、何が」
「松尾が委員長と話したりするのが、嫌」
「……はあ?」
「会っていきなり『綺麗になったね』とか、そういうこと言うし。私にはそんなこと言わなかったし」
「……」
一度感情を吐露したからか、伊勢は堰をきったように喋り出した。
「なんか二人、私を除け者にして勝手に会話盛り上がったりてる感じだったし。LINEのやり取りだって久しぶりだったのに親しげだったし、委員長は当て付けみたいに松尾のこと『まっちゃん』って呼んだりするし……そういうのが、マジで嫌。なんか扱いの差を感じる」
――伊勢先生は、あなたに贔屓して欲しかったんでしょ。色んな理屈を置いといて、兎にも角にも自分が正しいと肯定して貰いたかったんですよ……
そんな言葉がふっと蘇った。茅森の言うことは正しいのだろうか。
なにしろ、伊勢の言い分はまともな常識から照らし合わせれば無茶苦茶の一言なのである。伊勢と委員長の仲を取り持たせるにしても、そもそも俺と委員長の仲が拗れてしまったらどうしようもないというのに。
そういった事情を置いといて伊勢に味方する。それこそ、都合の良い男、なのではないか。
何も言わない俺を前に、伊勢は諦観が絡まった笑顔を見せた。
「結局男の人が好きなのって、ああいう都会で独り立ちしてる女性なんでしょ?」
……もしかして、伊勢は伊勢で田舎コンプレックスみたいなものを抱えていたりするのだろうか。普段は北広島こそ至高! みたいな言動を繰り返しているが、いざ札幌で暮らす委員長を前にして、気分がささくれ立ってしまったのかも。
だとすればそれは――
「二つ、大きな勘違いをしているみたいだな」
「なによそれ。……二つ?」
「東京住みの人間からすれば」空咳で喉の調子を整えてから、言う。「札幌は、地方だ」
伊勢の表情がガラリと砕けた。シリアスに固まった心が、諧謔によって絆されたようだった。
「は、はあ。ばーか」
「もう一つ。独り立ちというものに地方も都会も関係ない。伊勢だって北広島で立派な仕事をしているだろ。給料とか生活の質には色々差はあるかも知れないけど、どっちも立場は同じ。卑下する必要は無いだろ。……俺、こんなんだからお前のことは普通に尊敬してるし、委員長とエビは全然別の人間だから」
「ふーん」
伊勢は納得したように鼻を鳴らしているが、俺は自分の言っていることがよく分からなくなってきた。
「……取りあえず、ラーメン食べるか」
「うん」




