御守りのいたずら 2
広い園内は趣向を凝らしたアトラクションが数多くあり、すべて回りきるには一日がかりの大仕事になる。近場にはホテルがいくつもあるので、一泊二泊の旅行で楽しみにくる人も多いほどだ。
昼過ぎからきた健とさくらはそれは承知で、お互いに気になるものだけを楽しんでいた。
それでも、夢の国とは時間があっという間に過ぎていくもので。
「もう日が落ちてきたね。間に合うかな」
園内で一番、海に近く造られた大きな観覧車。
そこは夕陽が綺麗に見えると話題のカップルスポットで、今は一番混み合う時間帯。
長く続く行列の中、健とさくらもそれを目的として並んでいた。
「間に合わなくても、さくらとなら楽しいよ」
「健くん、今日は本当に違う人みたいだね……」
最初のうちこそ健の言葉ひとつひとつに照れていたさくらだが、ずっとこの調子なので反応がどんどんと鈍くなっていた。
困ったように笑い、「まだ調子悪い?」と心配されるほどだ。
もしくは、さくらは健のそばにいる人間。
意識下で「健とは違う」と気づいているのかもしれない。
バレてしまえば、健本人も気付くだろう。
「……バレる?」
無意識のうちに考えていたことに、健は疑問を覚える。ひとつ不明な点が出てくると、あれもこれもと思い出す。
いきなりデートに誘ったり、手を繋いだり、名前で呼んだり。
俺は、なんでこんなこと……。
しかし、それ以上は考えられない。
持ってきた大判ストールをさくらに羽織らせてあげるようにと、頭の中で声が響く。
「さくら、寒いだろ。これ羽織ってな」
「えっ、いいよいいよ。健くんが使って」
日が落ちてくると気温は一気に下がる。
さくらのボアコートはもこもこで一見暖かそうに見えるが、デザイン重視で機能性は二の次だよ、と聞いていた。
「風邪をひいちゃまずいだろ。はい、羽織る」
「そんなこと言ったら、健くんだってぶり返しちゃうかもしれないよ」
「俺はダウンで十分。あと、これ」
すっかり馴染んだカップル繋ぎの手を持ち上げて、健は自分の口元へ持っていく。
ずっと繋いでいるおかげで温かいさくらの手からは、女の子らしいほんのりとした甘い匂いが香った。
「繋いでるから、あったかい」
「うっ、わぁ……それはダメ……」
さくらは肩に掛けられたストールを片手で器用に掻き抱き、顔を埋めた。繋がれた手は、離されることはなかった。
こんなむず痒くなるようなやりとりをしていても、周りはカップルだらけなので気にする必要がない。
たまにちらちらと視線を送られ、微笑ましいものを見たというように笑われる。
普段の健なら耐えられない。
でも今は、それでもいいと思えた。不思議と、それを受け入れられている。
いや、むしろ——……。
「健くん? 次、私たちの番だよ」
「あ、……うん」
ゴンドラがゆっくりと目の前にやってくる。
いそいそと乗り込んださくらの向かい側に座ると、ガチャンと重たい鍵の音が響いた。
ゆったりと、少しずつ高くのぼっていく。
たまに海風に吹かれ、わずかに揺れて。
園内の植木を越え、外塀を越えると、そこに現れるのは茜色の空。そして、海。
「うわぁ、すごい。綺麗だね」
「間に合ったな」
ちょうど地平線に沈みきる前の、色濃い光。
水面で反射して、ゆったりと動くゴンドラを照らす。
そして、感嘆の声を上げながらそれを眺めるさくらの顔も。
茜色よりは薄く、紅潮した時よりは濃く。幻想的に見えるのは、夢の国の魔法かもしれない。
その横顔に、問いかける。
「……今日、楽しかったか?」
さくらは健を見ると、にっこりとした。
「楽しかったよ。一緒に出かけようって誘われたのはびっくりしたし、今日の健くんは健くんらしくないけど。とっても、楽しかった」
「そう。良かった」
「……付き合ったら、そんな感じになるのかな?」
「え?」
健が聞き返すと、さくらはパッと顔をそらしてまた海を眺める。
ゴンドラは少しずつ、静かに頂上に差し掛かっていた。
「…………付き合ってみる?」
健は前に乗り出し、今は離してしまっていたさくらの手を取る。
ほんの数分。そのわずかな間に、さくらの手はひんやりと冷たくなっていた。
驚いた顔をしたさくらは、だんだんと物悲しげに微笑む。
「その言葉はすごく、すごく、嬉しいけど……」
健が握るさくらの手が、その中から逃げ出す。
そして、その手が今度は、健の空になった手をぎゅっと握る。両手で、包み込むように。
「今の健くんとは付き合えないよ。だって、それは本心じゃないでしょ?」
ガタン。
風もなく、頂上に到着したゴンドラが大きく揺れた。
前に乗り出していた健はバランスを崩して、さくらの方へと倒れそうになる。
とっさに手を出し、覆い被さる形でとどまった。
カサリと、軽いものが落ちた音。
「…………あれ、俺」
ぼんやりとした意識が徐々に戻ってくる。
健の目には、鮮やかな茜色が映る。黄昏に近い空。同じ色に染まる海。
そして、遊ぶように飛ぶ2匹の真っ白な狐。
1匹は右目が赤く、もう1匹は左目が赤い。
夕陽に照らされた2匹の狐は神々しく輝きながら、ケタケタと笑い消えていった。
「……えっ」
そして、もうひとつ視界に入るもの。
健の目の前。ゴンドラの窓についた手は、バランスを崩した自分の体を支えるもの。
体を支えることで守ったのは、今日一番見てきたはずの顔で……。
近頃、健の心を乱す、女の子。
「うわっ、乃井さん!?」
健は思い切り体を引いて離れると、狭いゴンドラ内で頭や体を打ちつけた。そのせいでゴンドラは大きく揺れる。
さくらが小さく悲鳴を上げた。
「わ、ご、ごめんっ……」
「た、健くん、どうしたの?」
「え、いや……だって……」
「大丈夫?」
ゴンドラの揺れが収まると、さくらは足下に落ちた小さな紙袋に気づく。
それを拾い上げると、健に差し出した。
「健くんの?」
「あ、それ……。乃井さんにって、大智が」
「私に?」
さくらは紙袋を開けると、中身を取り出した。
ピンク調の可愛らしい御守り。『恋愛成就』と書かれたそれは、見覚えがあった。
「わぁ、一楓さんの神社のだ」
さくらは嬉しそうに「ありがとう」と言うが、健はそれどころではない。
ぼんやりとした意識の中で、自分ではありえない数々の行動をした。頭に響く声に、まるで乗っ取られていたかのような……。
考えて、すとん、と腑に落ちる。
様子の違った大智は、御守りを健に渡すと元に戻った。
逆に、健はそれを受け取ってから自分が自分ではないようにおかしくなった。
一楓の神社の御守り。さっきの2匹の狐は、右近と左近だ。
いたずら好きだと、一楓が以前に言っていた。
「そういうことか……」
健は両手で顔を覆うと、大きく項垂れた。
ぼんやりとしていたが、意識はずっとあったのだ。何をしたかすべて覚えている。
怖気が立つほどの自らの態度。あれは、俺なのか? と。
思い出すほどに耳が熱く、顔も熱い。
「……ごめん、乃井さん」
「ど、どうしたの急に」
「また巻き込んだ……」
また。つい最近の、健と大智の件でも。
普通ならそれだけでは伝わらないだろう話だが、普通じゃない友人と理解して一緒にいてくれるさくらは、すぐに察した。
そして、こう言った。
「今度は、ちゃんと説明してくれるんだよね?」