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第11話 「最っ――低!!」

 電話を掛けて掛けて掛けまくった結果、連絡簿の番号は半分程度が不通になっていることが分かった。


 固定電話を解約して携帯電話を使うようになった――何処かへ転居してしまった――理由は色々考えられるけど、とにかく予想してたより手間取りそうな雰囲気になってきたな。せめて、所在確認くらいはできると良いんだが……。


 一つ、気がかりなのは旧友であるけんちゃん――武藤圭斗の家電が不通だったこと。記憶の中の彼の家は、結構立派な一戸建てだった。引っ越した可能性は低いと思う。訪問して現況を確認するしかないか。拠点になっている伊勢の家からは遠いけど、そのうち時間を作ろう。


 ……けいちゃんは今、何をしているのかな。もしかすれば、とっくに結婚して子供がいるのかも。


「全く、いつまで事務所の電話使ってるんだよ。大事な連絡逃したらどうする」


 文句を呟きながら、誉美が窮屈そうに俺の背中の後ろを抜けていく。なにしろこの事務所はただでさえ手狭な間取りの上、缶コーヒーの空き缶がそこらに散らばって、それ以上に書類が所々で山を成しているのだ。社員の女子比率は高いのに、誰も気にするやつはいないのだろうか。


 ここの社員が殆ど出払っているのも、もしかすれば事務所の人口密度を気にしてのことかもしれない。


「良いじゃないですか。この電話使ってるとこ見たことないし……。大事な連絡こそ携帯の方にするでしょ、今時」


 誉美は出っ張った腹を摩りながら、大儀そうに社長椅子(ただの回転椅子)

に落ち着いた。


「バァカ。読者からネタを受け付けてる大事な電話なんだぞ。たまに――ってか、殆ど電波系だけどな」


「心配しなくても俺の用事は済ませましたんで」俺は受話器をセットして言った。「使いたきゃどうぞ」


「例の同級生捜しか?……お前、結局甲斐のところ辞めるのか? 今時探偵業なんて格好良くもないし、金も儲からんだろ」


「それを悩んでいるんです。まあ、急な仕事でそれどころじゃなくなりましたけどね。大体、昔は社長もうちの所長とすすきので馬鹿なことやってたんでしょ」


「昔は稼げたんだよ。ここらじゃ運転ができて、アイスバーンの上を全力疾走できて、喧嘩がちょっと強かったら大抵の仕事が熟せたのさ。長く生きるには時流を読まないとな、時流を」


 すすきので小さな雑誌社をやりくりする誉美社長と、渋谷で興信所を構える甲斐所長。二人は大学の同期で、彼らの青春はそれなりにドラマチックなものだったそうだ。結局、札幌に残った誉美と上京した甲斐は袂を分かったわけなんだが……この二人の腐れ縁に人生を振り回されている俺は、一体どういう存在なのかな。


 地元に帰るか悩んでいた俺を、甲斐は誉美に口利きして半ば無理矢理人材派遣させたのである。実家が札幌郊外の俺からすればありがたい話だけど、結局甲斐の真意は分からないまま。今だって事務の手伝いというよりは、誉美の私的な便利屋を手伝わされているようなもんだし。


 お前に調査員は向かんからそっちで仕事を探せ、ということなんだろうか。


 ……今は目の前の仕事を粛々と熟すとしよう。


 *


 連絡帳の電話番号は伊勢と俺とで分けてある。勿論、俺の方が量は多いが。


 一度彼女と打ち合わせをしたいんだけど、俺としたことが名刺を渡しただけで彼女の電話番号を聞きそびれてしまった。


 申し訳ないが、一旦北方先生に取り次いで貰って――と考えていたら、喫茶店の机に置いといたスマホが突然着信を告げた。知らない携帯番号だ。


「はい。松尾ですが」


「……あ、私……」


「伊勢か。丁度今こっちから連絡しようと思ってたんだ。クラスメイト捜しの件だけど」


「ちょっと待って。今すぐこっち来れる……?」


 なんだか電話口の伊勢の声が弱々しい。声も籠もっているようだし、仕事を抜け出して、学校のトイレか何処かでこっそり電話を掛けているって感じか。


「北広島に? 今日平日だろ。休日の方が――」


「不審者が出たのっ!」


「えっ」


 予想もしないワードに一瞬が思考が止まった。


「つい昨日、児童が下校中に変な男から声を掛けられたって事案があって」


「……マジか」


 落ち着かない話になってきたので、通話をしながら会計を済ませて外に出る。


 七月に入って、札幌の夏もいよいよ猛威を奮っていた。少し歩いただけで強力な直射日光が体の水を染み出させてくる。救いなのは、東京とは違ってからりと乾燥していること。あと、圧倒的に人口が少ない。


 喫茶店から北へ一ブロック移動すれば、そこは大通公園だ。ここら辺に用事があるわけではないが、噴水が涼しげで思わず寄ってしまう。


「うん。それで、今日から集団下校だったのね? 私、引率で途中まで児童を送ってたんだけど、なんか、変な人の気配感じて……」


「子供が襲われたのか……!?」


「あっ、いや。ううん。その時、児童はいなかったんだけど」


「……え? っと……」


 どういうことだろう。集団下校の引率をしていた、という話の流れで、何故児童がいない。


「だから、児童を送った後の話なのっ!」


「ああ?」


「私が通学路から学校に戻る途中で、変な人の気配を感じたのっ! ねえ、これってストーカーだと思わない!?」


「あー。……」


 通学路に不審者が現れた。子供への声かけ事案が発生した。伊勢が通学路を学校へ移動中、変な人の気配を感じた。……と、証言を整理すればこうなる。


 この中で明らかに客観性に欠けるのは、伊勢が感じたという人の気配。


 伊勢も伊勢で年頃の女性ではあるから、そういった情報に過敏になっているところはあるんじゃないだろうか。


「ねえっ、マジでこっち来てよ。怖いんですけど」


「エビ、学校から家までは車で移動してたよな?」


「そうだけど、夜にコンビニ行くときとかさ……」


「警察に相談は?」


「し、してない。不審者見たわけじゃないし、児童を差し置いて先生が大騒ぎするっていうのはちょっとね。でも、私を追ってくるような足音を聞いた気がするし」


「学校の他の先生には? 北方先生じゃなくとも、男性はいるよな」


「いるけど、松尾がいるから、松尾で良いじゃん」


「…………」


 こいつは、俺のことを何だと思ってるんだ。


 俺は、公園のベンチに座った。


「…………。えっ? 来ないの?」


「逆に俺が行く理由が見つからないんだけど」


「っ、はあっ!? あんたマジで言ってんの!?」


「今俺がそっち行って一体何をするっていうんだよ。不安になるのは分かるけど、一日中警護するなんてそれこそエビの部屋に寝泊まりするくらいじゃないと――とにかく、不要な外出は控えて、戸締まりはしっかりして、明日は……」


「最っ――低!!」


 罵倒の残響を残して通話を切られてしまった。


「最低ってか……」


 少し呆然として、通話相手のいないスマホの画面を見つめる。ともすれば頭を冷やした彼女からすぐに連絡が来るかと思ったが、しばらく待ってもスマホが鳴ることはない。


 噴水の前では、伊勢が怯えているなんてことを知る由もないちびっ子たちが水に濡れてはしゃいでいた。平和という言葉が似つかわしい光景だ。


 ……ミスったかなあ……。


 そんな疑問が、むくむくと顔を出す。


 平和惚けしている伊勢が過剰に怯えている可能性は高いと思うし、俺が彼女に会いに行ったところで何かができるというわけではないことは確かだ。けど、それはそれとして、怯える彼女を宥め賺しに片道二十分の電車を見過ごすというのも薄情な話ではないか。


 散々迷って、結局俺はコールバックした。すると、


 ――ツー、ツー、ツー……


 と、感情のない電子音が空しく響いてくるではないか。これは、相手が通話中、若しくは通話相手に着信拒否されている場合に鳴る音。今回の場合は間違いなく後者。


「……あの野郎」


 連絡先を交換してから最初の通話で着拒する奴があるか。これだから感情に振り回される奴は嫌なんだ。


 ところが、ベンチを立った俺の手の中でスマホは再び着信を報せたのだ。ただし、伊勢の番号ではない。


「……はい。松尾ですが」


「あ。もしもしい。私ですけど」


 聞き覚えのない、若い女性の声。……いや、あるな。


「一応聞くけど、誰だお前」


「え!? 忘れちゃったんですかあ? 茅森ですよお」


 ベンチに座り直して、溜息を吐いた。どうして物理的に離れている憎き姫カットの声を聴かなければいけないのか。


「……伊勢から聞いたのか。連絡先」


「あ、はい。なんかあ、さっきすっごいプンプンしながら店に来てえ、あなたに伝言頼まれたんですよねえ」


「なんて?」


「リエ先生より――絶対に許さない。ですって」

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