第13話
◇ 夜明けの前に 燃え落ちた廃墟 ◇
カイ、リリィ、イサムの三人は巨大な喰らい花との死闘を制し、かろうじて廃墟を後にしていた。廃墟の工業施設は崩壊し、瓦礫と瘴気に埋もれてしまったが、喰らい花もまた光の中で散っていった。
リリィはその場で倒れ込み、疲れ切った表情を浮かべている。彼女の体には瘴気の痕跡が微かに漂い、その力を使い過ぎた代償が現れていた。
「リリィ、しっかりしろ!」
カイは彼女の肩を揺さぶり、焦燥感を隠せなかった。
リリィはかすかに目を開け、力なく微笑む。
「大丈夫……少し休めば平気。」
「平気なわけないだろ!」
カイは声を荒げてしまうが、そのすぐ後で彼女を抱き寄せた。
「……無理するな。」
イサムが周囲を見渡しながら言った。
「ここに長居はできない。このままだと瘴気が濃くなりすぎる。」
「でも……リリィがこんな状態で動けるのか?」
カイは険しい表情でイサムを睨む。
「動けるかどうかじゃない。動かすしかないんだ。」
イサムの言葉は冷酷だったが、それが現実だった。
「わかった……俺がリリィを背負う。先に進もう。」
カイは決意した表情で立ち上がり、リリィをそっと背負った。
リリィが小さく囁く。
「カイ、ありがとう……」
◇ 荒野を進む影 ◇
夜が深まるにつれ、空気はさらに冷たくなり、瘴気も濃度を増していく。三人は月明かりだけを頼りに、荒れ果てた地上を進んでいた。
リリィはカイの背中で静かに息をつき、彼の肩越しに小声で呟く。
「カイ、重くない?」
「軽いもんだよ。それより、少しでも休んでくれ。」
カイは笑みを浮かべて答えたが、その声には疲労が滲んでいた。
イサムが前を進みながら振り返る。
「目的地まであと少しだ。だが……敵の気配が増している。」
「喰らい花か?」
カイが警戒して短剣に手を伸ばす。
「いや、人間だ。」
イサムの声が低く響いた。
「俺たちと同じように、この世界をさまよっている生存者たちだろう。だが、彼らが味方とは限らない。」
その言葉が終わるや否や、遠くから銃声が響いた。
「伏せろ!」
イサムが叫び、三人はすぐさま地面に身を隠した。
銃声が止むと、今度は粗野な声が響いた。
「おい、出てこい!隠れても無駄だぞ!」
複数の足音が近づいてくる。カイはリリィを守るように体をかばいながら、イサムに目を向けた。
「どうする?」
「やつらが何者かを確認する。無駄な戦いは避けたいが……」
イサムは銃を構え、茂みの陰から様子をうかがった。
やがて、男たちの姿が月明かりの下に浮かび上がった。五人ほどの集団で、全員が武器を持ち、全身に汚れた防護服を纏っている。
「こいつらは……」
イサムが目を細めた。
「奴隷狩りだ。」
カイは眉をひそめる。
「奴隷狩り?」
「ああ。生き残った人間をさらって、売りさばく連中だ。ここら辺の地上では珍しくない。」
イサムが冷静に状況を分析する間も、奴隷狩りの集団は着実に距離を詰めてくる。
◇ 衝突 ◇
「おい、お前たち、武器を捨てて出てこい!」
奴隷狩りのリーダーらしき男が声を張り上げる。
「従う理由はないな。」
イサムが小さく呟き、銃口を向けた。
次の瞬間、銃声が響き、リーダーの肩に弾丸が命中する。奴隷狩りの集団が慌てて散らばり、応戦のために銃を構える。
「行くぞ!」
イサムの合図と共に、カイも茂みから飛び出し、短剣で敵の一人を狙った。
「お前ら、いい度胸してやがる!」
奴隷狩りの一人が叫びながらカイに襲い掛かる。
カイは冷静に相手の動きを見極め、短剣で反撃する。訓練されていない敵を相手に、彼の動きは無駄がなく正確だった。
だが、戦闘の最中、リリィの体が再び瘴気を放ち始めた。彼女の意識は朦朧とし、その歌声が無意識に漏れ出す。
「リリィ!」
カイが叫ぶが、彼女の歌声が周囲に響くと同時に、瘴気が不気味な霧となって辺りを覆った。
奴隷狩りの集団は次々と苦しげに倒れ込み、怯えたように叫び声を上げる。
「なんだ、こいつら……!」
リーダーが倒れたのを見計らい、イサムが冷静に集団の残党を排除した。
◇ リリィの力 ◇
戦闘が終わり、瘴気の霧が薄れていく。だが、その中心に立つリリィの姿は、カイとイサムを凍りつかせた。
彼女の肌は青白く輝き、瞳はまるで花弁のように鮮やかな光を帯びていた。
「リリィ……お前……!」
カイが驚きの声を上げる。
リリィは自分の手を見下ろし、震える声で呟いた。
「私……またやっちゃったの……?」
「落ち着け。」
イサムがリリィに近づき、その手をそっと掴む。
「今のは不可抗力だ。それに、敵を排除するには役立った。」
「でも、私のせいで……」
リリィの声は涙にかすれた。
「リリィ、お前は悪くない。」
カイがリリィの肩を掴み、真剣な表情で言った。
「お前の力がなければ、俺たちは死んでいた。」
その言葉に、リリィは目を伏せる。そして小さく頷いた。
◇ 次の道 ◇
夜が明け始め、空がわずかに明るくなる。三人は疲れた体を引きずりながらも、再び歩き出した。
イサムが地図を確認しながら呟く。
「目的地まであと数日だ。このペースなら何とか辿り着ける。」
カイはリリィを支えながら前を向く。
「たとえ何が待っていようと、進むしかない。」
「そうだね。」
リリィが小さく微笑む。
「私たちなら……きっと。」
三人の姿が朝焼けの中に溶けていく。新たな試練が待ち受けていることを知りながらも、彼らは止まらない。
それは、命が尽きる前に紡ぐ物語の続きだった――。
◇ 囚われの微光 森の狭間 ◇
朝焼けの光が薄らいできた頃、カイたちは鬱蒼とした森の中にたどり着いた。背丈を超えるほどの枯れ木が絡み合い、枝先からは瘴気を帯びた毒々しい花が咲いている。その花はリリィが発する瘴気に反応するように、かすかな輝きを放っていた。
「気味の悪い場所だな……」
カイが短剣を抜き、周囲を警戒しながら呟く。
「目的地は、この森を抜けた先だ。」
イサムは無表情で地図を指さした。
「だが、この森は……喰らい花の巣窟だ。慎重に進むぞ。」
リリィが疲れた声で尋ねる。
「この花、私の瘴気に反応してるみたい。私、また迷惑をかけちゃうかも……」
「お前のせいじゃない。」
カイは振り返り、彼女の手を握る。
「むしろ、お前の力が役に立つかもしれない。」
リリィは少し驚いた表情を見せたが、やがて微笑んで頷いた。
「ありがとう、カイ。」
そのやり取りを横目に、イサムは一瞬だけ視線を下げた。だがすぐに無表情に戻り、先を急ぐように促した。
◇ 不意の襲撃 ◇
森の中心部に差しかかると、空気がさらに淀み、瘴気が濃くなっていく。カイたちは無言のまま足を進めていたが、その静寂を破るように低い唸り声が響いた。
「来るぞ……!」
イサムが銃を構え、鋭い声で警告する。
次の瞬間、茂みから巨大な喰らい花が姿を現した。四肢は人間の形を保ちながらも、全身に花弁状の異形が広がっており、その口からは瘴気を吐き出している。
「数が多い……!」
カイが叫びながら短剣を握り直す。
森の奥から、さらに数体の喰らい花が次々と現れ、三人を包囲するように動き始めた。
「囲まれる前に突破するぞ!」
イサムが発砲し、喰らい花の一体を足止めする。
「リリィ、俺の後ろに!」
カイは彼女を守るように立ちふさがり、一体の喰らい花に飛びかかった。短剣が正確にその喉元を裂き、黒い液体が吹き出す。だが、倒れた喰らい花の背後からさらに二体が現れる。
「無限に湧いてくるみたいだね……!」
リリィは震える声で言ったが、すぐに息を整えると歌声を響かせた。その歌声は周囲の瘴気を共鳴させ、喰らい花たちの動きを一瞬鈍らせる。
「今だ、進め!」
イサムがリリィの能力に気づき、すぐに前方の隙間を指差した。
三人は喰らい花たちの間をすり抜けるように走り抜けたが、その先で新たな脅威が待っていた。
◇ 森の牢獄 ◇
三人が駆け抜けた先には、異形の根が絡み合うようにして形成された「檻」のような空間が広がっていた。そこには複数の人影が囚われていた。
「人間……?」
カイが息を切らしながらその場で立ち止まる。
囚われているのは、廃墟に逃げ延びていた生存者たちのようだった。彼らの体には鎖が巻きつけられ、瘴気を吸い込まされ続けているらしく、皮膚は狂花病の兆候を示していた。
「ここで瘴気を吸わされて……喰らい花に変えられるんだ。」
イサムが険しい顔で吐き捨てるように言う。
「そんな……救えないの?」
リリィが悲痛な声を上げる。
「時間がない。」
イサムは銃を構えたまま答える。
「瘴気を吸い続けた奴らを助けるのは無理だ。それに、今俺たちが足を止めれば全滅する。」
「でも……!」
リリィは檻の中の人々に向かおうとしたが、カイがその肩を掴んで止めた。
「イサムの言う通りだ。」
カイは苦しげな表情を浮かべながらも言った。
「ここで無理をして、リリィまで倒れたら意味がない。」
リリィは震える唇を噛み締めたが、やがて静かに頷いた。
「……わかった。」
だがその瞬間、囚われていた人々の中の一人が、瘴気に侵されきった目でリリィを見つめていた。
「歌……その歌声を……」
か細い声で囚われた男が呟くと、周囲の瘴気がまた一段と濃くなった。そして檻全体がまるで生き物のように動き出し、根が三人に向かって襲い掛かってきた。
◇ 絆の力 ◇
「後退しろ!」
イサムが叫びながら発砲し、根を砕こうとするが、次々と新たな根が生えてくる。
「このままじゃやられる……!」
カイは短剣で根を切り裂きながら、必死にリリィを守る。
リリィは何かを決意したように目を閉じ、再び歌い始めた。その歌声は先ほどよりも力強く、瘴気に満ちた森全体に響き渡る。
喰らい花や動いていた根が、リリィの歌声に共鳴するように動きを止めた。
「リリィ、やめろ!」
カイが止めようとしたが、リリィは振り返らなかった。
「これで少しの間だけ、動きを止められる……!その間に進んで……!」
リリィの体は青白く輝き始め、瘴気がその周囲に集中していく。
「お前を置いていけるわけがない!」
カイは叫び、リリィの元に駆け寄った。
「カイ……!」
リリィが一瞬歌声を止める。
その隙をついて、喰らい花の残党が動き出し、カイに向かって襲い掛かってきた。
「……チッ!」
イサムが発砲し、かろうじて喰らい花を仕留めた。
「お前ら二人とも!ここで命を無駄にするつもりか!」
イサムの怒声が響く。
「リリィ、俺はお前を置いていかない!」
カイは強く彼女の手を握り、言葉を続けた。
「一緒に生き延びるんだ!お前が望む未来を、俺は最後まで守りたいんだ!」
その言葉に、リリィの瞳から涙がこぼれる。そして彼女は歌声を止め、かすれた声で答えた。
「……ありがとう、カイ。」
◇ 夜明けの道 ◇
リリィの歌声が止むと同時に、根や喰らい花の動きが再び活発化し始めた。
「行くぞ!」
イサムが叫び、三人は再び全力でその場を駆け抜けた。
振り返ると、森の檻の奥深くで瘴気が渦巻き、喰らい花がその中心で蠢いているのが見えた。だが、三人は無事にその場を抜け出し、森の出口が視界に入る。
「まだ先は長い……けど、ここを越えた。」
イサムが重く息をつきながら言った。
「うん……次は、もっと先に進もう。」
リリィが微笑む。
カイは彼女の手を離さないまま、小さく頷いた。
三人の背後で、森の瘴気が再び濃くなり始めたが、彼らの歩みは止まらなかった――。