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浄霊屋  作者: 猫じゃらし
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記憶の残滓 4


「だれっ……」


 大智は驚き、叫び出しそうな衝動を抑えてそれだけを振り絞った。声は掠れてか細い。聞いた者には恐怖一色とわかる声音だった。

 顔を上げ、寝室内のごく近いそこに存在を見つけて大智は身体を硬直させた。


 ほんの八畳ほどの寝室。

 古い造りの家は屋根が低く、ただでさえ圧迫感があり狭く感じる。

 その狭さの中に大人が二人も入れば、部屋の隅と隅にいたとしても視覚的に近くにいるように感じるだろう。


 ため息の主、先程までは()()()姿()でしか見ていなかった人物は、畳まれた一組の布団を前に胡座をかいてうつむいていた。



「はぁ――……」



 大きくもなく、かといって小さくもない陰鬱な吐息が再び零された。

 入り口近くにしゃがむ大智からはその人物の横顔、胡座をかく横向きの姿がはっきりと視えている。もしかしたらあちらからも、視界の隅には大智が映りこんでいるかもしれない。

 あぁ、どうしようかと忙しなく暴れ出す鼓動を全身で感じながら思う。


 健を呼ぼうか。でも、声を出して振り向かれでもしたら――……。


 現状のまま何も起こらないはずがないとはいえ、安全の保たれているこの一瞬の現状を崩したくないと臆病な自分が唇を震わせた。

 吸い込む酸素は緊張のあまり過分なほどなのに、吐き出す二酸化炭素は呼吸音を少しでも消そうと細く途切れ途切れだ。苦しさから思考が鈍くなるまで、そう時間はかからなかった。



「はぁ――……あいつは、まったく……」



 あいつ……?

 繰り返されるため息と一緒に滑り出た言葉。悪態をついたような言い方なのに、その実「しょうがない」という思いが滲み出ているような。

 酸素不足の頭ではどうにも答えが見出せず、大智は眉をひそめた。


 すると。


 パッと顔を上げた。

 それは大智ではなく、目の前の人物。急な動作に大智は肩を跳ねさせた。

 警戒、というよりは恐怖から壁に背を張り付ける大智だが、その人物はまったく見向きもせず立ち上がった。

 迷いなく歩き出す。その身体は歩行による揺れが一切なく、スゥ――と消えゆくように。


 大智の前を通り過ぎ、階段を下りていった。足音や階段の軋みはなかった。


 そこで大智は気づく。

 階下では、お(りん)の音が細く伸びていた。


「お、追わなきゃ……」


 硬直していた身体を動かすと、足に力が入らずふらりとよろけた。ずっとしゃがんでいたせいでぴりぴりと痺れ始めていて、よろけたせいで一際大きく痺れが走った。

 けれど大智は止まることなく寝室を出た。階段には、あの人物の姿はすでになかった。


 慎重に階段を下りていく。

 足にまとわりつく小さな痺れなど無視した。

 階段が軋むたびに顔をしかめ、体重を心ばかり軋まぬほうへ移動しながら、階下に下りたはずの人物を目線で探した。


 ふわ、と台所にかけられたのれんが揺れた。


 階段を下り切ってすぐ、大智はのれんの隙間から中を覗き込んだ。

 台所は深夜の空き家ということを踏まえても、他の部屋にはない重たい空気が闇を濃くしていた。



「……お前は、いつまでそうしているんだ?」



 台所にその人物はいた。

 残されたダイニングテーブルは片側を壁際に、台所の中央に置かれている。その横に、その人物は立っていた。



「いつまでここにいるんだ?」



 ダイニングテーブルには二脚の椅子が向かい合わせに置かれていた。

 手前は大智のいる出入り口側と、奥はシンクやガス台の置かれる調理場側。


 手前に、喪服姿の老婆が頭を力なく下げて座っていた。

 大智の追ってきた人物――老爺は、老婆を見下ろして淡々と語りかけている。



「お前のしていることは不毛だ。死んでもなお、生前のことに囚われすぎている」



 老婆は丸まった背中に、細い肩までをも落としてしまっている。

 『落胆』。それ以外の言葉は当てはまらなく、見ているだけで胸が締め付けられるものだった。



「もう、忘れろ。あんなもの、生きているうちだけだ。お前が気にすることじゃない」



 老爺のかける言葉は闇に溶け込みそうなほど落胆する老婆には辛辣に聞こえる。けれど老爺の声には刺々しさはなく、それどころか長年を共にしてきた隠れた愛情を感じさせた。

 老爺はまた、ため息をついた。



「約束はもういい。いいから、早くこんな所から出てこい」



 老婆の肩が震える。

 うっ、うっ、と小さな嗚咽は悲痛で、丸まった背中はこれ以上にないほどにうつむき沈みこむ。

 老爺が痛々しげに顔を歪めた。そんな二人を見ていた大智も、襲いくる悲しみを紛らわせようと胸元の服をぐしゃりと握り込んだ。

 喉の奥から熱い息が漏れ出しそうになった。


 老爺は老婆に手を伸ばす。

 小刻みに上下する丸まった背に、節くれ立った皺のある手が置かれようとして。


 老婆は余韻もなく姿を消した。



「まだ、繰り返すのか……」



 老爺もまた、落胆の吐息と共にその場から姿を消してしまった。





 ❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎





 お鈴が鳴り止んだ。

 喪服姿の老婆が布団横から立ち上がり、今まで通りリビングを出ていった。その表情は霞がかってはっきりとは視えないが、何も見ようとせずただ虚なものだと健は感じ取った。

 幽霊としては当たり前の陰鬱さ。けれど、健が視ているのは()()()()()()()()のはずだ。

 死後のものじゃない。なのに、悲しみが一切見えないのはなぜだ?


「……大智は大丈夫かな」


 少し前に階段の軋む音が聞こえたので、二階にいた大智が下りてきているはずだ。リビングに来ないということは台所か浴室を確認しているのかもしれない。


 まだ痛みの治らない頭を押さえて健もリビングを出ると、台所の入り口に大智を見つけた。


「大智……」


 声をかけて、ぴたと止まる。

 振り返った大智はぼろぼろといくつも涙を溢し、胸を押さえていた。健を見つけて大きくしゃくりあげる。


「たけるっ……」


「どうした!?」


 数歩の距離を健は駆け寄った。

 自然と飛びついてきた大智は遠慮なく健の胸に涙を擦り付けた。

 苦しげな嗚咽が、記憶のループを終えた静まり返った家内に響いていく。


 大智は涙声でままならない言葉を発する。


「お、おばっ……おばあ、ちゃんとっ……」


「おばあちゃん? あのばあさんか?」


 健はそんな大智の背をトントンと叩きながら、続きを待つ。


「おじ……っ、おじい、ちゃんっ……が……」


 おじいちゃん。

 恐らく布団に寝かされていた老爺だろう。ここにきて出されるには不思議な人物ではないが、それは老婆の記憶の中での話だ。


「いたのか?」


 問いかけると、大智は大きく頷いた。


「……生きてたのか?」


 その疑問は死者に向けるには不正解だが、細かいことは置いてそう聞いた。

 察した大智はまた頷いた。


「二階に、いたんだ、おじいちゃん……すごく暗くて、思い詰めてるみたいで、でもおばあちゃんのほうが思い詰めてて……っ」


 勢い余る大智はまたぼろぼろと涙を零す。

 健の服の胸元は両手で掴まれ、涙も相まってぐしゃぐしゃだ。

 言っていることも要領を得ない。


「じいさんとばあさんが何を思い詰めてるんだ?」


 落ち着け、と背を叩いていた手を大智の頭に乗せる。ぐしゃぐしゃと髪を掻き回し、ついでに離れろと力も込めた。

 健の胸から顔を浮かせた大智は、無造作にかかる前髪に目を細めた。


「わからないよ。でも、二人ともすごく落ち込んでたんだ……」


「ばあさんが落ち込んでるのは、じいさんが死んだからじゃないのか?」


「そうだよ、きっとそれもあるけど……」


 健がぐいぐいと頭を押すので、大智はようやく胸元の服も離した。

 自らの腕で涙を拭い、前髪を整えると一息ついた。健の服は涙と皺でいっぱいになっていた。


「なんかでも、他にあるみたいなんだ……約束って……」


「約束?」


「約束はもういい、って、おじいちゃんが言ってたんだ」


「約束……」


 落胆する老婆。

 見せられる記憶は老爺の死と向き合うものだと思っていたが、それがまず間違いなのだろうか。そもそも老婆の表情からは悲しみは感じられなかった。

 あのループの中には、約束に関する手がかりがあるのかもしれない。


 それが果たして何なのかは、他人の健と大智には検討もつかないが。


「……次は俺も二階に行く。じいさんはどこに現れるんだ?」


「寝室だよ。タイミングは、おばあちゃんが二階に来た後だった」


 のれんを挟んで台所から、スリッパの足音がぱたぱたと聞こえ始めた。再び記憶のループが始まる。


 すっかり涙を収めた大智を前に、健も二階の寝室へと向かった。





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