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迷子の悪魔 中編

 どうして、こうなった。


 私は頭を抱えて蹲りたい衝動を必死に堪えながら、現在新宿のとある路地裏にいる。

 目の前に立つのは丸襟のシャツにジャケット、チノパンスタイルの黒髪美人だ。急遽ユ〇クロで買い揃えたものだが、モデルかと見紛うばかりの恐るべき完成度で、きっと大通りを歩いたらさぞや目立つことだろう。


 顔面偏差値が馬鹿みたいに高いと何着てもイケメンに仕上がるんだな。実に羨ましいことである。まぁでも服が顔に負ける系のイケメンじゃなくて助かった、と内心安堵していると、それまで静かにしゃがみ込んで路地裏をじっと観察していたイケメン――ユリウス・ヴァレンタイン伯爵は、すっと立ち上がって私を振り返りこう言った。


「チヨ、正解だ」


 おかげで助かったが同時に厄介なことになった、と大して困ってもいなそうな笑みを浮かべる彼に「お役に立てたようで何よりです」とこちらも白々しく返しながら、私はつい二時間ほど前のことを思い出していた。




◇◇◇◇◇




 ヴァレンタイン邸にて私は夕食を、ユリウスは朝食を摂っていた時のこと。件の悪魔が行方不明になって早一ヶ月が経っているということを知った私は、こんな疑問を彼に投げかけていた。


「そのお知り合いの悪魔さん、ご無事なんでしょうか」


 というのも、向こうの世界は魔力濃度がほぼゼロ。魔族は食事の他に周囲の魔力を取り込んで活動しているため、こちらよりも向こうの方が何もしなくても魔力消費が激しいという。低級魔族であればもって三日、上級魔族なら一週間が限度だそうだ。


 そのため向こうの世界で魔族が活動するためには主に二つ、魔力消費を抑える"制約渡航"か召喚者の声に応えて顕現する"召喚"が用いられている。


 後者において、召喚儀式と供物は魔族がこちらからあちらの世界へと渡るための渡り賃として、儀式の際に召喚者が使用する魔力はあちらの世界での活動維持のため。魔力消費率が高い分要求する対価も割高になりがちだが、召喚者との間に制約と契約を設けるのは相互にとって不必要に魔力を消費せずに済むための大切なプロセスなのだという。


 つまり召喚者がいない状況では、一ヶ月も行方不明になっている件の悪魔が無事である保証はどこにもないのである。


 しかしユリウスはその悪魔の生存の確信しているようだ。


「あの子の事だから、その辺の魂でも適当に食らって遊び惚けているんじゃないかな。人間を手玉に取ることなど、彼にとっては造作もないだろうからね」

「魂を適当に食らうって、人間側からしたら恐怖でしかないんですが……」


 大体、魂なんてそんな簡単に手に入るものなのだろうか。震災や大規模な事故が起きたならいざ知らす……。


「……あれ?」


 一ヶ月前。それが私の中で何か引っ掛かった。






『昨夜未明、都内〇〇区にて二十代女性の遺体が発見されました。女性は頚部を切りつけられた事による失血死で、警察は先月末から発生している連続通り魔事件との関連性を調べています』






 偶然の一致か、それとも。


「チヨ?」

「あの、もしかしたら関係ないかもしれないんですけど……」


 先月から都内で連続して発生している通り魔事件。それがもしも件の悪魔の仕業であるとするならば、案外あっさり問題は解決するのではなかろうか。


 そう判断し、私はとりあえず件の事件を彼に語って聞かせたのだった。




◇◇◇◇◇




 それからの彼の行動はとにかく早かった。


 まずは現場を確認したいと言うと、私を伴って国が管理している特別ゲートを使用し私が住む世界へと飛んだ。なので三日ぶりに私は帰宅……とは残念ながらならず、私は彼に連れられて(というより案内役として連れ回され)、目立たないようにと服を現地調達してから、連続通り魔事件で被害者が発見された現場を巡るツアーに強制参加させられる羽目になった。こんなにも心躍らないツアーがかつてあっただろうか。


 そして私たちが今いるこの新宿の路地裏、これが四日前に発生した最後の通り魔事件現場である。


 事件から四日も経てばさすがに警察の姿はないが、慎重に慎重を期して十分に周囲を警戒する。何せオールユニ〇ロコーディネートのはずなのに、まるで品の良い高級ブランドで固めたモデルか俳優のような出で立ちで悪目立ちするユリウスが一緒なのだ。こんな悪目立ちする人物が事件現場をうろついてるだけでも強く印象に残ってしまうだろう。


 それに彼を連れての移動だけでも神経を擦り減らすのもあり、私たちはなるべく人気のない道を選んでここまでたどり着いたのだが……はっきり言って、服を揃えた時点ですでにこちらも疲労マークは最高レベルの赤表示である。


 だがそんなことなどお構いなしに事件現場を連れ回した伯爵様は、それまで思案顔だったのが何やら最後の現場では一人納得した様子であった。


「チヨ。君の言っていた連続通り魔事件だが、やはりあの子が関わっているのはこれでほぼ確定した。いやぁお手柄だよ。これであの子を追いかけられそうだ」

「現場を見ただけでわかるんですか?」

「少なくとも直近の一件に関しては関与は確定かな。微量ながら魔力の残滓を確認できたからね。さて……」


 じわりと彼の体から黒い霧が滲み出る。それは瞬く間に無数の蝙蝠となって新宿の夜空に解き放たれた。実にダークファンタジーな光景だ。


「では早速追いかけっこをはじめようか」


 口端に笑みを浮かべ、薄く開いたその唇の向こうに、鋭い二本の牙が顔を覗かせた。完全なる部外者であれば眼福だと内心拝んでいられたのに、世の中は無情である。







 それにしても……


 思案しているのか、それとも捜索に集中しているのか定かではないが、移動するでもなく静かに目を閉じたまま立つユリウスを見る。


 彼が放った無数の蝙蝠たちはこの現場に残された魔力を辿って件の悪魔を捜索しているらしい。その全てが彼の目であり耳。こんな芸当が出来るのなら、最初からもったいぶらずにさっさと使用すれば問題解決したのではないだろうか。


「最初からこうしていれば良かったのではないか。とでも言いたげだねぇ」

「えぇ、まぁ」


 そんな私の疑問などとうにお見通しだったようだ。彼はそっと目を開けて血のように赤い瞳で私を見つめ笑みを浮かべると、「それは非効率的だ」の一言であっさりと一刀両断する。


「言っただろう? この世界ではただでさえ魔力消費が激しい。目印もないのに闇雲に索敵を放っても無駄に魔力を消費するだけだ。単なる迷子であればそのような人海戦術でも構わないが、あの子は意図して追跡の手を逃れている。それに……」

「それに?」


 赤い瞳がすっと細まる。まるでここにいない敵を鋭く射抜くかのように。


「向こうはおそらく召喚者がいるはずだ。そんな相手と事を構えるならば、こちらの魔力消費は最低限に抑えておかないとね」

「え? それってどういう……」




「……嗚呼、見つけた」




 彼がその声音に喜色すら滲ませた瞬間、私の体はぐんっと急激に上昇してした。


「……は? え、は?!」

「少し急ぐよ。しっかり掴まっておいで」


 気づけば眼下にはネオンが輝く明るい街並み、腹部に感じる圧迫感。


 私は今、ユリウスに俵担ぎにされて…………宙に浮いていた。


「ちょ、な、何で私までぇぇぇええええええっっ?!」


 悲痛な叫びが地上に届くことはついぞなかった。魔法って便利ですね、ありがとうございますん!!!









◆◆◆◆◆




 またひとつ、星の光が呆気なく消えた。


 女が相手の首をナイフで一撫ですると、途端に鮮血が噴き出して路地裏を派手に汚し、そして糸が切れた人形のようにその場に崩れ落ちた。

 助けを乞う暇などない。仮に助けを乞う余裕があったとしても誰もここには入れないし、誰も気づきはしない。女の願いによってこの場所は今ボクの結界で閉じているのだから。


「カミサマ、罪深きその者の命を捧げます」


 路地裏に死体を一つ作り上げたその女は、とても変な人間だと思う。ボクの正体を知りながら、その女はボクを「カミサマ」と呼ぶのだ。


『カミサマ、どうか私にあの者たちを裁く力をお与えください』


 女は一人の男に入れ込んでいた。その男は女の婚約者であったが他の女に目が眩み、女を捨てたのだという。だから女は己の復讐を成し遂げるための力を欲した。

 でもそんな事情はボクにとってはどうだっていい。ボクが興味を持ったのは、ただの一般人であるはずの女がなかなかに精密な悪魔召喚を行ったという事実だ。


 ボクはとても運がよかった。暇を持て余して偶然見つけた世界の裂け目からこちらに渡り、退屈しのぎに少しばかり遊ぼうかと思っていたその矢先、殺した男の命をもって召喚儀式を行う現場に遭遇したのだから。


 そうしてボクはそれを利用することにした。召喚された低級悪魔をその場で始末して、召喚に応じた悪魔に成り代わる。そうして女が浮気相手の女を殺すのにちょっとばかり手を貸してやったら、女はあっさり壊れた。


 恋人と浮気相手を殺す目的が、その瞬間から自分よりも美しい女を殺す事にすっかり置き換わっていたのだ。


 そういえばあの術式、ちょっと面白い感じに歪んでたなぁ。多分女の異変はあれが原因だろうね。

 まぁいい。怪しげなものに迂闊に手を出すから利用されるんだ。なんて馬鹿な子、でもこれだから人間は面白い。ひっそりと女を哂う。


「わぁ、この子も美味しそう」


 今しがた女が殺したその人間から、穢れのない魂が顔を出す。真っ白な善人の魂だ。


 嗚呼、可哀相に。君はなんにも悪くない。ただこの女よりも美しく、ただ女に目を付けられた、それだけでこうもあっさりと殺されてしまったんだから。


 もったいないから、せめて魂はボクが美味しく食べてあげるねぇ。


 両手で大事に掬い上げて、美味しそうなそれをペロリと一飲みしようとしたその瞬間、風がボクの真横を過ぎ去った。


 ふわりと香るバラの匂い。その正体を察すると同時に、ボクの両腕が肘から下が綺麗になくなっていることに気づいた。


「やぁ、こんばんは。佳い夜だねぇ」


 路地裏に一人の男が軽やかに降り立つ。左肩には人間の女、右手には真っ白な魂。それは彼の手からふわりと天へと昇っていってしまった。嗚呼残念、食べ損ねた。


「あーあ、見つかっちゃったぁ」


 まぁ、随分腹も満たされていたし良しとしよう。それに腹ごなしの運動は大事だ。


 ボクは笑う。これから楽しい楽しい時間の始まりだ。











◆◆◆◆◆




「こ、れ……」


 充満する鉄錆の匂いに、うっと口元を押さえた。

 俵担ぎにされて空をジェットコースター並みに駆け抜けて酔った上にこの臭いだ、その場で嘔吐しなかっただけ褒めて欲しい気分である。


 一足遅かったようだね、と言いながらユリウスに肩から降ろされ、私は彼らを見た。


 目を引くのは銀糸の長い髪の美しい男だ。その後ろにはナイフを持った大人しそうな女がこちらをじっと見つめている。おそらく、というか見るからに前者が例の悪魔なのだろう。

 彼はこの状況にそぐわずニコニコと笑いながら、世間話でもする気軽さでユリウスに声を掛けてきた。


「ユリウスが人間の女の子を連れてるなんて珍しいねぇ。非常食ぅ?」

「まぁそんなところかな」


 いや、ふざけんな! 喉まで出かかったツッコミを飲み込むのに苦労した。


「そういう君も人間とつるむなんて珍しいじゃないか、サラヴィ。それに随分とつまみ食いをしたみたいだが、大好きなお母様に叱られてしまうのではないかね?」

「大丈夫。貴方がお母様に内緒にしておいてくれれば、なぁんにも問題ない。でしょお?」

「おや、私が報告しないとでも?」

「あははっ! なら一週間くらいお仕事お休みさせてあげる!」


 サラヴィと呼ばれた悪魔がゆらりと体を揺らしたかと思えば、次の瞬間は彼のすぐ目の前まで迫っていた。

 とん、とユリウスの大きな手が私の体を横に突き飛ばすとほぼ同時に、鋭利な何かが私の頬を掠めていく。


 爪っ?! てかあの人腕治ってる!! 超回復スキルでも持ってるわけ?! チートじゃんっ!!


「チヨ、離れていなさい」

「そうそう、人間は人間同士でねぇ!」


 君、そこちょっと邪魔、とサラヴィが私の背中を蹴り飛ばして高く跳躍し、ユリウスがそれを追っていく。


 しかしそれを目で追うことは出来なかった。そんな余裕は、サラヴィによって前に押し出されるようにバランスを崩したその先からナイフを持った女が駆けてくるのが見えた時点で消え失せた。


 こ、こっちはこっちでピンチですっ!!


 咄嗟に体を捻ってナイフを躱し、受け身をとってすぐに体勢を整え女に向き直った。

 ギリギリセーフ!! あっぶな!!


 ぴちゃり。


 ふと手を着いたその場所が妙に生暖かい。私は恐る恐る自分の手のひらを見た。

 血だ。僅かに振り返れば女性の遺体がそこにある。まだ温かい。さっきまで生きていたんだ。殺されたんだ。


 目の前の、この女に!


「あなた可愛いわね。ちょうどいいから、あなたもカミサマに捧げましょう」

「カミサマ……って、もしかしてさっきのサラヴィって悪魔のこと? 冗談じゃない」

「っ黙れ、あの方は悪魔なんかじゃない、私のカミサマよっ!!」


 突如激昂した女がナイフを握り締めて突っ込んできた。でも胴体がら空き、攻撃は単調。フェイントをかけられるような技術もまるでなし。

 女性の遺体を避けて一撃、二激と後退しながら攻撃を躱し、私はベルトに挟んであった警棒を引き抜いて振り出した。

 え、なんで警棒なんて持ってるのかって? 日中ユリウス達が眠っている間の有事の際の護身用にユリウスに貰ったんだよ!


 そして思う。この人……




 ズブの素人だ。


 そう判断したら何も躊躇う必要はない。私はナイフをもつ女の右手を打ち、続けざまに相手の太腿に警棒を振り下ろした。


「がっ……!」


「ド素人が……こんなシャレにならないもん振り回してんじゃねえ!」


 ドッ!


 体勢が崩れたところに容赦なく蹴りを叩き込むと、女は倒れてピクリとも動かなくなった。死んではいないだろうけど、危険だから落ちたナイフは蹴り飛ばして遠ざけておく。


 女が手にしていたナイフには被害者のものと思われる血がべっとりと付いていて、てっきり連続通り魔事件の犯人は悪魔ではなくこの人だと思っていたから、少なくとも何かしらの体術経験者か、もしくは悪魔によって攻撃力の負荷でもされてるのかと思ったけど違った。この人は喧嘩慣れすらしてない一般人だ。だからこそ被害者が無警戒で襲えたのかもしれない。


 でも一応拘束くらいはしといた方がいいのだろうか。それからユリウスとサラヴィとやらは一体どうなっただろう。


 何気なく空を見上げたその瞬間、すぐ側で金の瞳と目が合った。






「あれぇ? もう終わっちゃったの?」

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