量子力学が法律に活かされた世界
「裁判長!」
検察官が声を上げる。
「被告は身勝手な動機で八人を殺害しています。一切の酌量の余地はない。死刑を求刑いたします!」
「意義あり!」
すかさず被告の弁護士は威勢よく右手を上げた。
「被害者が全員命を取りとめた世界線も存在します! ここは殺人罪ではなく傷害罪が妥当かと思われます!」
「意義あり!」
検察官が右手を上げる。
「二十人を殺害している世界線も存在している。死刑が妥当と思われます!」
「それはこの世界線と数学理論が同じ世界ですか! 数学理論からまるで違う世界なら、その数の理屈は通用しない!」
弁護士は一気にまくし立てた。
検察官がキッと睨む。
「数学理論まで出して来るのはただの理論ずらしに過ぎない。証拠として採用されるのは多世界解釈のみでは?」
「そんなことが法律書に書いてありますか。いいや、書いていない! 宇宙際タイヒミュラー理論も証拠として採用すべきです! 裁判長!」
検察官と弁護士は無言で睨み合った。
「判決を言い渡してもよろしいですか」
裁判長が眉間に皺をよせ、ギャベルを叩いて強引に議論を止める。
双方、鼻息を荒くしつつも口を閉じた。
「判決。被告を因果律から除外します」
作業服のやや野暮ったい男性が入室する。タイムマシンを担当するエンジニアだ。
彼の顔をしばらくじっと見つめ、裁判長が会釈をする。
いつの間にか被告の姿は消えていた。
検察官と弁護士は顔を見合わせた。なぜここにいるのかが分からない。
終