散歩 4
「何があったのか、詳しく教えてください」
由美から連絡があったのは夕方。
講義も終わり、健を誘って街に遊びに行こうかなと考えていた時だった。
大智が帰り支度をしていると、めずらしく慌てた様子の健が腕を引っ張った。
混乱する大智は引きずられるように走りながら、健に事情を説明された。そして急遽、由美の家へやってきたのだ。
「昨日割れたはずのボトルシップが、直されていたんです」
リビングには由美と健が、テーブルを挟んで向かい合わせに座り話をしている。
そして、そのテーブルには昨日、割れて壊れたはずのボトルシップが置いてあった。由美が「直された」と言った通り、割れた面は汚いながらも接着され、中に船の模型がきちんと入っている。
「それと、これが……」
由美が健に差し出したのは、二つ折りにされたメモ用紙だ。健は受け取り、開いて中を見ると固まった。
大智はリビングと繋がった隣の部屋でその様子を見ていたのだが、健の肩越しにメモ用紙を覗くと、こう書いてあった。
『しようた ごめんね』
まるで、字を覚えたての子供が書いたような、つたない文字だった。
ところどころに茶色のシミがついている。健は茶色のシミを指で撫でた。
「これは、血……?」
「やっぱり、血なんでしょうか? なんでそんなものが、翔太に……」
狼狽える由美を見て、それまでひとり遊びをしていた秀太がぐずり始めた。
翔太が秀太をよしよし、と撫でてやるが、その翔太も不安そうな面持ちで由美を見ている。
「大智」
「ん?」
健が、耳を貸せ、と人差し指をちょいちょいとした。
「そっちの部屋で、翔太と秀太と遊んでろ。おしゃべりついでに、秀太にパパは昨日もいたか、変わりはなかったか聞いといてくれ」
「わかった」
大智は部屋に転がっていたゲーム機を見つけ、翔太を手招きした。
「これ、どうやるの?」
「兄ちゃん、やったことないの?」
翔太はゲームを起動すると、自慢げに操作し始めた。
カチ、カチ、カチ、とボタンを押す音に秀太も興味を持ち、大智の膝に座り一緒にゲームを覗き込んだ。
「これをこうやって、こうやって。んで、敵を倒していくの」
「操作が複雑だなー。見てるだけでこんがらがってきちゃうよ」
「やってみる?」
「……負けても大丈夫?」
「だめ! 闘う前にセーブして!」
あはは、と翔太が笑う。
大智は膝に秀太を乗せたまま、小さな頭越しにゲーム画面を見てプレイし始めた。秀太はゲームを間近に見られて楽しそうだ。
教わった通りにプレイしていき、大智もだんだんと熱が入り、カチカチカチッと小気味良く音がなる。
「それ避けて! △ボタン!」
「△ってどこ!?」
「これ、こっちの……あーっ!」
「あーっ!!」
翔太が叫び、大智も叫ぶ。秀太だけきゃっきゃと笑い声を上げている。
真っ黒になった画面には『GAME OVER』の文字が浮かんでいた。
「兄ちゃん、へったくそだぁ」
「ゲームは苦手なんだ……」
「違うゲームしよ、待ってて」
そう言って、翔太は何やらあちこちと探し始めた。棚の中を漁り、おもちゃ箱をひっくり返し、ランドセルの中まで探っている。
「あれ、ないなぁ」
部屋の隅にある小さなテーブルの下を覗き込み、頭を上げるとゴンッと鈍い音がした。
「いてっ」
カタンッ
「にいに、まちろが」
秀太がテーブルを指差す。
2つの器にもたれかかるように、写真立てが倒れていた。
「あっ。ましろ、ごめんね」
翔太は写真立てを元どおりに立て掛けた。
「その子がましろちゃんなんだね。挨拶してもいい?」
大智は、白い犬の写真に手を合わせた。写真の犬は、大きく口を開けて笑っている。
「ましろちゃんは女の子?」
「そうだよ。俺が生まれる前からママといて、もうおばあちゃんなんだ」
「まちろ、優しいの」
秀太が、初めて大智に笑顔を見せた。
「しゅうといっぱい遊んでくれたよ」
「そっかぁ、いい子だったんだね」
「そうだよ、すごくいい子だったんだ」
翔太は写真立てを手に持って、写真を撫でた。
「ましろ、たぶん、パパの身代わりになったんだ」
「……どうして?」
「警察の人が言ってるの、聞こえたんだ。犬のほうがひどいって。パパと車の間にいて、パパのクッションになったんじゃないかって」
大智は言葉を詰まらせた。
二桁にも満たない年の、こんなに幼い子がそんな残酷なことを耳にするなんて。
「兄ちゃん、俺ね、最期のましろに会ってないんだ。見ちゃダメって言われて。だから、ばいばいできてないんだ。でもさ、ましろがパパを守って死んじゃったんなら、仕方ないかなって思うことにしたんだ」
「……翔太君は、強い子だね」
翔太は、目元に溜まった涙を袖でゴシゴシと拭い、ニッと笑ってみせた。
「そうだよ。だって、いつまでも泣いてると、ましろが心配しちゃうからね」
「しゅうもつよいよー!」
「2人とも、強い子だね」
大智が心配しているより、この幼い兄弟はしっかりと前を向いている。
順一が倒れてる今、心細い由美には心強い支えとなっているだろう。
それなのに、この家族を脅かしている者の正体は一体なんなんだ? 秀太の言うように、本当に順一なのだろうか。
「ねぇ、秀太君」
「なあに?」
「パパは、今はお家にいる?」
「いなーい」
小さな頭が横に振られ、サラサラとした短い髪の毛が揺れた。
「昨日は、俺達が帰った後に、パパはいた?」
「いなーい」
再び、小さな頭が振られる。
「んー、そっか。俺達、嫌われちゃったのかな?」
「ぱぱに、あいたいの?」
秀太は小首を傾げた。
「翔太君と秀太君のお友達になりましたって、ご挨拶したいなぁと思って」
「じゃあ、しゅうがいっておくね!」
「うん、お願いするよ」
秀太の頭を撫でていると、由美との話を終えた健に声をかけられた。
翔太には引き止められたが、また来るねと宥め、家を出た。
由美は幾分か落ち着いたようだが、まだ顔色が悪いように見えた。 このまま、由美と兄弟だけを家に残して大丈夫だろうかと、大智も心配になる。
「秀太に聞いたか?」
マンションを出て歩き出すと、振り返ることもなく健が聞いてきた。
「聞いたよ。昨日も今日も、見てないってさ」
「そうか」
「このまま帰って大丈夫かなぁ。俺、すごい心配なんだけど」
「何かあれば連絡するようには言ってある。泊まり込むわけにもいかないし、俺も気配を見つけられない。秀太も見てないんだろ? 正直、どうしたらいいのかわからん」
「そうだね……。ごめんね、俺、何にも役に立たなくて」
ピタリと足を止めた健が、大智を振り返る。はぁ、と大きなため息を吐かれた。
「俺だと、あの兄弟を笑わせてあげることは難しい。大智だからできるんだ。大智は大智のできることをやってくれ。俺も、頑張るから」
健は照れ臭そうに目をそらした。
「……うん、ありがとう」
「今週中にばあさんと話をする。一楓さんも交えたいから、連絡しといてくれ」
「わかった」
照れ隠しなのか、早足で歩く健を、大智は小走りで追いかけた。