いざ、王都へ
嗚呼、ドナドナ。
ほとんど揺れのない馬車で快適に進みながら、脳内はドナドナがエンドレスリピートしている。どうも、元OLで現在伯爵家で庭師見習いをしているただの人間、浅羽千夜です。
隣には私の雇い主兼契約者とやらの黒髪の麗人であるユリウス・ヴァレンタイン伯爵が相変わらず不機嫌そうな顔で座り、その前にはヴァンガルド国女王陛下からの遣いであるカーティス・グレイヴ公爵が彼とは対照的にニコニコしている。
それからヴァレンタイン家の家令であるオーガスさんと、グレイヴ家の家令も同乗し、馬車内は男性四名、女性一名の計五名が大した窮屈さも感じることなく収まっている。余程高級な馬車に違いない。
さて、馬車は現在リュペスの街を出て南下している。既に自領は出ているが、まだヴァレンタイン領内を走っている内はせっかくだからとユリウスが窓の外の景色を見ながら色々解説してくれた。
大きなサイール河に架かる橋を通る時には水辺に棲息する種族の話を、ヤヴェの森に差し掛かるとドヤイアドやエルフの話、この森にしかない貴重な植物の話や、森に古くから伝わる死の乙女伝説の発端となる事件など。
まるで生ける字引か、ってくらい色んなことを語って聞かせてくれるので、気分的には博物館で津田〇次郎ボイスのオーディオコメンタリーを借りて聞いてる感覚だ。何と贅沢なことだ。
彼が語る話はどれも面白く興味深い内容で、普段だったら嬉々として耳を傾けていたはずである。ただしユリウスがグレイヴ公爵をあからさまに無視したりしていなければ、だが。
たとえグレイヴ公爵がニコニコと笑みを浮かべて口を開こうとも、絶対に反応せず頑ななまでに私にのみ語りかけるユリウスのその様は、貴族のルールも彼らの関係性もよく知らない私から見ても明らかに異常だった。そもそも公爵に対する伯爵の言動としては到底有り得ないし、不敬だと処罰されてもいいくらいだ。
だというのにお互い爵位などまるで関係ないとでも言わんばかりの態度には首を傾げざるを得ない。
かと言って当事者たちも家令同士ですら気にしていない以上、一番の部外者である私が口を挟んでいいものでもないので内心困惑していると、そのうち馬車内には会話が一切無くなった。
…………気まずい。胃が痛い。否、気分が悪い。
あぁぁぁ忘れてた……私、乗り物酔いするんだった。
気づいてしまえば無かったことになど出来るはずもなく、込み上げてきた不快感にそっと口元を手で覆うと、私の異変をいち早く察したのはユリウスだった。
「チヨ、どうかしたかい?」
黙り込んだ私の顔色が悪いことに気づいたらしいユリウスが私を覗き込むが、頼むから今は近づかないで欲しい。全体的なカラーリングはダーク系だが、作画コストの高いイケメン顔は視覚情報的にはあまり優しくない。
そんなイケメンがキョトンとした後、表情を崩して心配そうにオロオロし始めた。ほんとやめて欲しい。イケメンはイケメンの役割果たしてろ、親しみやすく可愛い一面のあるキャラの座を分捕りに行こうとするな。
「ち、チヨ? 大丈夫かい? もしかして具合が悪いのかい? 水でも飲むかね? 少し休憩しようか?」
「あぁ、さすがに長時間馬車移動は厳しかったのでしょう。人間は弱いですから」
「それを早く言え、カーティス。今すぐ馬車を止めろ」
彼の指示でこの三時間一度も止まることのなかった馬車が停車し、私はユリウスにエスコートされるままのろのろと下車した。
明らかにあちらの家令――セバスさんといっただろうか、ナイスミドルのおじ様が不愉快さを滲ませている気がするので申し訳ない。
そうだよね、伯爵様が気分を害したのならまだしも、連れの庭師見習いが体調不良で馬車を止めたとあっては、何で連れてきたんだよってなるよね。私もできるなら留守番してたかったよ。文句なら全ての元凶であるユリウスにどうぞ。
「旦那様、お水を」
「あぁオーガス、ありがとう」
オーガスさんからユリウスへ、そして彼から私へと辿ってきた水を有難く頂き、私は視線を上げてゆっくりと深呼吸をした。
そこは見晴らしのいい平原だった。どこまでも真っ直ぐと続く街道に果てはなく、左右には草原が風に吹かれてさわさわと鳴いている。
背筋をうんと伸ばして、もう一度ゆっくりと深呼吸をした。草花の爽やかな香りが肺いっぱいに満たされ、心地よい風が頬を撫でる。不思議と気分の悪さが和らいだ気がした。
「チヨ、どうだい?」
「えぇ、少しマシになりました。ありがとうございます……ってユリウス様もオーガスさんも、外に出て大丈夫なんですか?」
外はまだ日が高く、本来ならば彼らがぐっすりと眠っている時間である。それに吸血種は陽の光に弱いと聞いていたから、てっきりこの時間帯は外に出られないものとばかり思っていたのだが違うのだろうか。
さすがに心配になって口から零れた疑問に、ユリウスはへらりと笑って答えた。
「生まれて百年もしない歳若い吸血種たちには致命的だが、月日を経た吸血種たちは日光耐性がつく。私くらいになればほとんど人間と変わらない活動が可能なのだよ。まぁ、さすがに裸眼だとすごく眩しいけれども」
「そうですか」
ということは少なくともユリウスもオーガスさんもゆうに百歳超えということか。いや何となく察してはいたけども、改めて魔族の長寿感を目の当たりにした気がする。
見た目は人間とさほど変わらないが、やはり種族的に自分とは全く別なんだな、とぼんやり考えていると、セバスさんがこちらにやって来るのが見えた。
今後について話がしたいと公爵が仰せとのことで、ユリウスは煩わしさを隠すことなくあからさまにため息をついて見せた。本当にこんな態度とってて大丈夫なのか? このポンコツ伯爵。
「チヨ。私はカーティスと話をしてくるから、ここで少し休んでいなさい。オーガス、彼女を頼んだぞ」
「はい、旦那様。仰せのままに」
「いってらっしゃいませ」
幼子を宥めるように私の頭を大きな手で撫でると、彼はセバスさんを伴って馬車へと戻っていく。その背を見送ると、オーガスさんが私を呼んだ。
手招きして手頃な岩を見つけるとそこにサッとハンカチを広げて私をさっさと座らせるまでの流れには一切の無駄がなく、恐ろしいほどスマート。いたたまれなくなってお礼と謝罪を口にしたら、主人のためにさっさと体調を整えろとだけ素っ気なく返された。ごもっともである。
ユリウスは何も言わないけど、正直なところめちゃくちゃ迷惑だと思われてるんだろうな。
リュペスの街の人たちはやさしく見守ってくれてるみたいだけど、一般的に魔族は非力な人間を見下す傾向にあると教えてくれたのは他でもないユリウスだった。だからこそ自分の庇護下にある人間であると印象づけなくてはならないのだと、私を伴って街を端から端まで歩いた。
そのおかげで街では穏やかに過ごすことが出来ているが、私に対する周囲の目はセバスさんが向けるそれが一般的なのだろう。
人間で、しかも伯爵家の使用人の一人でしかない存在が主人の予定を狂わせているとなれば、不愉快に思っても仕方のないことだ。思わずため息が零れた。
好きでこの世界に来た訳ではない。
だからといってそう簡単に言い切る事が出来ないくらいには、私はユリウスの世話になっている。
元はユリウスに巻き込まれた形ではあるが、彼はその責任を十分に果たしていると言えるだろう。衣食住を与え、仕事を与え、種族が違えど安全に暮らしていけるようにと環境を整えてくれた。
ならば私は、少しでも彼の不利益にならないようにと務めなくてはならない。私という存在が彼の悪評に繋がることだけはしてはならないのだ。
でも、上手くいかないなぁ。
種族の違いや文化、貴族としてのあれそれなどは一昼夜で身につくものではない。日々勉強に励んではいるものの、特に貴族社会のルールには全く馴染みのない日本人にはそもそもがマイナススタートだ。
……あれ、ちょっと待てよ? というか、本来なら庭師には必要ない知識とマナー講座が混じってなかった?? え、私ご令嬢じゃなくて使用人だよね?? 何でこの間美しいカーテシー講座とか受けさせられたんだ??
「チヨ」
何かまたユリウスに騙されてるんじゃなかろうかと考えていると、オーガスさんに名を呼ばれたので振り返る。
側に立つ彼は、眼鏡の奥にある涼やかなアクアブルーの瞳で私ではなく真っ直ぐと草原を見つめていた。
ゆっくりと彼を観察する機会が今までなかったが、こうしてみると彼も恐ろしく整った顔立ちをしていることに気づく。
吸血種は基本的に容姿端麗な者が多いが、伯爵家の家令である彼は容姿もさることながら、その所作は貴族にも劣らぬ優美さと上品さがあった。
アッシュブラウンの髪にアクアブルーの瞳。常に冷静でにこりともしない愛想のなさから人形のようだとも、氷の彫刻のようだとも言われていたのをふと思い出す。
そんな彼の横顔を見上げていると、彼は静かに口を開いた。
「余計なことをあれこれ考えないことです。あなたは旦那様に命じられた事のみ気にかけていればいい」
「でも私のせいで馬車を止めてしまいました。ユリウス様にもご心配とご迷惑をお掛けしましたし、何より公爵様のヴァレンタイン伯爵への心象を悪くしてしまったのでは?」
「まさか。旦那様がグレイヴ公爵からの心象を気にされるなら、ご自身の言動を真っ先に改めることでしょう」
確かにユリウスのグレイヴ公爵への今までの言動を鑑みれば、使用人が体調不良で馬車を止めた事など、伯爵にとっても公爵にとっても些末な事なのかもしれない。
本当に酷いもんな、あの言動。よく公爵が不敬だと怒りださないものだと不思議で仕方ないくらいだもんな。
もしかして公爵が自身より身分の低いはずのヴァレンタイン伯爵を「ユリウス様」と呼ぶことと関係があるのだろうか。
いっそオーガスさんに尋ねてみようかと思ったが、それよりも彼が言葉を続ける方が先だった。
「スケルトンホースは休息を必要とせず千里を駆けます。そして魔族のほとんどは人間と違い強靭な肉体を持っているため、馬車移動する際は食事以外をほぼ移動に費やしますが、人間のあなたがそれに付き合うのはそもそも無理な話です」
「えっと、ご迷惑お掛けして申し訳ありません」
「そうではなく。人間の同行が必要である以上、本来は人間に配慮された行程であるべきなのです。にも関わらず一切の配慮がなされなかったことに旦那様はお怒りなのですよ。公爵家にも、そして気づけなかったご自身にも」
彼の言葉に私は思わず目を瞬く。
何故ユリウスがそこに怒りを覚えるのか、私には理解できない。ヴァレンタイン伯爵家の使用人である私のせいで公爵家の顰蹙を買いかねない事に疎ましさや苛立ちを覚えるならまだしも、人間の身の弱さを考慮しなかったと公爵家や自分自身に怒りを覚えるなど本当に有り得るのだろうか。
オーガスさんはそんな私の困惑に気づいているらしく、呆れたようにため息をついた。
「その他大勢の魔族にとってあなたはただの人間ですが、旦那様にとっては大切な契約者であり、あらゆる災厄からあなたを守ると契約した以上どんな手段を用いようとも必ず果たそうとなさるでしょう」
「そもそもその契約自体がユリウス様に都合のいいように解釈されて、詐欺みたいに結ばれたものなんですが」
「それでも、です。チヨ、あなたはユリウス・ヴァレンタインという吸血種に命を託し、彼はそれに応えて己が力を奮った。それはあなたが思う以上に大きな意味を持っているのです」
「……詐欺ってところは否定しないんですね」
「あの方にしてはまだ良心的な方だと言えます。本来の旦那様は目的の為に手段を選ばない方ですから」
風が吹き抜け、彼のアッシュブラウンの髪が揺れた。
「――いずれ、わかる時が来ます」
彼の言うそれがどれほどの意味を持つのか、やっぱり私にはまだよく分からないけれど、少なくともオーガスさんが人間である私を責めるつもりがないことだけは理解出来た気がした。ちょっと意外だった。
「オーガスさんって、私の事嫌いなんだと思ってました」
「別に嫌いではありません。ただ……」
「ただ?」
それまでじっと草原を見つめていた瞳が、ゆっくりと瞬いたあと私を見下ろす。
「旦那様がポンコツな姿を見せるまで、私ですら一年かかったのです。しかしその最短記録をあっさりと抜かれてしまったので、少々面白くないだけですよ」
一切表情を崩さないオーガスさんがほんの少し笑う。苦笑気味のその表情は、普段の人形じみた無機質さとはまた違った美しさだった。
お読みいただきありがとうございました。
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