第16話
◇ 交錯する運命 崩壊の光 ◇
カイの視界が白い閃光で満たされた。全身を覆う衝撃が彼を地面に叩きつける。呼吸ができず、肺が焼けつくような感覚に襲われたが、何とか体を起こす。周囲の景色は完全に変わっていた。
瘴気の渦は消え去り、ただ一面に広がる灰色の大地。その中心には巨大な結晶が崩れ落ち、瘴気が煙のように消散していく様子が見えた。
「……リリィ……」
彼女の名を呼びながら、カイは朦朧とした意識の中で立ち上がる。しかし、そこに彼女の姿はなかった。
「おい、目を覚ませ!」
イサムの声が鋭く響く。振り返ると、彼もまた倒れた瓦礫の山の中から這い出してきていた。額に血が流れ、肩が不自然な角度に曲がっているが、彼の視線は鋭かった。
「リリィは……」
「見当たらない。」
イサムは短く答え、周囲を見渡した。
「だが、まだ終わっていない。この結晶を完全に破壊するまでは、瘴気の源が再生する可能性がある。」
カイは震える手で短剣を握りしめた。
「……リリィがここにいるはずだ。彼女が……歌っていたんだ!」
「それがどうした?」
イサムが冷たい声で返す。
「リリィがどうなったかは、まだわからない。だが、お前が迷えば、その先にあるのは確実な死だ。」
カイの胸には怒りと悲しみが沸き上がったが、彼の視線は崩壊した結晶に固定される。何かが――その内部で微かに動いているのを感じ取った。
◇ 碎けた結晶の中で ◇
カイは崩壊した結晶の破片へと歩み寄る。周囲にはまだ瘴気の残滓が漂い、そのたびに肺を刺すような痛みが襲ってくるが、それでも足を止めるわけにはいかなかった。
「カイ、待て!」
イサムが警告する声を上げる。しかし、カイの心にはもう何も響かない。
結晶の中心部にたどり着いたとき、それはそこにいた。
「……リリィ!」
彼女は倒れ込むように地面に座り込んでいた。結晶の中から解き放たれたかのように、彼女の体には薄く光る瘴気の跡が絡みついていた。
「リリィ!」
カイが駆け寄ると、リリィの瞳がゆっくりと開いた。その目には、いつもの輝きとは異なる冷たい光が宿っていた。
「カイ……?」
彼女が呟く。
「無事か?」
カイは彼女の肩を掴む。しかし、リリィの体温は異様に冷たく、彼の不安を増幅させる。
「……何かが……私の中に入ってきた気がする。」
リリィの声は弱々しく震えていた。
「でも、まだ……自分が自分じゃないみたい……」
「どういうことだ?」
カイは問いかけた。
イサムが慎重に近づいてきた。
「気をつけろ、カイ。それは……おそらく瘴気そのものだ。」
「瘴気……?」
「瘴気の源が彼女の体を宿主にしようとしている可能性が高い。」
イサムの言葉には、いつになく真剣な色があった。
「リリィがその影響を完全に受け入れれば、彼女はもう人間ではなくなる。」
◇ リリィの決断 ◇
「そんな……そんなことさせるもんか!」
カイは叫ぶようにイサムに詰め寄った。
「彼女は俺が助ける!」
「どうやって助ける?」
イサムの声は冷たく現実的だった。
「彼女を守りたい気持ちはわかるが、方法がない。いや、方法があったとしても、それが彼女を苦しめるだけの結果になりかねない。」
「カイ……」
リリィが小さく呟いた。
「何だ?」
リリィはカイの目をじっと見つめた。その瞳は、先ほどまでの冷たい光を含みながらも、どこか人間らしい哀しみを宿しているように思えた。
「私……自分がどうなるのか、少しだけわかる気がする。多分、もう戻れない。」
「そんなこと言うな!」
カイは必死に彼女の手を握りしめる。
「お前はまだ大丈夫だ! 俺が必ず――」
「違うの。」
リリィは微笑んだ。その笑顔は、彼女の中で何かが覚悟を決めた証だった。
「多分、私がこれからすることで……カイを助けることができる。」
「それって……どういう意味だよ。」
「瘴気は私の中にいる。でも、まだ完全に支配されていない。だから、この力を使えば……瘴気の源を完全に消すことができると思う。」
カイは息を呑む。
「だけど、そうしたら……私は……もう戻れないかもしれない。」
◇ 別れの言葉 ◇
「そんなこと、させるわけないだろ!」
カイは叫ぶように言った。
「お前だけ犠牲になるなんて……そんなこと、俺が許すと思うか?」
「カイ。」
リリィはそっとカイの頬に手を触れた。その手は冷たく、まるで霜が降りたような感触だった。
「ありがとう。私をずっと守ってくれた。あなたと一緒にここまで来られて、本当に幸せだった。」
「やめろ……そんな言い方……やめてくれ。」
リリィは小さく微笑むと、カイの手を振り解いた。そして、ふらつく足取りで崩壊した結晶の中心に立った。
「カイ……私、きっと最後まで自分でいられる。」
リリィは静かに歌い始めた。その歌声は、これまでのどんな歌とも違う力を帯びていた。瘴気の残滓が彼女を中心に渦巻き始め、その光が増していく。
「リリィ!」
カイが駆け寄ろうとするが、イサムが彼を力強く押さえ込んだ。
「やめろ、彼女の意志を無駄にするな!」
「でも――」
「彼女が信じたものを、お前も信じろ!」
カイは涙を堪えながらも、彼女の姿を見つめ続けた。そして光が最高潮に達した瞬間、リリィの姿は瘴気とともに消え去った。
◇ 残された未来 ◇
すべてが終わったあと、瘴気は完全に消え去っていた。空には初めて見る青空が広がり、風は穏やかに吹いている。
カイは崩壊した地面に膝をつき、リリィの名前を呟き続けた。彼の手には、リリィが残した花びらが一片だけ握られている。それは、彼女の命が最後に残した証だった。
イサムは静かに彼の肩に手を置いた。
「彼女の犠牲は無駄ではなかった。世界は救われた。」
しかし、カイの瞳からは涙が止まらなかった。
「俺は……何を救ったんだ……?」
空を仰ぎながら、カイの心は深い悲しみと感謝で満たされていた。その胸に、リリィの歌声がいつまでも響いていた。
◇ 消えない歌声 荒野に降る静寂 ◇
カイは膝をつき、乾いた地面に拳を叩きつけた。何度も、何度も。瓦礫の隙間から見える青空が、憎らしいほど澄んでいる。
「リリィ……なぜだ……!」
彼の声はかすれて消え、答える者は誰もいなかった。震える手の中には、リリィが最後に残した一片の花びら。光を宿したその欠片だけが、彼女がここにいた証だった。
イサムは少し離れた場所から、じっとカイを見ていた。その瞳には厳しさが宿っているが、どこかで彼自身も痛みを抱えていることが伺えた。
「立て、カイ。」
低い声がもう一度響く。それは命令でも、叱咤でもない。ただ、行動を促す静かな力を持つ言葉だった。
「……立ってどうする……? 俺は何を守れる……?」
カイの声は震えていた。自分を許せない思いが、彼の足を重くしていた。
「何を守れるかじゃない。何を守りたいかだ。」
イサムの言葉が、真っ直ぐカイの心に届いた。その瞬間、胸に残るリリィの笑顔が浮かぶ。彼女の願いが、自分を立ち止まらせてはいけないと告げているようだった。
「……守りたい。」
カイは花びらを握りしめ、拳を地面から引き上げた。震える足で立ち上がり、青空を見上げる。その瞳に光が戻りつつあった。
「俺は……まだ終われない。」
◇ 失われた歌声を胸に ◇
イサムは無言のまま頷くと、カイに歩み寄った。彼の手にはリリィの残した荷物――彼女の衣類やわずかな物資が収められていた。それをカイに差し出す。
「これを持て。彼女の意志をお前が背負え。」
カイはその荷物を受け取り、強く抱きしめた。その感触が、リリィの存在を確かに感じさせた。
「……ありがとう。」
短い言葉だったが、そこにはこれまで以上の決意が宿っていた。
イサムは満足そうに頷くと、再び地図を広げた。次の目的地を示す指が、瘴気の源へと繋がる廃墟の一部を指し示す。
「瘴気の源に近づくほど、敵は強くなる。ここから先は地獄だぞ。」
「分かってる。」
カイの短い返答に、もはや迷いは感じられなかった。
◇ 喰らい花の影 ◇
二人が再び歩き始めた頃、遠くから不気味な音が聞こえてきた。それは低く唸るような音と、足音が混ざり合ったものだ。
「また来たか……!」
イサムが素早く銃を構え、カイも短剣を握りしめる。瘴気の霧の中から現れたのは、巨大な喰らい花の群れだった。その数は十を超えている。
「囲まれるぞ。」
イサムの冷静な声に、カイは短く頷く。
「リリィを無駄にしないためにも、ここで倒す。」
「いい覚悟だ。」
二人は素早く陣形を整えた。イサムが遠距離攻撃で敵を牽制し、カイがその間に一体ずつ仕留めていく戦術だ。
喰らい花は次々と倒されていくが、敵の数は減らない。それどころか、さらに新たな影が霧の中から現れる。
「キリがないな……!」
イサムが額の汗を拭いながら呟く。
カイは短剣を振り下ろしながら、リリィの最後の歌を思い出していた。その歌は、喰らい花を一瞬止める力を持っていた。
「イサム、少しの間でいい。敵を足止めできるか?」
「何をするつもりだ?」
「リリィの歌を、俺が――試してみる。」
イサムは一瞬驚いたが、すぐに理解した。
「分かった。やってみろ。」
◇ 歌に込めた祈り ◇
カイはリリィの花びらを掲げ、彼女が歌っていた旋律を口ずさむ。その声は震えていたが、次第に力強さを増していく。
歌声が響き渡ると、不思議なことに喰らい花たちの動きが鈍り始めた。その赤い瞳が、光を放つ花びらに釘付けになる。
「効いてる……!」
イサムが息を飲む。
カイはさらに声を張り上げ、歌を続けた。その歌声はリリィが紡いだ旋律そのものだった。彼の胸の中に生き続ける彼女の意志が、歌声となって荒野を満たしていく。
喰らい花たちは次々と動きを止め、ついには地面に崩れ落ちた。霧の中から現れた群れも、歌の力に引き寄せられるように倒れていった。
◇ 新たな光 ◇
全ての敵が沈黙した後、カイは花びらを握りしめながら膝をついた。疲労が全身を覆うが、その瞳には新たな決意が宿っていた。
「リリィ……俺は、ここまで来た。」
イサムはカイに手を差し伸べた。
「まだ先は長いぞ。リリィの願いを叶えたいなら、立ち上がれ。」
カイはその手を掴み、力強く立ち上がった。
「行こう、イサム。俺たちの戦いは、まだ終わっていない。」
二人は再び歩き始めた。荒野の彼方には、瘴気の源が静かに待ち構えていた。その向こうには希望か、それともさらなる絶望か――それはまだ誰にも分からない。
だが、リリィの歌声とともに、カイの心に宿った光は消えることがなかった。