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第14話 「……言いたいことあるなら言えし」

 八時四十五分に目が覚めた。


 俺は今の瞬間まで、腕を組んでソファに座っていたのである。仮眠を取るときは、できるだけ寝にくい姿勢で意識を失うと短時間でもきっちりと起きられる。――その分、疲れはとれないんだけど。


 以上、碌でもない知識。


 伊勢宅のシャワーを借りて、ちょっと迷った挙げ句リビングのゴミ箱に古い下着は捨てる。


 さてと。聞き込みを始めるか。


 あ。そうだ。ついでに連絡の付かないクラスメートの家にも訪ねてみよう。


「ふっ」


 思わず鼻から息が抜けた。面倒な仕事は同時並行で勧めるに限る。要領が良いっていうのは、こういうことだよ。


 九時前の北広島は、昨晩のじめっとした雨も忘れて靴底を擦ればカラカラと鳴るくらい乾燥している快晴。


 ……そういえば、ドローンは飛んでないみたいだな。


 *


 幅広な歩道を、三名の小学生が歩いてくる。子供たちは伊勢の足下をのたのたと話ながら歩いていて、今二人の児童が列を抜けて、「エビセンさようならーっ」と走り去っていった。


 一方、伊勢と残った一人の少女は、ぶつぶつ言いながらその場に蹲ってしまう。


 伊勢から連絡を受けた俺は、聞き込みを切り上げて校門からここまでを一つ隣の通りからそれとなく観察していたのである。これが都会であればすぐさま不審者扱いされるところだろうが、ここは北広島。のどかだし、迎えに来た保護者を除いて人通りが少ないから気楽なもんだ。


「どうしたの、くるみちゃん。もうすぐお家でしょ?」


 伊勢は膝を折って目線を合わせると、励ますように女の子の肩を叩いた。


「私さあ、もう学校行きたくないんだよね」


 なんだか、こまっしゃくれたしゃべり方をする子だ。


「なんで? 楽しくない? 今日は頑張って来れたのに」


「勉強しても意味ないんだもん」


「意味あるじゃない!」


「え~~?」


「勉強したら、都会の学校に通えたり、都会の会社で働けたりできるんだよ。凄くない?」


「でも、日本の景気悪いんだもん」


 電柱の影で二人の会話を聞いていて、なんだか口元が綻んでしまった。勉強を頑張る理由が都会に行けるからで、やる気が出ない理由は景気が悪いから、か。なんともスケールの大きな進路相談だ。


 ――くるみちゃん、と伊勢が呼ぶ女の子は小三くらいなのかな。伊勢の口ぶりからすると、不登校予備軍って感じなんだろうか。


「ていうかさあ、それじゃあさあ、エビセンは勉強できなかったから都会にいけなかったの?」


「えっ!? いや、私はね……」


「言ってること、全然説得力ないじゃん。それでも先生なの?」


 そう言い捨てて、くるみちゃんはロックしていないランドセルの蓋をペタペタ鳴らして去ってしまった。


 笑いを噛み殺しながら歩道で項垂れている伊勢に歩み寄る。


「子供に言い包められるなんて、小学校教師も形無しだよな」


 伊勢はとっくに俺の存在に気がついていたんだろう。大して驚きもせずに顰めっ面を上げて、


「ふらふらしてる松尾と違って、私は責任が重い仕事をしてんの。外野から茶化されるの普通にむかつくんだけど」と、馴れ合いではない肌感の言葉を吐いてくる。


「……」


 思わず返す言葉を失う俺を前に、伊勢は頭を振って立ち上がって言った。


「――ごめ、八つ当たりみたいなこと言っちゃった」


「いや。俺も悪かった。社会的な立場はもう大人だってのに、つい子供の頃みたいなノリであれこれ言っちゃうんだ」


「それは私もそうだし。別に良い――」伊勢が俺を二度見した。「なんでそんなに濡れてんの!? 雨降ったっけ?」


「あ、汗だよ」


「まさか走り回っていたわけじゃないでしょ?」


 シャツの襟で仰ぎながら呻いた。北海道なんて世間で言われるほど涼しくないし、何より広い! 徒歩で聞き込みをするだけだった筈が、この町内を歩いて回るとなると結構な運動になるのだ。


 伊勢と一緒に学校までの道を歩き始める。全然日も出ているので不審者が出る雰囲気ではないが、彼女の話では昨日このタイミングでストーカーが現れたらしい。


「お、俺のことは良いんだよ。それより、朝飯ありがとな」


「あ――」伊勢は何故か顔を背ける。「別に、ついでで作っただけだし? なんか、形が変になっちゃったから松尾用に置いといただし」


「普通に美味しかったよ。俺、卵焼きと鮭好きなんだよね」


「あ、うん。で、聞き込みは? 不審者見つけた? 会った!?」


「会ってない。一通り近隣住民に聞いてみたけど、男のことを見かけたり、知っている人はいないみたいだな。にしても、ここらのママ友ネットワークは凄いよ。四軒回る頃には俺のことが広まってたみたいで、なんか逆に色々聞かれて参った」


 伊勢はふにゃっと曖昧な笑い方をした。


「ははは。ここら辺の人って大体町内会のLINEで繋がってるから、結構雰囲気良いんだ。……って、それは何の成果も無いってコトじゃん!」


「……。まあ、そう言われればそうなんだけど」


「どうすんの!?」


 鬼気迫った表情でそう詰めてくる。しかし、これ以上のことをしろと言われてもこちらとしては正直困るんだよな。何度も言うが、不審者退治なんて通常の業務じゃないし。


 ちょっと前にすすきので同じような被害に悩めるキャバ嬢の助けをしたことはあったが、あの時はもう少し話が簡単だったんだけど……。


「今夜も張り込むよ。埒があかないようなら、強引なやり方もあるからな」


「それって、また私の軽に寝泊まりするってこと?」


「寝てはいないけど、そうだよ」


 ここで会話が途切れてしまったが、伊勢の言いたいことは分かる。わざわざ車中で夜を明かすくらいなら部屋のソファで寝た方がよほど賢い選択だ。


 ただ、俺たちの間には再会した夜の悲惨な出来事がわだかまっていて……。


 ――というわけで、今夜も俺は車中で張り込むことになるんだろうな。


 思わず溜息を吐いてしまって、それが癪に障ったようだった。


「……言いたいことあるなら言えし」


「目撃談が無いってのが妙なんだよなあ」と、慌てて話を転がした。「わざわざ雨の夜に、片手で傘を差して自転車を漕いでたんだ。そんなんで遠方から来るコトってあるか? 絶対近くに住んでいると思うんだけど」


「言われてみれば、そうかも。ふん――」伊勢は目の下に皺を寄せて、にやりと笑う。「幽霊、だったりしてね。ふふっ」


「滅茶苦茶写真に写ってるんだけど。ふっ。案外それ有るかもな。亡くなった同級生が、夜な夜な同窓会の参加表明をしに来たとか……」


「ちょ、やだ。止めてよ! もお~」


 そんな馬鹿話でくすくす笑い合っていたら、突然脇道から自転車がぬっと走り出てきたので俺たちは息が止まるほど驚いてしまった。


 なにしろ、自転車に乗っているその男は昨晩家の前に現れた例の不審者なのである。


 ――マジか。本当に出やがった。


 ……二度目だな。これ。


 ギョッと固まっている伊勢に背中をくっ付けるようにして前へ出ると、金髪男は俺を不思議そうに見つめながらきちんとママチャリのストッパーを立てて停めた。


「なあ、エビちゃん。その人誰よ?」と、見てくれと状況に似つかわしくない、明るい声で聞いてくる。まるで、旧来の友人のようじゃないか。この状況では不気味極まりない。


「……え、えっ?……と……」


「伊勢。返事しなくて良いから。後ろに下がってろ」


「あ、う、うん」


 ……ところが、伊勢は俺のシャツの裾を掴んだまま離れていかない。ただでさえ勝率が低いというのにこんな足手纏いをされてはものの数秒でノックダウンされるんじゃないだろうか。


 俄然、不安になってきた。そうこうしている間にも、金髪男は無遠慮に間を詰めてくる。


「エビちゃん。なあ、エビちゃんって。どうしたの。俺の顔見てくれよ」


「めっちゃお前のこと呼んでるけど、知り合いじゃないんだよな?」


「し、知らないしっ! そんな人、見たことないもん!」


「見たことないって、ひでえなあ。俺だよ俺」


 にしては間合いの詰め方に遠慮がないんだが――


 まさか、元カレか?


 とうとう男は俺の眼前で立ち止まる。近くで見てようやく彼の顔に焦点が合ったが、攻撃的な見てくれの割に妙に幼い顔つきで、異様に澄んだ瞳をしていて……。


「…………」


「…………」


 暫し見つめ合ってハッとした。男の方も俺と同じような顔で驚いている。


「――けいちゃん!?」

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