第03話
◇ 影を裂く夜明け ◇
夜明けとは名ばかりの灰色の光が、廃墟の大地をうっすらと照らし始めていた。薄暗い世界において、それはほんの一瞬だけ希望を連想させるものだった。しかし、カイたちにはそれを楽しむ余裕などなかった。
前夜の瘴気との戦いでリリィの身体に現れた新たな狂花病の兆候――紅い花弁の模様は、一晩経っても消えなかった。それどころか、彼女の頬や腕にまで広がりを見せていた。
「これがどれくらい進行してるのか分からないけど、あんまり時間がないのは確かだ。」
イサムが背中に背負った銃を点検しながら、無機質な声で言った。
「時間がないって……それでも、彼女を助ける方法はまだあるんだろ?」
カイの声は焦りに震えていた。彼の瞳はリリィを見つめたまま、まるで何かを祈るようだった。
「助ける方法ならある。ただし、それが確実に成功するかどうかは誰にも分からない。」
イサムは淡々と答えながら地図を広げ、次の行き先を示した。
「塔に辿り着く前に、廃鉱を抜ける必要がある。この近辺では瘴気が最も濃いエリアだ。そこでやられるかもしれないが、ここにとどまればじきに奴らに見つかる。」
イサムの指が示す地図上の点は、廃鉱と呼ばれる広大な鉱山跡地だった。瘴気の濃度が異常なだけでなく、そこには無数の喰らい花が棲みついているという噂があった。
「そんなところに行ったら、リリィは――」
カイが言葉を飲み込む。だが、それを聞いたリリィは力なく微笑んだ。
「大丈夫。私なら平気だよ。……きっとね。」
その微笑みには、どこか諦めにも似た覚悟が垣間見えた。
「廃鉱への道程」。
三人は黙々と歩き続けた。廃墟の建物が徐々に少なくなり、大地はむき出しの土と錆びた金属で覆われ始めた。廃鉱はすぐそこだった。
「瘴気が濃くなってきたな。」
イサムが警戒心を強める中、カイはリリィの顔色を気にしていた。
「リリィ、本当に大丈夫なのか?」
「大丈夫だってば。」
彼女は笑顔を浮かべようとしたが、それはすぐに崩れた。足元がふらつき、思わずカイの肩に手をつく。
「平気じゃないだろ!」
カイは苛立ちを隠さず声を荒げた。しかしリリィはゆっくりと首を振った。
「カイが怒っても、私が弱ってるのは変わらないでしょ。でも、行かなきゃならないんだよね。」
彼女の言葉にカイは何も返せなかった。ただ、短剣を握る手に力を込め、先を行くイサムに追いついた。
◇ 廃鉱の闇 ◇
廃鉱の入り口は巨大な鋼鉄のゲートで塞がれていたが、それは半ば朽ち果て、内側が見えるほどに崩れていた。入り口から吹き出してくる瘴気は、息をするのも困難なほど濃厚だった。
「ここからが本番だ。」
イサムが銃を構え、薄暗い坑道に足を踏み入れた。
「気を抜くな、何が出てくるか分からないぞ。」
坑道内は静寂に包まれていたが、その静けさが逆に不気味さを際立たせていた。壁に埋め込まれた古びた鉱石が微かに光を放ち、ぼんやりとした明かりが足元を照らしている。
「この光、綺麗……」
リリィがつぶやいた。彼女の声は弱々しいが、その瞳だけは鉱石の輝きに見入っていた。
「瘴気に含まれる成分が鉱石に染み込んでいる。きれいに見えるが、触れるな。」
イサムの冷たい言葉が、ほんの少しの安らぎさえも打ち砕いた。
◇ 襲撃 ◇
突然、背後から激しい足音が響いた。
「来たか……!」
イサムがすかさず身を翻し、暗闇に向けて銃弾を放つ。
現れたのは喰らい花だった。四足の獣のように這うその異形は、鉱石の光を反射しながら迫ってきた。
「リリィ、下がっていろ!」
カイは短剣を手に、喰らい花に立ち向かった。鋭い牙を持つその怪物が跳びかかる瞬間、彼は素早く横へ回り込み、その喉元に短剣を突き立てた。
しかし、それだけでは動きを止められない。喰らい花は叫び声を上げ、さらに凶暴性を増した。
「時間を稼ぐ!イサム、援護を!」
「言われなくても!」
イサムが再び銃を放ち、喰らい花の頭部を貫いた。ようやくその巨体が地面に崩れ落ち、静寂が戻った。
◇ リリィの異変 ◇
戦いが終わると同時に、リリィが突然その場に膝をついた。
「リリィ!」
カイが駆け寄ると、彼女は息を切らしていた。紅い花弁状の模様がさらに広がり、彼女の肌を覆い始めていた。
「私……もう、あまり時間がないかも……」
その言葉にカイは絶望を感じた。しかし、リリィは弱々しいながらも微笑みを浮かべた。
「でも、進もう。こんなところで止まるわけにはいかない。」
カイは彼女を抱き起こし、決意を込めて言った。
「絶対に助ける。そのためにここまで来たんだ。お前を守るって、俺が決めたんだ。」
その言葉にリリィの目が潤んだが、彼女は何も言わず、ただカイに寄り添った。
◇ 次の試練へ ◇
廃鉱を抜けると、目の前には瘴気に覆われた巨大な塔がそびえ立っていた。その姿は、この世の終わりそのものを象徴しているかのようだった。
「ここが瘴気の源だ。」
イサムが呟き、拳を握りしめた。
塔の中で何が待っているのか、誰にも分からない。しかし、カイはただ一つだけ確信していた。
「絶対にリリィを救う。そして、この地獄を終わらせる。」
その決意を胸に、三人は足を進めた。死と再生の狭間で、彼らの旅はさらに深い闇へと向かっていく――。
◇ 咎の記憶 ◇
瘴気の塔を前に、カイたちは立ち尽くしていた。これまでの廃墟や廃鉱とは違う異様な雰囲気が漂っている。塔の表面は黒く焦げたような質感で、所々に赤い亀裂が走り、内部から瘴気が滲み出していた。その異様な輝きは、まるで呼吸する生き物のようだった。
「ここが瘴気の源か……」
カイが息を飲みながら呟いた。その声に応えるように、リリィが前へ一歩踏み出す。
「この中に、私たちが探している答えがあるんだよね。」
彼女の声は震えていたが、その目には希望の光が宿っていた。それがかえってカイの胸を締め付けた。
「行くしかないな。」
イサムが背負った銃を構えながら短く言う。
「……ああ。でも、気をつけてくれ。」
カイは短剣を手に、周囲を警戒しながら二人の後に続いた。
◇ 塔の内部 記憶の迷宮 ◇
塔の中は外観以上に異質だった。壁や床には黒く光る瘴気の結晶が無数に散りばめられ、歩くたびに靴底がべたつくような感触が伝わってくる。さらに、空気そのものが異様に重い。呼吸をするたび、胸に刺さるような痛みが広がった。
「この空気……生きてるみたいだ。」
カイが眉をひそめると、イサムが小さく頷いた。
「この塔はただの建造物じゃない。瘴気そのものが作り出した“器”だ。つまり、ここに入るってことは瘴気の意志の中に入るようなものだ。」
「意志……?」
カイの問いに、イサムはそれ以上答えなかった。ただ先を進む彼の姿に緊張感が漂っている。
突然、リリィが足を止めた。
「リリィ、どうした?」
カイが振り返ると、彼女の表情が固まっていた。
「……聞こえる。歌が……誰かが歌ってる。」
「歌?」
カイとイサムが耳を澄ますが、何も聞こえない。しかしリリィはその場に立ち尽くしたまま、虚空を見つめていた。
「誰かが……呼んでる気がする。私を……この奥へ……」
「気を確かに持て。瘴気に惑わされてるだけだ!」
イサムが鋭く叱責したが、リリィの体は震えていた。
「違う……これは、私の中の……記憶?」
◇ 喰らい花の襲撃 ◇
突然、塔の奥から獣のような咆哮が響いた。
「来るぞ!」
イサムが叫び、銃を構えた。
暗闇の中から現れたのは、これまでに見た喰らい花とは異なる存在だった。体は人間のような形を保っていたが、全身に瘴気の結晶が生え、眼窩には赤い光が宿っている。その動きはまるで糸で操られているかのようにぎこちなかったが、確実に三人に向かって迫っていた。
「なんだこいつ……!」
カイは短剣を構え、リリィを背後に庇った。
「気をつけろ!瘴気に侵されきった奴らだ。理性もないが、力は普通の喰らい花以上だ!」
イサムが応戦し、次々と弾丸を撃ち込むが、敵は怯む様子もなく接近してくる。
カイも短剣で応戦するが、相手の力は予想以上だった。一撃を受けただけで壁に叩きつけられ、息が詰まる。
「くそっ……!」
そのとき、リリィが小さく歌い始めた。
「リリィ、何をしてるんだ!?」
カイが叫ぶが、彼女の歌は止まらない。柔らかなメロディが塔の中に響き渡ると、喰らい花が突然動きを止めた。
「やっぱり……効いてる。」
リリィが呟く。
しかし次の瞬間、喰らい花の体が激しく痙攣し始め、さらに凶暴化していく。
「くそっ!逆効果だ!」
イサムが叫び、銃を再び構えた。しかしリリィは怯まず、さらに歌声を強めた。
「この歌で……呼び覚ませるはずなんだ……!」
彼女の声とともに、喰らい花の動きが再び鈍る。その一瞬の隙を突き、カイは短剣で止めを刺した。
「無茶するな!」
カイがリリィを叱るが、彼女の顔は青ざめながらも決意に満ちていた。
「分かったの……この歌は、狂花病に飲み込まれた人の記憶に触れる力がある。もしかしたら、喰らい花を止める鍵になるかもしれない。」
「鍵だって……?」
カイは息を整えながら、その言葉を反芻した。
◇ 深淵の扉 ◇
戦闘が終わり、三人は再び奥へと進んだ。塔の中心部には巨大な扉がそびえ立っていた。赤い光が縁を這い、瘴気が渦巻くように漏れ出している。
「これが、瘴気の核へ続く扉だろう。」
イサムが低い声で呟いた。
「リリィ、本当に歌で喰らい花をどうにかできるのか?」
カイが不安そうに尋ねると、リリィは小さく頷いた。
「分からない。でも、何かを感じるの。……私がこれを使うために、狂花病になったんじゃないかって。」
「そんな……お前が病気になったのが意味だなんて……!」
カイは思わず声を荒げたが、リリィは静かに微笑んだ。
「カイが守ってくれるなら、大丈夫だよ。」
その言葉にカイは拳を握りしめ、彼女を守る決意を新たにした。
イサムが扉を開こうとしたその瞬間、塔全体が震え、地面が崩れ始めた。
「急げ!何かが起きるぞ!」
イサムの叫びと同時に、扉の奥からまた新たな咆哮が響き渡った――それは、今までのどの喰らい花とも違う、瘴気そのもののような不気味な響きだった。
◇ 次への試練 ◇
「ここで終わらせる……!」
カイが短剣を握り締めた。
「大丈夫、カイならできる。」
リリィの言葉に勇気を得たカイは、扉の奥へと足を踏み入れた。
その先には、さらに深い闇と、瘴気の真実が待ち受けている――。