桜下の雪原 1
日射しは陽気に、春の風が強く吹き付ける。
桜の蕾は柔らかな色を一斉に綻ばせた。
巻き上げる風に花びらを乗せ、春の象徴はあちらこちらにその痕跡を残していく。
そんな、昼下がり。
ベッドの上で上半身だけ起こした健は、キャンキャンと吠えるスマホを煩わしく耳から遠ざけた。
『——健、聞いてる!? だから今すぐ助けに来てよ!』
「…………嫌だ」
寝起きにキャンキャンとうるさい。
大智からの着信は、どうでもいい話が5割、依頼の話が3割、面倒な頼み事が2割だ。
無視しようにも依頼の電話かもしれないと思うと無視できず、毎度出ては後悔する。
そして今回の内容は、2割のことだった。
『俺、大学に用があるの! だけど女の人がくっついちゃったんだって! 付き合ってくれないと取り憑くとか言ってるし、助けて!』
喚く大智の話を整理すると、こうだ。
大学に用がある大智は、まだ春休み中にも関わらず午前中のうちから大学へ向かっていた。
しかし、大学を目前にちょっと時間が早すぎたことに気づく。
せっかく春の陽気で心地いいので、近くの公園で時間を潰していこうと立ち寄る。
そこで、ふらふらと彷徨っている女性の霊と目が合ってしまった。
すぐに逸らすもまとわり付かれ「付き合ってくれなきゃ取り憑いてやる」と脅されている。
大学に行って用事を済ませたいけど、取り憑かれるのはごめんだ。
なので、健に助けを求めている。←今ココ
「もう取り憑かれてんじゃねぇか」
『やめてよ!!』
吠えた大智の声がキーンとハウリングした。
その背後で、妙齢の女性の声が聞こえる。
「取り憑く」などと脅すからどんな物騒な霊かと思えば、電話越しに聞こえる声は底抜けに明るくきゃっきゃとしていた。
助けに行こうとも考えたが……大智と女性のやり取りが、健のその気を失せさせた。
『ねぇ〜お友達も来るって? イケメン?』
『イケメンイケメン。俺なんか比じゃないから』
『あら、あなたも可愛いわよ〜。年上にモテるでしょ? 食べちゃいたいわ』
『うっわ……ちょ、本当にくっつくのやめて! 健ぅ!!』
『健君もいらっしゃい〜』
完全にナンパだ。
大智も厄介なものに目をつけられたものだ。
はぁ、と健はため息をつく。
「……付き合ってやれば」
『健が付き合ってあげてよ!』
「いや、いくら俺でも幽霊はごめんだし」
『俺もだよ!!』
キーンと、耳にうるさい。
『失礼しちゃう〜』と楽しげに笑う声にげんなりした。
せっかくの休日が、こうして邪魔されるとは。
「はぁ、もう」
『来てくれる!?』
「夕方」
『えっ?』
「夕方まで頑張れ」
『えっ、うそ、もっと早』
ぷつりと切る。
スマホの画面はなんの名残もなくホーム画面へと切り替わった。
静かになったスマホをベッドの脇へ放り、健は枕へ顔を埋めた。
眠さに抗えず開ききらない瞼は、簡単に落ちていく。
——さて、どうするか。
再び鳴り出すスマホは見ずとも誰の名前が表示されているかわかる。
その喧しさに舌打ちして、布団を被せて音に蓋をした。
❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎
「マジかよ、切られた!」
ぶつっと切られ話中音が無情に繰り返される。
すかさずかけ直すが、いくら鳴らしても健が出ることはない。
完全に無視されている。
「健の薄情者〜……っ」
「あらぁ、お友達来ないの?」
大智の肩に肘をのせ、女性の霊はスマホを覗きこんだ。
重さはないが、ひんやりと冷たい感じがした。
「ま、私は君だけでもいいけどね。付き合って〜」
「いや、俺好きな人いるんで……」
すすす、と距離を取る。
女性はそんな大智を見て噴き出した。
きゃっきゃと楽しげな様子は、今までに関わってきた者達とはまったく違う。
「さっきから君たち勘違いしてるよね。付き合ってってそういう意味じゃないんだけど。若いな〜」
若い若い、とひとしきり笑われた。
その間に大智はその場を逃げだそうと試みるが、あっさりと捕まってしまう。
女性は大智への距離を一気に詰め、にんまりと笑みをつくった。
「行きたい場所があるのよぉ。そこに付き合ってくれる?」
「……行きたい場所?」
女性は桜の木を見上げた。
公園内にはあちこちに桜が植っており、柔らかなピンク色を満開にさせていた。
風が吹けば、花びらがひらひらと舞い落ちる。
「ここも綺麗だけど、違うのよね〜。私が行きたいのは、広がる雪原の中に桜が咲きこぼれたような……そんな場所」
真っ白な雪の中に綻ぶ桜色は、想像だけでも美しい。
女性はその光景を思い出すように目を細めた。記憶に、微笑む。
けれど、すぐに寂しげに陰を落として。
「どうしてその場所だけ、思い出せないのかなぁ……」
ざわりと、強い風が大智を通り過ぎていった。