桜下の雪原 2
女性は『みちる』と名乗った。
歳は大智とそう離れているようには見えないが、艶っぽさが大人の雰囲気を漂わせている。
ただ、性格は底抜けに明るい。絡みついている大智だけでなく、通りすがりの男性の顔を覗き込んでは「まぁまぁかな」などと評価していた。
みちるは記憶の雪原と桜を見つけるため、桜の木を見つけてはこのあたりを探し回っているのだと言った。
「雪原、て言っても……」
色とりどりの蕾が綻ぶ春真っ盛り。
大智の地元、北の地では季節外れの雪が降っても珍しくはないが、ここは気温も大きく違う大都会。
こんな時期に積もるほどの雪が降るとなれば、大事件だ。
過去にそんな日があったのだろうか。
「ねぇみちるさん。俺、上京して数年だから知らないんだけどさ、春に大雪の日があったの?」
先の公園を抜け、とりあえず近場にある公園をはしごして歩いていた。
大智の隣を歩くように浮遊するみちるは、そう問われて「んー……」と考える。
「あったかなぁ」
「覚えてない?」
「なかったと思う。そんなことがあったら全国区ニュースよ〜」
「そうだよね」
そんなニュースがあれば、上京前の大智でも気に留めて見ていたはずだ。
都会は積雪だけでニュースになるんだなぁ……と。もちろん、物心がついたあとのことであれば。
躊躇いはあるが、相手が相手なので大智は思い切って聞いてみた。
「みちるさんって、歳いくつ?」
「あら、年上を口説く気? 29よぉ」
すんなり答えたみちるは、大智の首に腕を回して絡みつく。
意地悪く笑んでいるところを見ると、ただ単にからかっているだけのようだが。
「違うってばもう、離れてよ。俺が知りたいのは、みちるさんがどのくらい前に亡くなったかってこと」
さすがに直球すぎた気もするが、やはりみちるは気にしていなかった。
つまらなそうに大智から離れ、しばらく考えた後に「いつだったかしらねぇ」とどうでもよさそうに答えた。
そんな話をしているうちに、新たな公園にたどり着いた。
ここの桜も見事な大輪だ。風が吹けば桜吹雪が舞い、地面に落ちていく。
その下にもちろん雪原などなく、一面に広がる桜色の絨毯が鮮やかだ。
「ここも違うわねぇ」
「近場だと、ここが最後なんだけど……」
大智はスマホの地図アプリでこの一帯の公園を表示させていた。
桜があり、めぼしい大きな場所はすべて見て回った。
なんだかんだと、公園をはしごするために二時間近く歩きっぱなしだった。
「みちるさん、ちょっと休憩したい」
公園内のベンチに腰をどっかりと下ろした。
はー、と大きく息を吐き、動かしっぱなしだった足を休める。
「軟弱ねぇ」
「みちるさんは足がないから」
ムッとして大智が言い返すと、みちるは「そりゃそうだ」と楽しそうに笑う。
本当に、死人とは思えない。
「その、雪原と桜? の場所は、みちるさんにとってどんな場所なの?」
「ふふ、聞きたい? 一生で一番の思い出の場所よ〜」
ふわりと、みちるが大智の隣に座った。
触れそうで触れない左肩がひんやりとし、熱を持った体に心地いい。
「私ね、そこで彼にプロポーズされたの。君は桜より、こっちの愛らしい “雪” の方がぴったりだねって。その日は桜が満開だったけれど、溢れんばかりの白には負けていたわ〜」
「……独特なプロポーズだね?」
愛らしい “雪” なんて、初めて聞いた表現だ。
北国育ちの大智は雪に愛らしさなど感じたこともないが、降雪の少ない都会では雪に対してそう思うのだろうか。
ロマンチックさはかけらも感じられず、ただ不思議だなぁと大智は聞いていた。
「大智君も参考にどうぞ」
「参考になるかなぁ」
語尾にハートを付ける勢いで勧めてくるが、大智は微妙な顔をした。
「好きな人いるって言ってたじゃな〜い」
「言ったけど、そうじゃなくて。プロポーズは人それぞれでしょ」
「ねぇねぇ、好きな人ってどんな子? 今どんな感じなの? 恋バナ聞きた〜い」
みちるが矢継ぎ早にぐいぐいとくる。
あまりにも近づいてくるので、無駄だとわかっていても大智は両手を構えて距離を取った。
「どんな人だっていいじゃん」
「ケチ〜。教えなさいよぉ」
「みちるさんに教えたって何にもならないし」
「そうよぉ、私は死んでるもの。だからこそ、人には言えない秘密なんかも打ち明けられると思わない?」
他言はできないし、とこれまた明るく言う。
そんなみちるに複雑な気持ちになりつつも、どこか納得してしまった大智がいる。
『人には言えない秘密』
これっきりの関係のみちるならば、胸に留めておく必要はない。
誰にも打ち明けることのなかった淡い恋心を、みちるになら聞いてもらうことができる。
「…………いや、やっぱりやめておくよ」
大智はかぶりを振った。
みちるがブーイングする。
「つまんな〜い。年の功で何かアドバイスしてあげられるかもしれないのにぃ」
「アドバイスなんていらないよ。どうせ、叶いっこないんだから」
短く息を吐いて立ち上がった。
いつのまに乗っていたのか、頭や肩から桜の花びらが落ちた。
そのまま、桜色の絨毯の一部になる。
みちるが大智の顔を覗き込んだ。
「……叶わなくても、後悔のないように諦めないで。死んだ私からのアドバイス」
舞降る花びらが、みちるの体をすり抜ける。
それに気づいたみちるは寂しげな微笑みを一瞬だけ見せた。
「みち……」
「ん〜? あれは誰かな?」
すぐに元の調子に戻ったみちるは、公園の外からこちらを見ている人影に気づいた。
人影は「げっ」と顔をしかめた。だが、すぐに取り繕ってこちらへ向かってくる。
大智もまた、そちらへ小走りで向かった。
「健! 来てくれたんだ!」
「……目が冴えて眠れなくなったから」
来るのは夕方だと言っていた健だが、それよりもずいぶんと早い時間だ。
照れ臭そうに唇が少し尖っている。
「あなたが健君ね〜。イケメ〜ン!」
「はぁ、どうも。必要以上に近寄んないで下さい」
「素っ気な〜い!」
みちるがきゃっきゃとまた楽しそうに騒ぎだした。大智にもしていたように健にも絡んでいく。
そんなみちるに健は明らかに不機嫌になっていき、大智を睨みつける。どうにかしろ、と。
「みちるさん、もうやめて。健は女の人が苦手なんだ」
「そうなのぉ? イケメンなのにもったいないわね〜」
「ほら、離れて。絡まないで」
「そんなに離さなくたっていいじゃないのよぉ」
引き離した健とみちるの間に大智が入る。
健にやたらと絡まないようにそうしたのだが、そこでみちるがハッと何かを思い付いた。
「大智君、叶わないって……そういうことだったのね」
「ん?」
「そっか、そうよね。同性は……ううん、いいと思う。みちるお姉さんは応援するわ」
「……ん?」
わざと憐れみを含ませた表情にイラッとした。
言わんとしていることを理解して否定しても、みちるは面白がるだけだ。
状況を把握していないはずの健が、大智の後ろで小さく舌打ちをした。