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第15話

◇ 残された言葉 消えない面影 ◇

リリィを喪った夜、カイとイサムはただ黙々と歩き続けていた。廃墟の道は途切れ、足元の土が瘴気に濡れた地面へと変わりつつある。空は鉛色の雲に覆われ、遠くから喰らい花のうめき声が響いている。それでも二人は一歩ずつ前へと進んだ。

リリィの遺体を置いていくしかなかったことが、カイの胸を締め付ける。彼女を葬ることすら叶わなかった。イサムが「瘴気に侵された体をこの場所に留めておくのは危険だ」と告げたとき、カイは否応なく同意するしかなかった。

「……これが正しかったのか、わからない。」

カイは低い声で呟く。

イサムは無言で先を歩く。その背中からは疲労と苛立ちが滲んでいた。

「お前が死ぬことを選ぶなら勝手にしろ。ただし、その前にリリィの犠牲が無駄にならないよう、瘴気の源を破壊してからにしろ。」

カイはその言葉に反論する気力もなかった。ただ彼の中には、リリィが残した言葉――「カイならできる」と囁いた微笑みが、痛みとなって残っている。

◇ 瘴気の谷 ◇

廃墟の先に広がっていたのは、深く切り立った谷だった。その底からは濃密な瘴気が立ち上り、まるで世界そのものが腐敗しているかのように見える。

「……ここか。」

イサムが谷の向こうを指差す。その先には、異様な光景が広がっていた。

巨大な瘴気の渦が空間を覆い、その中心には建物のような構造物が見える。その周囲にはいくつもの喰らい花が徘徊していたが、その数はこれまでに見たものとは比べ物にならない。

「中心に見えるのが、おそらく『瘴気の源』だ。」

イサムが説明する。

「あそこに行き着くには、谷を越え、喰らい花の群れを突破するしかない。」

カイは茫然とその光景を見つめていた。リリィが命を懸けて破壊した結晶がここまでの道を切り開いてくれた。しかし、その先に待ち受ける光景は、これまでの旅路とは比べ物にならない絶望を感じさせる。

「どうやって突破する?」

カイが短剣を握りしめながら問うた。

「正攻法では無理だ。」

イサムは地形を見渡しながら言う。

「おそらく何か抜け道があるはずだ。この谷は人工のものに見える。かつて地下都市を繋いでいた輸送路の一部かもしれない。」

カイはイサムの後を追い、慎重に探索を始めた。谷の縁にある崩れた岩壁を調べていくと、古い金属の扉が埋まっているのを見つけた。

「ここか……。」

扉には鍵が掛かっていたが、イサムが持っていた工具を使い、短時間で解除された。

「やっぱりな。地下へ繋がる通路だ。だが、これがどこまで使えるかは保証できない。」

「それでも行くしかない。」

カイの声には、決意が篭っていた。

◇ 闇の中の声 ◇

扉の向こうに広がっていたのは、かつての地下輸送路だった。だが、その内部はすでに瘴気に侵され、天井からはツタのように喰らい花の根が垂れ下がっている。通路の奥には微かな明かりが揺れており、それが瘴気の結晶体の反射であることにすぐ気づいた。

カイとイサムは無言で進む。足元の水音が不気味に響き、喰らい花が潜んでいる気配が周囲に漂っていた。

「リリィだったら、こんなときどうしただろう……。」

カイの胸の中で彼女の記憶が蘇る。

リリィの歌声が、ふと頭の中に響くような錯覚に襲われた瞬間、カイは足を止めた。

「どうした?」

イサムが振り返る。

「いや……。」

そのとき、暗闇の奥から微かな声が聞こえた。

「――カイ……。」

カイの心臓が跳ね上がる。それは確かに、リリィの声だった。

「リリィ……?」

イサムが警戒して銃を構える。

「やめろ、それは幻聴だ。この瘴気の濃さじゃ、そういうことも起きる。」

だが、カイはその声に引き寄せられるように歩き出した。

「カイ! 戻れ!」

イサムの声が響くが、カイは聞き入れなかった。

◇ 再会――偽りか真実か ◇

通路の奥で、カイは影の中に佇む少女の姿を見つけた。

「リリィ……本当に君なのか?」

彼の声に応じるように、少女が振り返る。その顔は確かにリリィだった。だが、彼女の瞳は冷たく光り、その体からは薄く瘴気が立ち上っている。

「カイ……来てくれたんだ。」

リリィの声は穏やかで、彼の心に直接響いてくるようだった。

「君は……本物なのか? それとも瘴気が見せている幻なのか?」

リリィは悲しげに微笑んだ。

「私もわからない……でも、カイに会いたかった。それだけは確かよ。」

カイは短剣を構えたまま、近づくこともできずに立ち尽くしていた。その姿を見たリリィが、ふと歌を口ずさみ始めた。

「その歌は……。」

彼女の歌声に導かれるように、瘴気の空間が微かに揺らめき始めた。それはまるで、カイの中の迷いを晴らそうとするかのようだった。

だがそのとき、リリィの背後に巨大な喰らい花が現れた。

「危ない!」

カイが叫び、彼女の元へ駆け寄ろうとする。だが、リリィは静かに微笑み、喰らい花と共に消えていった。

「待て! リリィ!」

カイの声は虚空に響くだけだった。

◇ 終焉の先へ ◇

カイが再びイサムの元に戻ると、その顔は疲労と絶望に満ちていた。

「お前はまだ迷っているのか?」

イサムが冷たく言い放つ。

「リリィの記憶に縛られているなら、この先は一人で行け。」

「俺は――。」

カイは答えようとしたが、言葉が出なかった。

「迷いが命取りになる。俺はお前が死ぬのを見届けるためにここにいるんじゃない。」

イサムは前を向き、先に進んでいく。

カイは短剣を強く握りしめた。

「リリィ……俺は必ず、この旅を終わらせる。」

彼の瞳には、再び決意が宿っていた。

◇ 光なき出口 導かれる影 ◇

カイとイサムは、瘴気の谷を抜けるための地下輸送路を進んでいた。錆びた鉄骨と崩れた壁が無数に積み重なり、行く手を遮るように蠢いている。瘴気はますます濃くなり、吸い込むたびに喉を焼くような苦しみがカイを襲った。

「無理をするな、深呼吸は避けろ。」

イサムが低い声で忠告する。

「瘴気が体内に入る量を抑えろ。それだけで少しは持つ。」

「……わかってる。」

カイは短く返事をしながらも、目の前に広がる暗闇の奥に意識を集中させていた。この通路を抜けた先に瘴気の源がある――そう信じる以外に、足を進める理由を見つけられなかった。

そのときだった。

「……カイ……。」

まただ。リリィの声。

「やめろ。」

イサムが鋭く声をかける。

「それはただの幻聴だ。瘴気が頭をやられている証拠だ。」

「……でも……」

「お前はリリィを失った。それを受け入れろ。そうでなければ、お前自身が『喰らい花』になる。」

イサムの言葉に、カイの胸は刺すように痛んだ。頭ではわかっている。だが、心はどうしてもリリィを引き止めている。彼女の最後の笑顔が、まだ目蓋の裏に焼き付いて離れないのだ。

「行くぞ。」

イサムの冷淡な声に促され、カイは仕方なく足を動かした。しかし、暗闇の奥に微かに漂う光――それが瘴気の結晶体の反射であることを理解しながらも、カイにはそれがリリィの「残した希望」のように思えてならなかった。

◇ 幻影の罠 ◇

しばらく進むと、通路の終端が崩れ落ち、瓦礫が積み上がった空間に行き当たった。

「ここで一旦止まれ。」

イサムが低く呟きながら、背負った装備を確認する。

「これからどうする?」

「壁の向こうに出るしかない。爆薬を仕掛ける。」

イサムは壁に近づき、細かい手つきで爆薬をセットし始めた。その間、カイは背後に気配を感じた。

――カイ……。

再び聞こえる声。それは、リリィの声であるばかりか、今度は足音すら伴っているようだった。

カイは振り返った。そこには暗闇の中、揺らめくシルエットがあった。

「……リリィ……?」

シルエットが微かに動いた。それはリリィのように見えたが、その輪郭はどこか異様に歪んでいた。

「来ないで!」カイは叫んだ。

その声に反応したように、影は動きを止めた。だが、次の瞬間、鋭い咆哮が通路に響いた。それは喰らい花のものだった。

「伏せろ!」

イサムが叫ぶや否や、爆薬のタイマーを切り替え、即座に起爆させた。轟音とともに壁が崩れ、瓦礫の先に別の出口が現れる。

「走れ!」

カイはイサムに促されるまま、出口へと走り出した。だが、その背後で喰らい花が迫ってくる足音が響く。

◇ 迷いの光 ◇

出口から飛び出すと、目の前に広がったのは、さらに深い瘴気の谷だった。そこには奇妙にねじれた木々と、巨大な結晶の群れが広がっている。

「瘴気の源はもうすぐだ。」

イサムが息を切らしながら言う。

「だが、ここから先は地獄だ。お前の足で耐えられるかどうかも怪しい。」

「耐えるしかない。」

カイは短剣を握りしめた。その手には既に力がほとんど残っていないが、彼の中の意志だけが彼を支えていた。

「イサム……」

「なんだ?」

「俺がもしここで、喰らい花になりかけたら……お前が俺を止めろ。」

イサムは短く息を吐き、真剣な眼差しでカイを見つめた。

「その覚悟があるなら、最後までついてこい。」

二人は再び歩き出す。そのとき、遠くからまたあの歌声が聞こえてきた。

リリィの歌だ。

「この歌は……。」

カイは立ち止まる。歌は瘴気の渦の中心から聞こえてきた。それはまるで、二人を導くように響いている。

「まさか……リリィが?」

イサムは眉をひそめた。

「歌が聞こえる?……それは瘴気の『源』そのものが、何らかの意思を持っているということだ。」

「意思……?」

「俺にもわからん。ただ、これだけは言える。お前が迷えば、すべてが終わる。」

カイは胸の奥でリリィの笑顔を思い出し、拳を握り締めた。

「迷わない……俺はリリィが繋いだ希望を無駄にしない。」

◇ 終焉の地 ◇

瘴気の渦の中心に辿り着いたとき、二人は目を疑った。

そこには巨大な瘴気の結晶がそびえ立ち、その中には無数の喰らい花の姿が閉じ込められていた。結晶の表面は脈動するように光を放ち、その音はまるで生き物の心臓の鼓動のようだった。

「これが……瘴気の源?」

カイは目を見開いた。

「おそらくな。だが、破壊するのは容易じゃない。」

イサムが銃を構える。

「この規模のものを壊すには、俺たちの命も必要になるかもしれん。」

そのとき、結晶の奥にふと人影が見えた。それはリリィの姿だった。

「リリィ……?」

カイが声を上げると、彼女の唇が動き、歌を紡ぎ始めた。それは懐かしい旋律だったが、同時に周囲の喰らい花を刺激し始めた。

「やめろ!」

イサムが叫ぶ。

だが、リリィの歌は結晶全体に響き渡り、周囲の瘴気が激しく渦巻き始めた。

「リリィ! やめてくれ!」

カイの声は彼女に届かない。次第に結晶が砕け、内部から瘴気が爆発的に放出されていく。

「カイ!」

イサムが叫ぶ。

「ここから出るぞ! 残っていては全員終わりだ!」

カイは動けなかった。目の前で微笑むリリィの姿が、彼のすべてを支配していたからだ。

「リリィ……」

結晶の光が一気に広がり、世界は白く塗りつぶされた。


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