クリスマス終わり
依頼終わり、健は大智と別れて家路についていた。
冬の早朝はよく冷える。空気が乾燥し、空っ風に吹かれると皮膚を裂かれるような冷たさを感じた。
普段は寂れている通りは、昨日まではクリスマスのイルミネーションが華やかに彩って頑張っていたが、過ぎてしまえばすっかり元通りだ。
風に吹かれた枯葉が道を転がり、カラカラと乾いた音を鳴らした。
「寒い……」
健は肩をすくめて体を小さくした。
ポケットに手を突っ込み、首回りの寒さに耐えながら歩く。チェスターコートはオシャレ着であって、防寒には向かないと改めて思った。
そういえば、スヌードはどこにいったんだろう。
依頼の途中で暑くなり、一度外したまでは覚えている。どこかに忘れてきたか。
新しいの買わなきゃな、とため息をついた。
「うおっ!?」
何かにつまずき、健はつんのめって転びそうになった。
後ろを振り向くと、建物と建物の間から足を伸ばして、人間が転がっていた。
「な、なんだ……?」
よそ見をして歩いてわけではない。
考え事はしていたが、道に何かあれば、特に人間が転がっているのなら絶対に気付くはずだ。
健は建物の間を覗き込んでみた。
「んぁっ……むにゃ……」
そこに転がっているのは、無精髭を生やした中年の男だった。
男は、顔を赤くして寝息を立てていた。よだれも水たまりを作っている。
泥酔しているように見えた。
上着はどこに置いてきたのか、薄汚れたスウェット上下のみの格好だ。
「おい、おっさん」
健は声をかけた。
別に起こさなくてもなんの問題もないが、つまずいた際に結構思いきり蹴ってしまったので、罪悪感があった。
それと、たまたまとはいえ出会ってしまったのだから、一言忠告しておきたいことがあった。
「起きろ、おっさん」
「ん、んぁ? ……んが……」
「寝るな」
男は重たそうな瞼を持ち上げて、上から見下ろしている健を見た。
「なんだ兄ちゃん、眩しいなぁ」
「ここで寝るな」
「どこで寝たっていいだろうが、誰の邪魔になるわけでもないし」
「俺がつまずいた」
男は鬱陶しそうに起き上がり、胡座をかいた。
「生きてても死んでても邪魔かよ」
どこから取り出したのか、小さい焼酎のパックにストローをさして飲み始めた。
不貞腐れたように唇を尖らせてストローを咥える男に、健はため息をついて隣にしゃがんだ。
「あー、言い方が悪かった。口下手なんだ。ぶつかることはなくても、蹴られてることには変わりないんだから、わざわざそんな所に寝なくていいだろ」
男はちらりと健を見た。
「……物好きな兄ちゃんだな。俺みたいなやつに声かけるなんて」
手のひらに収まるパックを握りつぶしながら、ズズッと音を立てて焼酎を飲み干した。
そしてまた新しいパックをどこからともなく取り出した。
「何個あるんだよ」
「好きなだけ。でも、味もしなけりゃ飲んだ気もしねぇ。酔っ払いたいのに酔えねぇや」
「酔ってるように見えるけど」
「そういうフリでもしてりゃ、酔った気になるかなと思ってな」
クリスマスだったしな、と男は付け加えた。
男の目は綺麗に装飾されたイルミネーションを見ている。
今は電飾に光が灯ることなく、ただ無機質にそこにある飾りの数々だが、昨日までは確かにそこを彩って明るく照らしていた。
男はここでそれをずっと見ていたのだろう。
「終わっちまうと虚しいなぁ」
焼酎のパックにストローをさしたが、それを口に運ぶことはなかった。
ただぼんやりと、装飾された通りを見ていた。
一段と強い風が吹き、枯葉がカラカラカラ……と転がっていく。
風に吹かれた健は身震いをした。
「兄ちゃん、風邪ひくぞ。俺に構ってないで帰んな」
「ああ、そうする。言っておきたいことがあったんだ。おっさん、心残りがないなら早くあっちに行けよ」
「……本当に変な兄ちゃんだな。ここで会ったのもなんかの縁かな」
男は健の目をじっと見る。
「兄ちゃんは、悔いなく生きろよ。俺のようにはなるな」
「……ならねぇよ」
男の言葉はふざけていない。
それなのに、男の表情にはその真意を伝えようとする真剣さがなかった。熱意がないというか、無、そのものだと健は思った。
健の探るような視線に気づいたのか、男は黄色の歯をむき出してわざと笑って見せた。
早く行けと、手で払う仕草をされ、健は寒さで固まった体を伸ばして立ち上がった。
「じゃ、行くわ」
「おう、元気でな」
健が歩き出すと、男は焼酎のパックを足下に置き、腕を伸ばして大きく手を振った。
健の背中が見えなくなるまで手を振った。
途中、足が当たって焼酎のパックが倒れて中身がこぼれてしまったが、これはもういらないだろう。
「久しぶりに誰かと話したな」
男はまた、イルミネーションで飾られた通りを見た。
さっきまでは寂しく感じていた通りに、暖かな光の道筋が見えた。
「俺のようなもんにはもったいないお迎えだねぇ」
男は立ち上がり、スウェットについた埃や皺を軽く払って歩き出した。
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「なんだ、もう行っちゃったのか」
蹴つまずいたことを謝るのを忘れていた健は、男のいた所へ戻ってきていた。
だが、すでにそこに男の姿はなかった。
残っていたのは何かがこぼれたようなシミと、建物と建物の間に、砂埃で薄汚れたガラス瓶。
ガラス瓶の口からは、干からびた繊維質のものが張り付いて垂れ下がっていた。恐らく、花が供えられていたのだろう。
「これなら、少しは味するだろ」
健はコンビニに寄って買ってきた、ワンカップをガラス瓶の横に置いた。
「花はないけどな」
手を合わせ、少しの間目を閉じる。
ほんの数分前に、数分だけ話をしただけの男。
男はどんな人生を歩んで、どんな終わり方をしたのか、健にはわからない。
何を思ってここに居たのか、何を思ってここを去ったのか。
「気が向いたら、また酒持ってくるよ」
わからないけれど、これもまた1つの出会いだと思った。
死は終わりではない。
その先も、人は繋がっていく。
朝日が昇り始めた空を見上げて、健は目を細めた。