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始まりは唐突だった

 人生とは、いつ何が起こるかわからないものである。


『昨夜未明、都内〇〇区にて二十代女性の遺体が発見されました。女性は頚部を切りつけられた事による失血死で、警察は先月末から発生している連続通り魔事件との関連性を調べています』


 またか。私は眉を顰めてテレビを消した。

 先月からこんなニュースばかりが続いている。若い女性ばかりを狙った通り魔事件で、今回で五人目だ。一昨日の夜なんか心配性の母から「あんたも若い女性なんだから、ぼーっとしてないで気をつけて帰りなさいよ」と注意された。ぼーっとしてるように見えるのだろうか。大変遺憾である。

 でもまぁ確かに用心するに越したことはないのは事実だよなぁと改め、しばらくはなるべく大通りを歩いて帰るようにしようと考えながら身支度を整えると、私は家を出た。


 私の名前は浅羽千夜(あさば ちよ)、二十六歳。都内勤務のしがないOLだ。毎日電車に揺られて決まった時間に出社して、昼間は仕事に追われ、夜クタクタになって帰り泥のように眠るという変わり映えのしない生活を送っている。

 それでいい。私は自分を取り巻く環境の変化が苦手だった。何ら変わり映えのしない毎日が平穏に続くことに安心感を覚えるような人間である。わくわくやドキドキといった刺激的な何かを求めることはしない。そういうものは本や映画、遊園地のアトラクションなどから摂取できれば十分で、非日常的なものは娯楽としてたまに得るからいいのである。安定が一番だ。


 人生つまらなくない? と聞かれることはあるが、不満に思ったことはない。心穏やかに生きたいと願うことの何がいけないのか。


 もしかしたら私は、前世とても波乱万丈だったのかもしれない。


 と思うほど、私は平和で変わり映えのしない毎日が続くことを望んでいた。


 ――――なんて思うこと自体がある種の"フラグ"というやつだったのだろうか。


「ん?」


 その日、東京は雨だった。二時間ほど残業をして私が最寄り駅に着いたのは夜の八時半を回った辺りだ。自炊する気も起きず駅ナカの総菜店でお弁当を買い、お気に入りの紅い傘を差してなんとも憂鬱な気分で歩いていると、ふと視界の端に何か見慣れない物が映った気がして足を止めた。不思議に思いながら、私は意識を違和感を覚えた方に向ける。


 人が倒れていた。うつ伏せに倒れているせいで顔はわからず、長い黒髪が雨で濡れたコンクリートの上に広がっている。


『昨夜未明、都内〇〇区にて二十代女性の遺体が発見されました。女性は頚部を切りつけられた事による失血死で、警察は先月末から発生している連続通り魔事件との関連性を調べています』


 その瞬間に脳裏を過ぎったのは今朝見たニュースだ。まさか、まさかそんな……っ!


「だ、大丈夫ですか?!」


 何の変わり映えのしない毎日をただ穏やかに過ごしたい私でも、要救助者を見なかったふりなど出来るはずもない。

 もし本当に通り魔の被害者だったら、もしまだ犯人が近くにいたら。その時の私はそんな事は頭からすっかりなくなっていた。まだ助かるかもしれない、今度は間に合うかもしれないと焦燥感に駆られて駆け寄った。


 ――――今度は? いやそんなことはどうでもいい。


「大丈夫ですか? しっかりしてください!」


 傘を投げ出し慌てて駆け寄ってふと気づく。暗くてよく見えないが少なくとも血は見当たらない。匂いもしない。だとしたら怪我をした訳ではないだろう。脳梗塞? 心筋梗塞? 意識がないなら救急車を呼ぶべきか??


「う……」


 とにかくまずは意識があるか確認しなければと声をかければ、倒れているその人は小さく呻き声を上げた。その声は低く、長い黒髪で女性だと思っていたが男性だったようだ。


 呻き声を合図に、力なく投げ出されていた指先がぴくりと動く。そしてのろのろと腕を動かして起き上がる姿に安堵したのも束の間だった。


「あの、大丈、」


 私の言葉はそこで途切れた。濡れた長い髪の合間からぎらりと光る瞳と目が合った。

 赤い瞳に縦長の瞳孔、それは人間が持たざるもの。それに気づいた瞬間、私は既にその男に引き寄せられていた。


 そして抱き寄せられたと認識した次の瞬間には、すぐ近くでブツリと嫌な音を聞いた。


「あ、」


 熱を感じた。

 痛みを感じた。

 痛いのは喉だ。

 すぐ耳元で聞こえるおぞましい音をかき消すように絶叫していたのだ。


 しかしそれも長くは続かず、私はその日初めて恐怖で失神するという体験をしたのであった。




◆◆◆◆◆




 誰かが窓辺で本を読んでいる。一人掛けソファに腰かけて、ゆらりと揺らめく蝋燭の炎のやわらかな明かりに照らされるその横顔は黒く塗り潰されていてわからないけど、何だかとても懐かしい気がした。


『おいで、  』


 名前を呼ばれたのだろう。低くやさしいその声に私の胸は愛しさに満たされ、躊躇うことなく寄り添うと、その人は私の手をそっと取り、私の手の甲に唇を落とした。


『喩え         』


 ねぇ、今何と言ったの? よく聞こえない。


 とても大切な言葉だったはずだ。忘れてはいけない、とても大切な、大切な……




 目の前に見覚えのない天井が広がっていると理解するまでに数秒を要した。天井、というか天蓋と言うべきだろうか。頭上には丸い金属フレームが吊り下げられ、その上からベッドを覆うように透け感のある白いカーテンが降ろされている。なんていうかこう、どこのお姫様だって言いたくなるような私の趣味からはかけ離れたインテリアだというのは間違いない。


 というかここは一体どこだ?


 ほんやりとカーテンを見上げていると、ぱたんという音がすぐそばで聞こえた。


「おはよう。気分は如何(どう)かね?」


 何だかとても魅惑ボイスでやさしく尋ねられたことに驚き、私はばっと体を起こして声の方に体ごと向くと、彼は手にした本を窓際のサイドテーブルの上に置いて降ろされたカーテンに手をかけたところだった。

 白い手袋をした手がまるでやさしく髪を払うかのように搔き分け、ベッドの端へと腰を下ろすと、「失礼」と短く断って私の頬に触れる。


 目が離せなかった。スグリのような赤い瞳に、同じ赤のリボンで緩く一纏めにして左肩に流された黒檀の髪。歳は三十後半から四十歳というところだろうか、恐ろしく整った顔立ちをしている。もう少し若ければクールビューティーな王子様と持て囃されたに違いない。


 そして何よりとんでもないイケメンボイスである。低くしっとりとした、例えるならばそう……津田健〇郎ボイス。すごく、ドキドキした。


「うん、顔色もいいし、それに傷も綺麗に塞がっている。問題なさそうだね。痛みや違和感を覚える場所はあるかい?」

「い、いえ、どこも……えっと、どちら様ですか? あとここは一体……」


 ぱちぱちと音がしそうなほど……いやむしろパサパサと音がしそうなほどに睫毛の長い目が瞬くと、彼はやわらかな笑みを浮かべてこう言った。


「私の名はユリウス・ヴァレンタイン。このヴァレンティノ地方を治める伯爵だよ」


 そしてここは私の屋敷で、気を失った君を介抱するために連れてきたのだと。






 用意された服に袖を通して、まずは朝食にしようと言われて簡単に食事を済ませたあと(何故かユリウスさんは食事をせずに紅茶だけだったけど)私は彼にこの世界のことについて説明を受けた。


 ここは女王ユリアーナが統治するヴァンガルト国の北に位置するヴァレンティノ地方。主に吸血種(ヴァンプ)や魔族が多く住んでいるという。


 いやいや待て待て、私日本にいたし相手はバリバリ流暢な日本語しゃべってるし、そもそも魔族って何? 何の冗談なわけ? 今日はエイプリルフールでもないぞ?? それにヴァンガルト国なんて聞いたこともない。


 美しい元黒髪の王子様(仮)が途端に胡散臭い男に見えてきて、私は内心彼と数メートルほど距離を置いた。


「えっと、ヴァレンタイン伯爵」

「ユリウスでいいよ」

「ユリウス様。あなたは人間ではなく魔族ということですか?」

「その通り。私は吸血種だ。この屋敷にいる者たちもほとんどが同族だと思っていい。あぁでも安心しなさい、吸血種だからといって見境なく人間を襲ったりはしないよ。こちらの世界では基本的に家畜の血や赤ワインや薔薇の生気が主食になっているからね」

「こちらの世界?」

「君の住んでた世界はこちらの裏側、或いは並行世界の一つとでも言った方がいいかな。要は異世界というわけだ。二つの世界は隣接していて国家が管理する特別なゲートで繋がっているのだよ」


 ユリウス曰く、私の住む世界とこの世界は他の並列世界に比べて極めて近接しているらしく、時折発生する"世界の裂け目"によって両世界の住人が迷い込むケースがあるらしい。


 魔法や魔族が存在しない向こうの世界から人間が紛れ込む分には問題がないが、こちらの住人、特に魔族が迷い込むケースは見過ごすことはできない。そこで国家でそれぞれが管理している特別なゲートを使用し、各国が調査団を派遣して迷い込んだ住民の保護や管理を行っているのだそうだ。


 なるほど、日本でいうところの神隠しなんかがこれに該当しそうだなとうっすら思った。


「つまり私はその世界の裂け目とやらから迷い込んだ向こうの住民ということですか?」


 そう尋ねると、何故か彼の笑顔がわかりやすく固まった。ほんの一瞬。にっこりと笑顔を浮かべたまま、そばに控えていた執事風の男性に「オーガス、紅茶をもう一杯」とまるで何事もなかったかのように頼む。ほんの僅かな間だったけど何か怪しい。心の距離が数メートル以下略。


「そうですか、然るべき機関があるということはそこに名乗り出れば簡単に自分の世界に帰れそうですね。お世話になりました」

「待って待って待って。わかった、ちゃんと説明をするから座って」


 やっぱり何か相手にとって不都合なことがあるらしい。やれやれとため息をつく様も腹が立つほど麗しい、なんて感想はとりあえず横に置いておくとして、私は再び席に着いて「あー」だの「うー」だのと唸っている彼を見つめる。


「……実はだね」


 そして彼が語った話に。今度はこちらが頭を抱える羽目になった。


 何でも女王から調査命令に従って迷い込んだ魔族を探して向こうの世界に踏み込んだは良いものの、度重なる不幸によって仲間との連絡手段が断たれた上に空腹で行き倒れ、挙句そんな彼を救助しようと偶然接触した私をうっかり襲って血を啜って気絶させてしまい、何とか仲間と合流して慌ててこちらに連れ帰ったのだという。


 この伯爵、もしかして見た目はクールビューティーなのに激しくポンコツなのでは……?


 おまけに吸血によって微量の魔力が私の体に移ってしまったせいで、簡単にむこうの世界に返すわけにはいかなくなってしまったのだという。


 私は思った。こいつ一発殴ってもいいんじゃないかと。

まだまだ序章です。

今後どうなっていくかはわかりませんが、お楽しみいただけたら嬉しいです。

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