それぞれの在り方(待ち人) 2
山道は思ったよりもちゃんと道ができていた。そして、思ったよりも鬱蒼とした道になっていた。
つまり、元はよく使われていた道だが、使う者がいなくなって廃れてしまっていた、ということだ。
スマホのライトで照らしながら、慎重に歩いた。
かつては車も通っていたらしく、道幅はある。
草は生い茂っているが足を取られるほどじゃない。が、垂れ下がる蔦や横に伸びる木の枝などは手で払わなければいけない。
前を歩く大智がなるべく払ってくれるのだが、健はその労力を割いてもついて歩くのがやっとだった。
痛む背中と、痛み出した頭に気力を奪われる。
「この町のお盆祭りはけっこう盛大だったらしいよ」
」
道すがらで大智がそんな話をした。
一楓から聞いたか、自分で調べたのだろう。
「死者を迎えて、お祭りでおもてなしをして、見送る。それをしていたのが、これから向かうところなんだ」
「お祭りは山の中でしてたってことか?」
「ううん、お祭りは町の駅前。向かってるのは、あの世への発着地だよ」
「……何があるんだ?」
大智はそれには答えない。
黙々と草に覆われた砂利道を進む。
「この道もちゃんと整備されてたんだって。まぁ、見ればわかるか。落石があってから山道は閉鎖されてるらしい」
たしかにこの道に入る際、立ち入り禁止の札がかかったチェーンを跨いできた。
一楓のおつかいというからてっきり、理由は自然災害とは別だと思っていた。
「今は町にだけなのかな。町からこの山道、今向かってるところまで、道標が灯されるんだ。死者の道標。それが、そのお祭りの見どころでもある」
「その祭りと、これから会う人物とはなんの関係があるんだ?」
「……きっかけだよ。すべての……――終わりの。彼は、この町に住んでたんだ」
彼。一楓が気にかけているのは男性なのか。そして、終わりとは。
健は大智の表情を窺いたかったが、背中しか見えない。
声色は恐ろしく冷静だ。
「彼は他の死者と一緒に迎えられて、お祭りを満喫したら、また他の死者と一緒に見送られるはずだった。……きっと」
「きっと?」
「俺の予測だから。姉ちゃんは教えてくれないよ」
「それは、なんでだ?」
「……――姉ちゃんと彼は、親しい関係だったから」
不思議だとは思っていた。
一楓が関わった依頼であれば、大智に頼むのは「導いてあげて」ということだったはず。
何かを「伝えてほしい」ということも、もしかしたら導くことに繋がるのかもしれない。だが、だったら大智の機嫌が悪いのはなぜだ?
――大智は、その彼を知っているのだ。
ここにきてようやく、大智の感情の変化に納得することができた。
生い茂った道にかかる木々がだんだんと少なくなる。そして少し歩けば、夜空を見上げられる拓けた場所に出た。
高く昇った月は変わらず高く遠いまま。
真っ暗な山の中に、影がかかって真っ黒に見える廃墟が姿を現した。
慄きつつも、大智はその廃墟に近づきスマホのライトで照らした。
「これじゃ、何かわからないね……」
建物は一階建て。外壁は剥がれ落ち、せり出した屋根も一部落ちている。窓は枠しか残っていない。
一見は小屋のようだ。だが、それよりもしっかりとした造り。
大きく造られた入り口部分は扉が外され、中は吹きさらしになっている。
体が万全でないことによって息を切らせた健は、余裕なく周りに危険がないかだけを確認した。
建物が何かは後回しでよかった。それよりも、頭痛がどんどんひどくなっていた。
「大智、俺はいた方がいいか?」
建物の中をライトで照らしていた大智は、崩れ落ちそうな天井部分に眉を寄せていた。
健を振り返ると、答えは決まっている。
「大丈夫。そこで休んでて」
「何かあったら呼べよ」
「今の健はあんまりあてにならなそうだけど……」
また建物の中に目線を移して、でも、と言った。
「俺が暴走しそうなら、止めに来て」
大智は足元に落ちる大きな石や瓦礫を避けながら、その闇の中に踏み込んでいった。
健は大きく息を吐く。バレていたが、それでも気丈に振る舞ったほうだ。
建物の入り口、扉がついていただろう柱にもたれて、ずるずると座り込んだ。
もう一度大きく息を吐く。背中の痛みが和らぎ、頭の痛みは増した。
聞き取れぬほどの大智の話し声が聞こえ始めたのは、わりとすぐのことだった。
❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎
建物の中は瓦礫の山だった。
足を取られないよう避けて歩き、突き出た鉄骨にゾッとする。
見上げれば、外からはわからなかったが天井部分はすでに崩れ落ちていた。夜空が見える。
わずかな砂塵でも降ってきそうな気がして、大智は足を早めて建物奥のすでにない扉を越えた。
そこはまた外だ。
鬱蒼と茂った背の高い草が、大智の足場を覆おうと穂先を伸ばしている。
いまだに残っているはずのレールなど欠片も見えない。
大智の踏みしめる、コンクリートでできたホームさえも崩れかけていた。
それほどまでに年月を経た廃墟。
そう、ここは、かつては駅だった。
死者のこちらとあの世を繋ぐ発着地。そう謳われ栄えてきた、田舎の古い建造物のひとつだ。
大智は決して長くはないホームに目を向ける。
崩れかけた壁に接するように、これまた崩れ落ちる寸前のベンチを見つけた。
ペンキの塗装はすでにない。ささくれ立ちの目立つ木のベンチ。
そこに腰掛ける、俯いた青年。
大智はごくりと唾を飲み込んだ。すでにいなくなっていることを期待していたが、もちろんそんなことはないとも思っていた。
意を決して一歩踏み出すと、砕けたコンクリートが大きな音を立てる。
背中にじんわりと汗が滲むのを感じた。けれど、青年は微動だにしなかった。
大智は乾いてくっついてしまった唇を引き離すようにして、声を振り絞った。
「――あなたが、野瀬さん?」
青年の肩が揺れる。
ひどくゆったりとした動作で、それこそホラーさながらのもったい振りようで顔を上げた。
どんよりと暗い瞳。それが、焦点が定まらないように大智を見た。
「…………何」
掠れ声が返ってきた。
死者と理解しながらも人間らしい反応があったことに、大智はほんの少しだけ安堵した。
青年はベンチから動くことなく大智を見ている。
大智は一呼吸おいて、口を開いた。
「長谷一楓……わかりますよね。伝言を預かってきました」
「長谷……?」
青年が目を見開いた。闇を宿したそこにだんだんと光が戻っていき、朧げなその存在がはっきりと姿を現す。
大智より大きな身体つき。長い手足を見るに、健くらいの身長だろうか。
ぼんやり、そしてどんよりとしていた顔は爽やかで、本来の好青年らしさを取り戻した。
「長谷が、なんて……? 彼女は無事なの?」
「無事じゃありません。あなたは何をしたんですか。覚えてないんですか」
「…………」
前のめりに立ち上がりかけていた青年は、力無くベンチに身体を戻した。
実体のある大智が同じことをすればベンチは崩れ落ちていただろう。それほどに脆くなったベンチに、青年はずっと座っていたのだろうか。
大智は心苦しさに顔を歪めながら、それでもふつふつと湧き上がる怒りを抑えることはできなかった。
「生きては、いるんだよね」
「だったらどうだと。俺は正直、あなたにそれを教える必要はないと思っています」
吐き出す言葉に険を隠せない。
青年は悲しげに顔を歪めて、それから柔らかに口元を緩めた。
「君は、長谷のいとこ君だね」
「……そうですけど」
「長谷から聞いたことがあった。遠方に住むかわいい男の子がいるって」
「それが、なんなんです」
「……いや、ただ思い出しただけ」
懐かしそうに目を細めた。優しい顔つき。
大智を通して一楓の姿を思い浮かべでもしたのか、向けられる穏やかな雰囲気に大智は居心地が悪くなる。
青年は深く息を吐くと、大智から顔を逸らした。
「長谷は怒ってるの?」
「なぜそう思うんです」
「俺は取り返しのつかないことをしたから」
「だったら、なぜやめなかったんですか」
「……やめられなかったんだよ」
青年はつぶやいた。
地面に適当に投げられた視線は力無くうつろで、大智にはそれが投げやりに見えた。
「ありえないって、わかってる。今ならそう思う。いや、前だってそう思ってた。思ってたけど……」
大智は口を挟みそうになるのを堪え、青年の続きを待った。
「いざ目の前にしてしまうと、ダメなんだ。ダメだった。長谷を離せなかった」
大智の中で急激に熱が上がる。
無意識に握り込んだ拳が震えた。
――そんな、自分勝手な理由で。
「離せなかった、じゃない。その結果、どれだけの大事になったのか。今、なっているのか! あんたはわかっていないのか!?」
大智は声を荒げた。
青年はわかっていたとでもいうように、大智の怒りを静かに受け止める。
「死んでしまったあんただからこそ、わかってるはずなのに! 残された人達がどんな想いをするのか。悲しみに暮れ、あんたほどの若さで死んでしまったら後悔だって絶えない。あんたは一番、それを理解しているはずだろ!」
大智も止められなかった。
酷いことを口走っている自覚はあっても、青年が言い返さないことにどうしても事実を投げつけてしまう。怒りをぶつけてしまう。
静寂の中に響き渡った、普段は聞かない大智の怒鳴り声。
止めてほしいと頼んでいた健は、驚いた顔ですぐにやってきた。
「なんであんたが姉ちゃんを……一楓を裏切ったんだ! 一楓はあんたのことを、今でも想ってるのに!」
「大智、やめろ。落ち着け!」
健が大智の肩を掴むが、大智はそれを振り払った。
青年が大智を見ている。腹立たしいほどに穏やかな顔つきだった。
勢いづいた大智を健が羽交締めにして、体格差に抗えず後ろに引き摺られた。
「なんであんたなんかに……っ! なんで連れて行こうとしたんだよ! 一楓が待っててと言っても、俺は絶対にあんたを許せない!」
踏ん張る大智に、痛みで力の入らない健が小さく呻いた。
青年が静かに立ち上がる。大智を見据えたまま、瞳は水気を含んだ。
大智の声は涙混じりになっていた。
「絶対に許さない……!」
大智の思いの全てを受け止めて、青年の吐き出す息が震えた。
「長谷は、待っててと言ってくれるのか」
「そうだよ! なのにあんたは……っ」
「……――君も、長谷が好きなんだね」
ふ、と微かに鼻で笑う。
青年は瞳を涙で揺らした。
「俺も長谷を好きだった。すげぇ好きだったよ。今でも好きなんだ。こんなに未練がましく残ってしまうほどに」
ぽたり、と一雫。
先に頰に涙を伝せたのは、大智だった。
「だからって……」
「わかってるよ。好きだからこそ連れて行くなんて、って気持ちは。でも無理だったんだ。目の前にしてしまうと、手放せないんだ。――愛しすぎて」
大智は苦しくなった喉に、ぐっと言葉を呑み込んだ。
青年の言い分がわかってしまった。
「ずっと一緒にいたいと思ってしまったんだ」
青年も涙を伝せる。
未練ばかり残る、若い死。満足するには短すぎる生。
先日の若女将や旦那とは違う。彼らには新たな命が宿っており、未来があった。青年にはそれがない。一楓しか見えていない。
けれど、大智も引き下がれない。
青年の気持ちが痛いほどわかっても、思い通りにさせるわけにはいかなかった。
「それでも、あんたは死んでる。一楓とは違う」
「そうだね……」
「お願いだよ。あんたが諦めさせてよ。じゃないと、一楓は前にも後ろにも進めないんだよ……」
「……」
青年が夜空を仰ぐ。
吐き出した息は先ほどよりも震えていた。
数回深呼吸して、手の甲でぐいっと涙を拭くと大智に向き直った。
意思の強い瞳は、大智をまっすぐに見る。
「俺も、長谷に会わなきゃ前に進めない。――……長谷に会いたい。好きだと、伝え足りない」
その瞳は夜空のように深く澄み、闇はかかっていなかった。
まるで、生きている人間の眼差しだった。
「長谷に伝えてくれるかな。ずっと待ってる、と」
それだけ言うと、青年はまた顔を和らげた。
嗚咽を漏らす大智に同情しながらも、譲らない姿勢を貫いた。年上、そしてすでに一楓と想いが通じ合っていることに余裕を見せて。
青年は、瞬きをする間に姿を消してしまった。
本年の更新はこれで最後となります。
お読みいただきありがとうございました( ⁎ᵕᴗᵕ⁎ )
さて、このお話の続きとして短編を置いておきます。
個人企画用に書いた物ですが、一楓目線の過去編でありかなり大事なお話となっています。
大まかな伏線も回収できるのではと思います。
年末年始、お楽しみいただけると嬉しいです。
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残り少ないですが、皆さま良いお年を★
来年もどうぞよろしくお願い致します。