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浄霊屋  作者: 猫じゃらし
38/91

嫗 1

 

 大学は冬休みに入り、一楓から引き受けた依頼もなんとか終えた年明け2日前。

 世間は家や身の回りの大掃除で大変に忙しい日だろう。


 その忙しさに無縁でいられるのは、実家を離れている学生の特権かもしれない。

 たまの帰省ではちやほやと世話を焼かれ、地元の友人達と集い、それはもう楽しい時間を過ごすのだ。



 よって、健と大智はただ今上空1万メートルをフライト中である。



 例によってバイトが終わる日にちが不確かだった為、チケットはギリギリでなんとか手に入れた。

 早割を利用しない年末の航空券は恐ろしく高価だったが、そこは雇用主である一楓が持ってくれた。

 バイト代も決してケチられてはいないのに、好待遇すぎて戸惑うほどだ。


「ふぁ……」


 雲を抜け、気流の乱れに左右されなくなった機体は、ただ座って時が過ぎるのを待つだけの健に心地よい眠気を与えてくれる。

 着陸まではまだ小一時間ほどかかるだろう。

 一眠りしようか、と体勢をかえると、前方通路側の席できょろきょろと首を動かすせわしない男が目に入った。


「何やってんだ、あいつ」


 ギリギリでなんとか手に入れたチケット、すなわち運良くキャンセルが出た席だ。

 座席は大智と離れ、お互いにつまらない通路側に押しやられている。


 きょろきょろと、一体何を見てるのやら。


 ふぁ、と健は2回目のあくびをした。

 目を閉じれば、次に起きるのは着陸時のアナウンスか衝撃だろう。

 健は座席に深く体を預け、眠る体勢に入った。





 ❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎





「う〜、寒いよ〜」


 大智が身悶えた。


 着陸後、機内から空港内へ移動するだけで空気の冷たさを肌に感じた。

 窓から滑走路を見れば、除雪をされていないところは一面が真っ白だ。

 今年は雪が少ないと連日ニュースでは言われていたが、健と大智の地元は当てはまらなかったらしい。


「健、迎えは?」


「俺は電車で帰る。大智は?」


「うちはたぶんもうすぐ来る。乗っていきなよ」


 大智がターンテーブルから自分のキャリーケースを持ち上げた。


「いや、いいよ電車で帰れるし」


「いいから乗っていきなって」


 健も自分のキャリーケースを見つけ、ターンテーブルから下ろした。


「あー、あのさ、健……」


「なんだ?」


 キャリーをゴロゴロと引っ張り到着ロビーに出る。

 健たちの乗ってきた便も満席だったが、他の便も概ね満席らしい。

 人でごった返したロビーは熱気でずいぶんと暖かく感じた。


「いや、あー……。あ、そうだ、新年会行く?  成人式前にやっちゃおうって、盛り上がってるらしいんだけど」


 新年会の話など、健に声はかかっていない。

 なんの話だという顔をすると、察した大智は口をつぐんだ。


「ご、ごめん」


「別に。いつも通りだろ」


「俺さ、今回は行くのやめようかなと思ってるんだ」


「ふーん」


 めずらしいこともあるもんだ。


 どのくらいの頻度でそういう集まりが企画されているかは知らないが、大智は誘われれば必ず参加していたはずだ。

 その度に俺にも声をかけてくれるが、主催主がまず俺に声をかけてこないのだから行ったところで何になる? と毎回断っていた。


「あのー、それでさ、ちょっと話……」


 大智の言葉を遮るかのように、大智の肩に色白で肉のついた丸みのある手が置かれた。

 大智はぎょっとして、勢いよく振り返った。


「な、なにさ? そんなに勢いよく振り返らなくたっていいでしょ」


 背後に立っていたのは、大智よりも少し背の低い、横に丸みのある女性だった。

 呼び止めるために肩を叩いたら、予想以上の反応をされて自身も驚いたようだ。


「母さんか、びっくりしたよ」


 大智はほっと息を吐いた。


 それはこっちもだわ、と文句を言いながら大智の母は健を見上げた。


「健君、久しぶりだね。また背が伸びた? あんたはどんどんイケメンになっていくね〜」


「おばさん、勘弁してくださいよ」


 進学して地元を離れてからは大智の母と会う機会はなく、数年ぶりだった。

 にも関わらず、以前と変わりなく接してくれるので健も緊張せずに済んだ。

 大智の性格はこの母親譲りのものだろう。

 誰にでも分け隔てなく、いつも輪の中心にいる存在。

 健の母も、大智の母にはお世話になりっぱなしだと言っていた。


「母さん、健も一緒に乗せてってよ」


「えっ、いやだから……」


「あら、迎えに来ないの? 寒いんだから乗っていきなさい」


 大智親子は有無を言わせず話をまとめてさっさと歩き出したので、健はそれに従うほかなくなってしまった。

 キャリーを引きずり、諦めて甘えることにした。


「健君のとこのおじいちゃんは、調子はどう? 話聞いてるでしょ?」


「あー、風邪ひいたとかで退院が延びてるって言ってました」


 大智の母は「あら……」と困り顔で頰に手を添えた。


 健の祖父は、2ヶ月ほど前から心臓の手術のために入院をしていた。

 特に何か異変があったわけではなく、元々患っていたものがあったため定期検査を受けたら引っかかり、そのまま入院となったようだ。

 ペースメーカーを入れる手術で、術後問題がなければひと月で退院できると聞いていた。

 風邪をひいてこじらせずにいれば。


「成人式までには退院できるといいけど」


 ぼやく大智の母は身震いひとつすることなく、自動ドアをくぐり抜けて踏み固められた白い道を慣れた足取りで歩く。横を歩く大智は情けなく、滑ってひっくり返りそうになっていた。




 車が走り出すと、高さのあるものなど1つもない拓けた世界が広がる。

 地平線まで真っ白に染められた牧草地には、寒さのために家畜の姿はない。

 ところどころに見える茶色の群れは野生の鹿だろう。

 空まで白い真っ白な世界に、黒々とした冬毛を纏った姿はカモフラージュできずよく目立つ。森の中であれば木々に紛れて問題無いのだろうが。


「鹿だ。見慣れていたはずなのに、たった2年地元を離れただけでこんなに物珍しく感じるなんて、おもしろいよね」


 大智は楽しそうに流れる景色を目で追っていた。


「たった2年で都会かぶれになって帰ってきたのかい」


 すかさず、大智の母が笑った。

 大智は唇を尖らせたが、目線は景色から離すことはなかった。


 広大な牧草地が終わりを告げるとぽつりぽつりと民家が姿を現し、商店やコンビニが姿を現わすと車は完全に街中に突入していた。

 そこから住宅地へ入ると、マンションや集合住宅が連なっている。


 さらにそこを走り抜け、一軒家が建ち並ぶ一角に入ると、車は止まった。


「おばさん、ありがとうございました」


「いいえ〜。お母さんによろしくね」


「伝えておきますね。大智、またな」


「うん。あ、初詣一緒に行こうよ。連絡する」


「わかった」


 車を降りると、踏み固められていない雪がギシ……と鳴り、足が沈んだ。

 キャリーを下ろしてしまうと埋まってしまうので、ここからは持って行かなければならない。


 大智達の車を見送り、見慣れた一軒家を振り返った。

 何も変わりなくある佇まいにホッとしつつ、少し緊張する。




 まさか、こっちにいるんだろうか。




 フードの扉を開けると、懐かしい我が家の匂いがする。

 靴底についた雪をそこで落としてから、玄関の扉を開けた。


「ただいま」


 大きな声で言ったわけではないが、すぐに居間から返事があった。


「「おかえり」」


 重なる2つの声。

 居間の扉が開き、出てきたのは母だった。

 久しぶりに見る息子の顔に、母は目を細めた。


「早かったね」


「大智のおばさんに送ってもらったんだ」


「そうだったの。こっちは寒いでしょう。早く入りなさい」


 そう言うと、母は居間へ戻った。

 母の姿を見送ると、健は目の前に視線を戻した。母が立っていた場所に。



「久しぶり。……ばあちゃん」



 背筋を丸めた小柄な老婆。

 白髪で、1つにまとめた髪は頭頂で小さなお団子をつくっている。

 地味な薄灰色の着物だが、素朴な老婆によく似合う。


「健ちゃん、また視えるようになったのかい?」


 老婆は目を丸くした。


 健が小学生の時、交通事故に遭って以来視ることのなくなった老婆だ。

 いつも健について歩き、健が何をしようとニコニコと後ろで見守ってくれていた。

 健が同級生に幽霊がどうのと不穏なことを言っている時も、失言ばかりで相手を不快にしている時も、そのせいで孤立して変なあだ名をつけられた時も。


 今となっては止めてくれよ、と思うことばかりだが、その時の健にはよき理解者で、かけがえのない存在だった。




 だから、実は——。




 健がまた視えるようになった時、少し期待していた。

 また会えるのではないかと。

 残念なことにそれは叶わなかったが、それならそれで成仏したのだろうと納得していた。それなのに。




 なんでまだ、いるんだよ。




 健が視えなくなってから10年ほど経っている。

 その年月を、老婆はこの家に留まり続けていたのか。


 そこにある未練は、一体なんなのか。


 再び会えたのが嬉しい反面、素直に喜べない複雑な気持ちがある。

 無邪気に老婆に懐いていた10年前の健はもういないのだ。


 眉間に皺を深く刻んだ健に、老婆は微笑んだ。


「おかえり、健ちゃん」


 昔と変わらない穏やかな微笑み。

 自分を慈しんでくれているのがはっきりとわかる。

 優しい声色にはそれがよく表れていた。


「ただいま」


 まるで10年前に戻ったかのように錯覚した。

 変わらない老婆に、健自身の口から出たその言葉も昔と変わらなかった。

 ただ純粋にその老婆を親しんで、本当の祖母同様に甘えていたあの頃の自分。


 懐かしさと同時に込み上げてくる、なんとも言い表せられない高揚感。

 目頭が急に熱くなった。

 頰が勝手に緩んで、情けない顔になっているだろう。



「ただいま、ばあちゃん」



 考えとは裏腹に、健の心はこの老婆に会えたことを喜んでいるようだった。





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