第11話
◇ 「花の守護者」の集落 ◇
カイはリリィを背負ったまま、息を切らしながら門を叩いた。目の前には、廃墟の中に突如現れた奇妙に整然とした村が広がっている。瘴気が漂う世界の中、この地だけは浄化されたかのように澄み渡った空気に包まれ、花々が咲き誇っていた。
「助けてくれ!彼女が……リリィが死んでしまう!」
門の向こうから現れたのは、白い衣装を身にまとった青年だった。その姿はどこか神秘的で、瞳には鋭い光が宿っている。
「彼女を中に入れるわけにはいかない。」
青年は冷たく言い放つ。
カイは反射的に彼を睨みつけた。
「何を言ってるんだ!リリィを助けられるのはお前たちだけなんだろう!」
青年は一瞬黙り込んだが、背後から穏やかな女性の声が響く。
「彼を入れてあげて、レオン。」
現れたのは、長い髪を後ろで結んだ落ち着いた雰囲気の女性だった。彼女の表情には優しさが溢れているが、どこか不思議な威厳が漂っている。
「あなたたちは遠くから来たのね。この子を見せて。」
カイは安堵する間もなく、リリィをそっと地面に降ろした。女性はリリィの顔色と体に刻まれた花弁状の模様を見て、眉をひそめた。
「……厄介な状態ね。」
「助けられるのか?」
カイが食い下がるように問う。
女性は微かにうなずいた。
「ここには浄化の力がある。彼女の命を繋ぎ止めることはできるわ。ただし……」
「ただし?」
「完全に治すことはできない。それでも構わない?」
カイは息を飲む。
「彼女が生き延びられるなら、それでいい。」
◇ 花の力 ◇
リリィは浄化の儀式を受けることになった。村の中央には大きな聖樹がそびえており、その根元で儀式が行われる。
聖樹の下に寝かされるリリィ。その周囲に花の守護者たちが集まり、穏やかな旋律を口ずさみ始める。すると、聖樹の枝が微かに揺れ、青白い光が降り注ぎ始めた。
「これが……浄化の力?」
カイは呆然とその光景を見つめた。
リリィの体に刻まれた花弁状の模様が徐々に薄れ、苦しそうだった表情が安らぎを取り戻していく。
「すごい……本当に……!」
カイは感動に震えた声を漏らしたが、その隣でイサムが腕を組みながら呟いた。
「だが、これで終わりではない。」
その言葉に、カイは胸がざわつくのを感じた。
◇ 新たな脅威 ◇
儀式が終わり、リリィは意識を取り戻した。
「カイ……?」
彼女が微かに呟く。
「リリィ!」
カイは彼女の手を強く握った。
「良かった……お前が戻ってきて……!」
リリィは少し微笑み、カイの顔に触れた。
「……ありがとう。カイがずっとそばにいてくれたから……」
その場面を見つめていた女性が、優しい声で告げる。
「今の彼女は安定しているけれど、瘴気の影響が完全に消えたわけではないわ。これからも慎重に様子を見る必要がある。」
「慎重にって……どういうことだ?」
その質問に答えようとした瞬間、村の外からけたたましい警報の音が鳴り響いた。
「喰らい花だ!」
レオンが叫ぶ。
守護者たちは一斉に武器を手に取り、村の門へと駆けつける。
「喰らい花がここまで来るなんてありえない!」
カイは驚きの声を上げる。
イサムが冷静に銃を構えた。
「ありえないことが現実になるのが、この世界だ。」
◇ 守りきる戦い ◇
喰らい花の群れが押し寄せる中、守護者たちは必死に村を守ろうと立ち向かう。
「この村は瘴気を嫌うはずだろう!どうして奴らがここに現れる?」
カイが叫ぶ。
「……あんたたちだ。」
レオンが冷たく言い放つ。
「瘴気の源を壊したことで、喰らい花の行動パターンが狂ったんだ。」
「それって……俺たちのせいだって言いたいのか?」
「そうだ!」
その場を収めたのは先ほどの女性だった。
「責めるのは後よ。まずはこの危機を乗り越えなければ。」
戦いは激しさを増し、守護者たちの力でも押し返すのが難しくなってきた。
「リリィ、下がっていろ!」
カイは短剣を握りしめ、喰らい花に向かって駆け出した。
だがその時、リリィが弱々しい声で言った。
「カイ……私も……」
「無理だ!今のお前に戦える力は――」
「歌う。」
カイが振り向くと、リリィは立ち上がり、周囲を見回していた。その表情は決意に満ちている。
「この歌が喰らい花を呼び寄せる力になるかもしれない。でも、それで守れるなら……」
「リリィ!」
彼女の口から歌声が漏れた瞬間、周囲の空気が変わった。喰らい花たちが動きを止め、凶暴だった表情に僅かな変化が生まれる。その歌声は村中に響き渡り、喰らい花の動きを鈍らせた。
イサムがそれを見逃さなかった。
「今だ!」
守護者たちは一斉に攻撃を仕掛け、喰らい花を次々と倒していく。
◇ 背負うべき罪 ◇
戦いが終わり、村には静けさが戻った。
「……終わったのか?」
カイは膝をつき、肩で息をする。
リリィは歌の影響で力尽き、再び倒れたが、カイの腕の中で安らかな表情を浮かべていた。
女性がカイに近づき、静かに言った。
「あなたたちが背負った役割は大きい。この村だけでなく、世界全体が今、変化しつつあるわ。」
カイはリリィを見下ろしながら小さく答えた。
「……それでも、俺たちは生きるしかない。」
イサムがその横で低く笑った。
「その覚悟があれば、まだ先に進める。」
そして、彼らは再び新たな道を探し始めた。
◇ 裂かれる静寂 崩れゆく安寧 ◇
リリィの歌によって喰らい花の襲撃を凌いだ翌日、カイ、リリィ、そしてイサムは花の守護者たちの村で束の間の休息を得ていた。リリィはまだ儀式の疲労が抜けきらず、村の聖樹のそばで寝かされていた。
「ここまで清らかな空気を感じたのは、いつ以来だろうな。」
イサムが煙草を手に呟いた。
「吸うなよ、空気が台無しになる。」
カイがぼやきつつ、村の周囲を観察していた。
聖樹を中心としたこの村は、一見平和そのものだが、村人たちの警戒は解かれていない。門番たちは常に周囲を監視し、武器を手放さない。
「この村に永遠の安寧はない。」
村のリーダーである女性・マリアがカイに語りかけた。
「喰らい花の襲撃があった時点で、ここも瘴気に飲み込まれるのは時間の問題よ。」
カイは彼女の言葉を聞きながらも視線を村の外へ向けた。リリィの容体が安定しているとはいえ、それが一時的なものであることを理解していた。
「……俺たちがここにいる間に、できることをしなきゃならない。」
◇ イサムの警告 ◇
その日の午後、カイとイサムは村の一角で簡易的な武器の補修をしていた。イサムはカイの短剣を手に取り、刃のバランスを確かめる。
「お前、よくこのボロで戦えるな。」
イサムが呆れたように言った。
「使い慣れてるだけだ。それに、こいつで助けられる命もある。」
「まあ、俺の銃の方が役に立つけどな。」
イサムは薄く笑った後、真顔に戻った。
「カイ、お前に聞きたいことがある。」
「なんだ?」
「瘴気の源を壊すって話、まだ信じてるのか?」
カイは短剣を手に取り直しながら、イサムを見据えた。
「信じるしかないだろう。俺たちはもう戻れない。」
イサムはしばらく無言だったが、最後に口を開いた。
「なら、いい加減覚悟を決めろ。瘴気の源にたどり着いたとき、何を犠牲にしても達成する覚悟だ。」
その言葉の重みにカイは何かを返すことができなかった。ただ胸に広がる不安を押し殺し、短剣の刃を見つめていた。
◇ リリィの願い ◇
一方、リリィは聖樹のそばでマリアと静かな会話をしていた。リリィの体調は多少回復しているように見えたが、彼女の声には弱々しさが滲んでいる。
「……マリアさん、この村の花は、全部聖樹のおかげなの?」
マリアは微笑みながら頷いた。
「そうよ。この花たちは聖樹の力によって瘴気に抗う存在になったの。私たちもね。」
「すごい……でも、それならどうして喰らい花がここに来られたの?」
その問いに、マリアの微笑みが消えた。彼女は少し間を置いてから静かに言った。
「聖樹の力も永遠ではないわ。あなたたちが持っている“瘴気の力”が、影響を与えているのかもしれない。」
リリィは目を伏せた。自身の歌の力が喰らい花を呼び寄せる可能性を思い出し、胸が痛む。
「私が……みんなを危険にさらしているの?」
「責める必要はないわ。むしろあなたの力が、私たちを守る可能性もある。」
その言葉を聞いたリリィは、静かに口元を引き締めた。
「……私の力で守れるなら、やるべきだと思う。でも、もしカイに迷惑をかけるなら……」
マリアはリリィの手を優しく握った。
「その決断をするのは、あなた自身よ。」
◇ 異変の兆し ◇
その夜、村に再び不穏な気配が漂い始めた。
カイとリリィは休んでいたが、突然村の中央にある鐘が鳴り響いた。
「何だ?」
カイは跳ね起き、短剣を握った。
外から聞こえてくるのは村人たちの叫び声と足音だった。カイは急いで外に出ると、門の方向で火が上がっているのが見えた。
「喰らい花か?」
「いや、違う。」
イサムが門から戻ってきて言った。
「人間だ。どうやら瘴気に侵されて暴徒化した連中だ。」
カイは息を呑む。「……なんでこの村を?」
「聖樹の力が目当てだろうな。連中は狂花病の末期だ、何かに縋らないと死ぬ。」
カイとイサムはすぐに戦闘態勢を整え、門へと向かった。一方で、リリィはまだ聖樹のそばにいる。
◇ 命を懸けた選択 ◇
村の門では、暴徒たちが村に侵入しようと必死に柵を壊していた。彼らの目は血走り、皮膚には狂花病特有の花弁模様が浮き出ている。
「やめろ!ここにはお前たちの求めるものはない!」
レオンが叫ぶが、彼らは耳を貸さない。
カイは短剣を構え、イサムは銃を手に暴徒を制圧しようとする。だが、その数の多さに圧倒されそうになる。
「リリィの歌を使うしかない。」
カイが言った。
「だが、喰らい花も呼び寄せるかもしれんぞ!」
イサムが警告する。
「それでも、ここでやられるよりはマシだ!」
カイは聖樹の方へ駆け出し、リリィを探した。
「リリィ!頼む、歌ってくれ!」
リリィは戸惑いながらも頷いた。聖樹の下に立ち、目を閉じると深呼吸をした。
その瞬間、再び彼女の歌声が夜の空気を切り裂いた。美しくも儚い旋律が村中に響き渡る。暴徒たちは一瞬動きを止め、苦しそうに頭を抱え始めた。
だが、歌声が遠くまで響いたせいで、森の奥から不気味なうなり声が聞こえてきた。
「喰らい花だ……!」
イサムが呟く。
◇ 絶望の夜 ◇
暴徒が鎮静化した一方で、新たな脅威が村を襲おうとしていた。
喰らい花の群れが次第に近づき、村人たちは再び恐怖に包まれる。
「どうする?」
カイがイサムに問う。
「全員で守るしかない。それとも、聖樹を捨てて逃げるか?」
その言葉にカイは拳を握りしめた。
「……ここを守る。」
リリィの歌声とカイたちの奮闘が、この夜の村の運命を左右する――。