第12話
◇ 追憶と約束 抗えない衝動 ◇
リリィの歌が村の暴徒を鎮めた直後、喰らい花の群れが村へ迫っていた。歌が引き寄せたのは、暴徒だけではなかったのだ。
夜の闇に響く不気味なうなり声。聖樹の下に集まったカイ、リリィ、イサム、そして村人たちは、その音に一斉に顔を強ばらせた。
「来るぞ……!」
イサムが銃を構えた。
村の門の外、暗闇から現れたのは、花弁状に裂けた身体を持つ喰らい花たち。月光を受けて光るその異形の姿が徐々に近づく。
「何て数だ……!」
カイが呟いた。
イサムは冷静さを保ちつつ、周囲を見回した。
「防衛線を張れ!村の連中を守るぞ!」
リリィは震える手を握りしめた。
「私のせいで……こんなことに……」
カイはリリィの肩を掴んで目を見つめる。
「お前のせいじゃない。今は生き残ることだけ考えろ!」
その言葉に、リリィは小さく頷いた。だが、その瞳には深い悲しみが滲んでいた。
◇ 必死の攻防 ◇
喰らい花が村の門を突破するのは時間の問題だった。村人たちは武器を持ち、必死に応戦するが、相手の数と力に圧倒されていた。
「引ける者は引け!」
イサムが叫びながら銃撃を続ける。
だが、喰らい花は弾を受けても怯まず、まるで群れ全体がひとつの意思を持っているかのように前進してくる。
カイも短剣を手に戦っていた。目の前で襲いかかる喰らい花の一体を刃で切り裂くたび、その腕に伝わる手応えが重く、嫌悪感が募る。
「これじゃキリがない……!」
そんな中、リリィが再び立ち上がった。聖樹の近くで膝をつきながらも、彼女は歌を口ずさむ。
「リリィ、やめろ!」
カイが叫ぶ。
しかしリリィの歌は、喰らい花たちの動きを一瞬止めた。彼女の声は、美しくもどこか哀切を帯び、空気を震わせた。喰らい花たちはその声に引き寄せられ、カイたちへの攻撃を止めたのだ。
「リリィ……!」
だが、その歌声には限界があった。喰らい花の一部が再び動き出し、今度はリリィに向かって歩み寄る。
◇ 迫り来る影 ◇
「こいつら、歌にも完全には抑えられない……!」
イサムが唇を噛む。
リリィの元に迫る喰らい花を見たカイは、思わず全力で走り出した。
「やめろ!」
カイの短剣が空を切り、迫る喰らい花の腕を切り落とす。しかし、一瞬の油断で背後から別の喰らい花の触手が伸び、カイの身体を捉えた。
「カイ!」
リリィが叫ぶ。
触手に締め付けられたカイの体は徐々に狂花病の力を刺激されるように熱を帯びる。視界が歪み、体内の何かが暴れ出しそうになる感覚に襲われる。
「お前……らなんかに……!」
カイは最後の力で短剣を振り上げ、触手を切り裂いた。その瞬間、体が自由になると同時に、カイは地面に崩れ落ちた。
◇ リリィの決意 ◇
カイが倒れたのを見たリリィの胸に、何かが込み上げてきた。それは恐怖や絶望ではなく、燃え上がるような怒りと意志だった。
「もう、これ以上……大切な人を傷つけさせない!」
リリィは再び立ち上がり、声を張り上げた。そして、今までとは違う歌を歌い始めた。その声は以前よりも強く、力強い。
その歌声に応じるように、聖樹が青白い光を放つ。まるでリリィの歌に応えるかのように、村全体がその光に包まれた。
喰らい花たちはその光に怯え、動きを止めた。そして、一匹、また一匹と後退し始める。
「……効いてる?」
イサムが呟く。
リリィは歌を止めず、ただ一心不乱に声を張り続けた。その声が夜空に溶けていく頃には、喰らい花たちの群れは完全に姿を消していた。
◇ 深まる謎 ◇
喰らい花の脅威が去った後、村には静寂が戻った。村人たちはリリィに感謝の声を掛けるが、彼女は疲れ切った様子で倒れ込んだ。
カイはリリィを抱き起こし、その顔を覗き込む。
「大丈夫か……?」
リリィはかすかに微笑んだ。
「大丈夫……ただ、少し疲れただけ……」
イサムが近づき、聖樹を見上げた。
「おかしいな。この木はただの植物じゃない。お前の歌が、それを目覚めさせたように見えた。」
「どういうことだ?」
カイが問う。
「わからん。ただ、これが瘴気の源と何か関係があるなら……俺たちがここで見たことは、この先の旅に大きな意味を持つかもしれない。」
カイはリリィをそっと抱えながら、イサムの言葉を噛み締めた。
「俺たちが進むべき道は、きっとこの先にあるんだな……」
◇ 旅立ちの決意 ◇
翌朝、リリィが目を覚ますと、村人たちは静かに見守っていた。カイは彼女のそばに座り、笑顔で言った。
「ゆっくり休めたか?」
リリィは頷きながら、目を細めた。
「うん……でも、休んでる暇はないよね。」
カイとリリィ、そしてイサムは、村を後にする準備を始めた。村人たちは名残惜しそうに見送るが、彼らは足を止めなかった。
「もう後戻りはできない。瘴気の源を見つけて、この世界を変えるんだ。」
カイが強く言った。
リリィも小さく笑いながら言った。
「その時まで、私は歌い続けるよ。どんなに辛くても。」
イサムは二人の背中を見つめながら、静かに歩き出した。その目には、どこか安堵と決意の光が宿っていた。
◇ 霧の彼方へ 廃墟の訪問者 ◇
カイたちは村を出て、瘴気に包まれた地平を再び進んでいた。薄暗い灰色の空、枯れた木々、そしてどこからともなく漂う瘴気。空気の重たさが三人を圧迫しているかのようだった。
「この先に廃墟がある。しばらくの間、安全な隠れ家にはなるだろう。」
イサムが地図を指し示しながら言った。
「そこにも人が住んでいたのかな?」
リリィが尋ねる。
イサムは目を細めて頷いた。
「かつてはな。だが、今はもう誰もいないはずだ。」
「どうして?」
カイがその言葉に反応する。
「瘴気に侵されたからさ。この辺りで生き残るのは奇跡に近い。」
沈黙が流れた。リリィは地面を見つめながら、小さく呟いた。
「奇跡……か。」
カイはリリィの表情を横目で見ながら、胸の奥に湧き上がる不安を押し殺した。
◇ 廃墟の中で ◇
廃墟は寂れた工業施設だった。錆びついた鉄骨が崩れかけ、壁にはひび割れが走っている。瘴気の影響で建物全体が腐食しているように見えた。
「ここで少し休もう。」
イサムが施設内を見回しながら言った。
三人は安全な部屋を探し出し、簡単な陣を張る。カイは周囲を警戒しつつ、リリィに毛布を渡した。
「疲れてるだろ。少しでも横になれ。」
リリィは頷きながら毛布を肩に掛けた。
「ありがとう、カイ。でも、あなたこそ休んで。」
「俺はまだ平気だ。」
その時、イサムが部屋の奥で何かを発見した。机の上に置かれた古びた日記だった。
「これは……」
イサムが日記を手に取り、ページをめくる。そこには、廃墟で暮らしていた人々の日々が記されていた。
「『ここに住むのはもう限界だ。瘴気が迫っている。けれど、どうしてもこの地を離れる勇気が持てない。』」
イサムが読み上げる声は冷静だったが、その内容にはどこか切迫感が漂っていた。
リリィが小さく呟いた。
「この人たちも……きっと私たちと同じ気持ちだったんだね。」
カイはリリィを見て、黙って頷いた。
◇ 忍び寄る影 ◇
休息の時間も長くは続かなかった。施設の外から、何かが動く音が聞こえてきた。
「……何か来る。」
イサムが銃を手に立ち上がる。
カイも短剣を握りしめ、リリィの前に立った。
「また喰らい花か?」
「いや、違うな……」
イサムが耳を澄ませた。
「これは人間の足音だ。」
ほどなくして、廃墟の入口に人影が現れた。数人の男たちで、全員が粗末な武装をしていた。
「旅人か?」
一人の男が声を掛けてきた。
イサムは銃を下ろさずに答えた。
「ああ、通りすがりだ。」
男たちは互いに顔を見合わせ、薄く笑みを浮かべた。
「なら、この場所の使用料を払ってもらおうか。俺たちがここを管理しているんでな。」
カイは眉をひそめた。
「こんなところを『管理』だって?」
「俺たちが仕切ってる場所ってことだよ。わかるだろ?」
男の一人が不敵な笑みを浮かべる。
イサムは無言のまま、銃口を少しだけ上げた。
「悪いが、そんな話には付き合えない。」
緊張が走る中、リリィが一歩前に出た。
「待って!」
男たちはリリィに目を向ける。彼女の存在感に一瞬たじろいだようだったが、すぐに軽薄な笑みを浮かべた。
「お嬢ちゃん、歌でも歌ってみせてくれるのか?」
リリィの目に怒りが浮かぶ。その瞬間、彼女の足元から微かに瘴気が漂い始めた。それを察知したカイがリリィの手を握る。
「リリィ、ダメだ。感情に任せるな。」
彼女はカイを見上げて頷いたが、その瞳には抑えきれない怒りが燃えていた。
◇ 死闘 ◇
一触即発の状況を打ち破ったのは、廃墟を揺るがす轟音だった。
「何だ……!?」
施設の外から喰らい花の咆哮が響く。それはこれまでに聞いたどの声よりも低く、重く、そして禍々しかった。
「おい、何だあれ……!」
男たちが振り返る。
外から現れたのは、これまでに見た喰らい花とは異なる巨大な存在だった。複数の人間が融合したような異形で、無数の腕や脚が混ざり合い、全身が瘴気をまとっている。
「しまった、ここはもう安全じゃない!」
イサムが叫ぶ。
喰らい花が施設内に侵入し始める。男たちは悲鳴を上げて逃げ惑うが、次々と触手に絡め取られた。
「くそっ、全員ここを出るぞ!」
イサムが叫び、カイとリリィを促す。
だが、巨大な喰らい花が出口を塞いでいた。
「どうするんだ、これ……!」
カイが短剣を握りしめる。
「私が……私が歌う。」
リリィが震えながらも前に出た。
「ダメだ!」
カイが制止するが、リリィの意志は固かった。
「私たちがここで死んだら、意味がない。それなら……!」
彼女の歌声が響き渡ると、喰らい花の動きが一瞬止まった。だが、巨大な個体は彼女の歌に抗おうとするかのように激しく暴れ始める。
「リリィ、下がれ!」
イサムが喰らい花に向けて銃を放つが、通常の攻撃は効果がないようだった。
◇ 覚醒 ◇
その時、リリィの体から再び瘴気が放たれた。それは彼女自身の狂花病の力が発現したものだった。
「リリィ、やめろ!」
カイが叫ぶ。
だが、リリィはその力を抑えることなく歌い続けた。彼女の歌声が高まると同時に、施設全体が光に包まれる。
喰らい花の巨大な個体がその光に飲み込まれ、次第に動きを止めていった。そして、轟音と共に崩れ落ちる。
「終わった……の?」
リリィが力尽きたように倒れ込む。カイがすぐに駆け寄り、彼女を抱き上げた。
「リリィ!」
彼女はかすかに目を開けて、微笑む。
「大丈夫……私は……平気。」
イサムは施設の外を見つめながら呟いた。
「あの力、普通じゃないな。」
◇ 次なる一歩 ◇
廃墟を後にした三人は再び荒野を進む。リリィの力に何が起きたのか、それはまだ誰にも分からない。
「俺たちには時間がない……」
カイが遠くを見つめながら呟く。
リリィが微笑む。
「でも、まだ希望はあるよね。」
「そうだな。」
イサムが短く答えた。
荒れ果てた大地の先に、薄明かりが差し込んでいた。それが希望なのか、それともさらなる試練の始まりなのか――三人の旅は続く。