報われない花束
かさり、とビニールが擦れて鳴る。
歩くたび、持ち直すたびに。風に揺れて、また鳴る。
白と可憐なピンク。
大事なそれを包んだ、これまた可憐なラッピング。
ふわりと手に持ち、大智は歩いていた。
エレベーターを降りて、馴染みの職員に会釈をして。
ざわざわと人の動きや話し声が聞こえても、ここは静かな空間。
人の気配だけがうるさく、そして心地よくも感じる。
「入るよ」
ノックはしない。
しても、返事がかえってくることはほとんどないから。
勝手にスライドしていきそうなほど流れていってしまう引き戸を押さえつつ、部屋に入る。
「……おはよ、姉ちゃん。今日は暑いくらいに天気がいいよ」
「……」
投げかけるが、返事はない。
それもいつものこと。電話ごしや居酒屋ではよくしゃべる一楓は、ここでは無言を貫くのだ。
「窓開けていいかな。ちょっとくらい、風にあたったほうがいいよね」
ふわりと持っていた、花束。
スチール椅子の上に一時的に置くと、大智は窓を開けた。
少しだけにしようか考えて……部屋の空気の入れ替えも含めて、全開にした。
柔らかな風が吹き込む。
かさり、とビニールが鳴った。
「綺麗でしょ、これ。雪柳の花束があったから買ってきちゃった。ピンクのチューリップと、ピンクの薔薇も」
またふわりと持ち上げて、一楓に見せる。
相変わらず無言で、ぴくりとも反応しない。
そんな一楓を大智は気にせず、部屋の中を見回した。
「花瓶はー……あれ。どこしまったの? この間使ったばっかりなのに」
片腕に乗せるようにして花束を持ったまま、大智は棚を探す。
多いようで多くない一楓の私物は、綺麗に整頓されている。
パッと見て、そこにはないことがわかった。
「あれー……」
どうしようかと固まっていると、音もなくスッと扉が開いた。
部屋に入ってきたのは、大智のよく知っている人物。
「おっ、大智。来てたのか」
「おじさん」
ここでいうおじさんとは、神社の神主である一楓の父親だ。
今日は装束ではなく、私服。
そして、手には大智の探していたものが。
「あっ花瓶。おじさんが持ってたのか」
「あぁ、汚れてたから……新しい花持ってきてくれたのか。ありがとう」
大智は花瓶を受け取ると、部屋に付けられている水道から水を汲んだ。
花束のラッピングを丁寧にとり、乱雑にならないよう花瓶に入れていく。
ピンクの薔薇は小ぶりで、その分の愛らしさを感じる。
ピンクのチューリップはそれより少し背が高く、花が開ききるのが待ち遠しい。
白い雪柳は流れるように、花瓶からその花を溢れさせていた。
「また見事な。買ってきたのか?」
「うん。綺麗だったからさ」
そっと指で花を撫でる。
白く小さな花は、少し前に出会った底抜けに明るい女性を思い出させた。
自分のことよりも、周りのことを想いすぎたゆえの後悔。
たくさん泣いた彼女は、その涙を止めることができただろうか。
「……泣いてほしくないなぁ」
「ん?」
「ううん、なんでもない」
消えてしまった彼女に、だけでなく。
ちらりと無反応の一楓を見て、そう思う。
自分のことを棚に上げてしまっている一楓は、きっと自らを顧みることがない。
大切なんだよ。誰よりも、大切なんだけど。
どんなに想っても、大智の気持ちは空振りのまま。
年下の親戚など、視界の隅にも入らない。
「……俺、帰るね。またね、おじさん」
「おう。気をつけて」
「姉ちゃん、また来るね」
「……」
そっと手に触れる。
細く、か弱さを感じさせるその手はやはり大智には興味がない。
寂しく笑って、離した。
「依頼、待ってるね」
ふわりと、部屋に風が舞い込んだ。
花瓶の花が揺れ、一楓の髪も揺れる。
無言でありながらも穏やかなその顔に、大智は手に残る感触をぎゅっと握った。
報われることなど決してないけれど。
姉ちゃんのためなら、俺はどんなことだってやり遂げるよ。