七五三 1
「おかあさーん、着物脱げたぁ」
「脱げた? どうしてそんな脱げ方するの?」
「だってねぇ、引っ張られたんだよ」
「そんな乱暴な子がいたの」
「うん。それ返してって、引っ張ったの」
「え?」
「その子、真っ赤っかだった」
「真っ赤……?」
「ほら見て、着物に赤い手の跡、ついちゃってる」
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残暑も終わりを告げ、肌寒くなった頃。
今日は祝日のために勤め先の学校が休校で、久しぶりの休日。誰との予定もないので、街をぷらぷらと歩いてウィンドウショッピングをしていた。
一通り気になる店を見てまわり、小腹が空いたなぁとカフェを探しているところだった。
前方からこちらに向かって、見覚えのある長身の男の子が歩いてきた。
「お久しぶり。仁科君……よね?」
いきなり声をかけたので、男の子は面食らった様子で立ち止まった。
私の顔を見て眉を寄せた後、あっ! と思い出したようだったが、再び眉を寄せた。
「すみません。俺、名前覚えてなくて……」
「いいの。だって私、あなたに本当の名前、教えてなかったから」
この男の子、仁科 健と出会ったのは、以前私が務めていた中学校だった。
いろいろあり、私が事故に遭って目を覚まさず入院している間に、中学校は廃校となった。
その中学校は廃校になる前から心霊現象が起こると噂が広まって有名になっていたため、格好の心霊スポットとして一部の若者達の遊び場となっていたらしい。
そして、その心霊現象の原因と、私が目を覚まさずにいた問題を解決し、助けてくれたのが仁科君だ。
あの時の私は、生徒の姿をし、名前を借りていたのだった。
「改めて、斉木 佳奈です。あの時は助けてくれて、どうもありがとう。あなたにずっとお礼が言いたかったの」
「いえ、たいしたことはしてませんから」
仁科君は事もなげに言うと、では、とすぐに立ち去ろうとした。
「あ、待って待って。お礼ともう1つ、相談があって……。聞いてもらえないかな?」
「相談ですか?」
「時間ある? カフェにでも移動しない?」
私がそう言うと、仁科君は考えるように目線を上げた。
用事があるのだろうか。それとも、ほとんど初対面も同然なのに、いきなり誘ってしまって失礼だったかもしれない。
連絡先だけ渡して、帰ろうかな。
そう考えていると、背後からぱたぱたと人の駆ける足音が聞こえた。
「仁科君!」
「あー、ちょうどいいところに」
仁科君の隣に並ぶように立ち止まったのは、これまた見覚えのある女の子。
「さくらさん」
私が名前を呼ぶと、さくらは首を傾げてきょとんとした。
横から仁科君が「夏休み、廃校の」と言うと、思い出したらしい。
「あ! えっ!? あの、えっと、お久しぶりです!」
「ふふ、お久しぶり。あの時はお世話になりました」
さくらの素直な反応に、つい笑いが溢れた。
出会い方はあんなに特殊で、普通なら身構えるだろうに、この子達はそのまま受け止めてくれる。
さくらも笑顔を返してくれた。
「あなた達は優しいのね」
「えっ?」
さくらが笑顔のままで聞き返すが、私はなんでもないと首を振った。
「ところで、ちょっと仁科君をお借りしたいんだけど、いいかしら?」
さくらの笑顔が引きつった。
そのまま、困ったように仁科君を見上げる。
「それとも、これからデート? お邪魔しちゃった?」
「あ、いや、そういうんじゃ……」
頰を赤らめてもごもごと口籠るさくらは、本当に素直な反応をしてくれてわかりやすい。
可愛らしいけれど、微笑ましくただ見ているわけにはいかない。年下相手に大人気ないが、彼女は私のライバルだということがわかった。
「違うの? じゃあ少しだけいいかな、相談したいことがあるから」
「乃井さん、大智達に遅れるって言っといて」
さくらがわかりやすい反応をしているにも関わらず、仁科君は気にすることなく私の誘いに乗ってくれた。
戸惑うさくらに、あっけらかんと「じゃ」と手を振るほどだ。
「健君、ありがとう。さくらさん、またね」
ひらひらと手を振ると、さくらは悔しそうな顔を隠すことなく両手を握りこんだ。
ちょっとかわいそうだけど、ここは私がもらっていくね。意地悪してごめんなさい。
健君の後ろをついて歩きながら、私は小さく舌を出した。
それから少し歩いて適当なカフェに入り、お互いにコーヒーを注文した。
小腹が空いていたのでケーキでも一緒に頼みたかったけれど、なんとなく躊躇い諦めた。あとで、コンビニでスイーツでも買って帰ろう。
「それで、相談というのは?」
健君が早々に切り出した。
私は話したい内容を頭の中でまとめ、一呼吸おいてから口を開いた。
「えっと、私の姉と姪っ子のことなんだけど……」
私は姉の話を、なるべく聞いた通りにそのまま伝えた。
健君は表情を変えることなく、話の最後まで口を挟むことなくじっと聞いていた。
注文していたコーヒーが届いても、どちらも手をつけることなく。
話が終わった頃には、湯気の立っていたコーヒーはとっくにぬるくなっていた。
話終え、コーヒーを口に含んで私は一息ついた。
「姉と姪っ子が心配なの。でも、こんな話、誰にしていいかわからなくて……」
「そういう相談だろうなと思ってました」
健君はぬるくなったコーヒーを一気に飲み干した。
「お姉さんに会えますか?」
「ええ」
じゃあ、と健君はスマホを取り出した。
「これ、俺の電話番号です。都合のつく日がわかったら連絡ください」
健君は席を立ち上がり、伝票を手に取った。
「あっ、ここは私が払うから」
「いいっす別に。連絡待ってます」
軽く頭を下げて、健君は早々と店を出ていった。
私はまだコーヒーが残っているし、一緒に店を出る隙もなく取り残されてしまった。
「……ケーキ食べよ」
まだ何も解決していないけど、話を聞いてもらえて少しすっきりした。
健君の連絡先も知ることができた。
不謹慎だけど、なんだか嬉しくなって頰が緩んだ。
ケーキ、どれにしようかな。
私はメニューを手に取り、呼びベルを押した。