表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
浄霊屋  作者: 猫じゃらし


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

26/91

散歩 2

 

 週末、依頼主との待ち合わせに指定されたのはとある病院の一室だった。

 部屋は個室で、窓から入る太陽の光が白い壁を反射する。

 個室の中で待っていたのはベッドに横たわる男性と、30代半ばほどの女性、男の子が2人。初老よりやや年老いている男性、そして男性と同じ年齢に見える、刺々しいオーラを放っている女性の計6名だ。


「ご足労いただき、ありがとうございます」


 丁寧に頭を下げて迎えてくれたのは、30代半ばほどの女性だった。


松野 由美(まつの ゆみ)といいます。ベッドに寝ているのは、夫の順一(じゅんいち)です」


 由美は、男の子2人に手招きし、自分の前に立たせた。


「長男の翔太(しょうた)、次男の秀太(しゅうた)です」


 翔太は小学生、秀太は幼稚園児ほどのようだ。秀太は、健と大智を見て人見知りしたのか、由美に抱っこをせがむ。


「それと……」


 由美は残りの2人を振り返ると、刺々しいオーラを放った女性がフンっと鼻を鳴らした。


「胡散臭いったらないねぇ! こんな若造達に何を依頼したって言うんだい? 詐欺じゃないのか? え?」


「お義母(かあ)さん!」


 由美が、女性を牽制するように声を荒げる。

 順一とは違う男性は女性の隣で俯き、小さくなっていた。


「順一がこんなことになっているっていうのに、くだらないことしやがって。全部お前のせいじゃないか! お前と、あの犬っころのせいだ!」


 由美はぐっと唇を噛み、女性を睨みつける。

 女性はまたフンっと鼻を鳴らした。


「ばあちゃんやめてよ、ママを悪く言うな!」


 瞳に涙をためた翔太が、顔を真っ赤にしながら由美と女性の間に入った。

 ばあちゃんと呼ばれた女性は、翔太の言葉に、吊り上げていた眉を八の字に下げた。


「で、でもね翔ちゃん……」


「悪いのは、車を運転していたやつだ! ま、……うぅっ……まっ、……ろ、だって、うっ……悪ぐないっ……!!」


 翔太はボロボロと涙を流した。握り込んだ小さな拳が震える。

 女性がおろおろと言葉を探していると、小さくなっていた男性が、これまた小さな声で「帰ろう」と女性の肩を叩いた。


「家内が、失礼を申し上げました」


 健と大智にそう告げた男性は、女性の背を押して病室から出て行った。


 まるで嵐が去ったかのような病室に、すすり泣く2つの声が残った。

 涙を流す由美と、翔太の顔を、秀太は交互に見る。


「まま、にいに、だいじょぶだよ。しゅうが、いるよ」


 紅葉のような手は、涙の伝う由美の頰を優しく包み込んだ。





 ❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎





「お恥ずかしいところを見せてしまいました」


 瞼を赤く腫らした由美は、まだしゃくりあげている翔太の頭を優しく撫でた。


「こちらこそ、若輩者で信頼するに足りない見た目です。おばあさんの気分を害してしまったようで、すみません……」


 女性のオーラに気圧された大智は、ずいぶんと萎縮していた。


「いえ、義母は……」


「ばあちゃんはいつも、ママにだけいじわるするんだ」


 ずずっ、と鼻水をすすった翔太が呟く。


「ママが兄ちゃん達を呼んだんだ。だから、気にくわないんだ」


「翔太、やめなさい。すみません。義母はいつもああなんです」


 叱られた翔太は、むすっと唇を尖らせた。

 祖母の嫌がらせから母親を守ったはずなのに、それを咎められるのは腑に落ちないに決まっている。由美も、親である手前、それを叱らなければいけないのは心苦しいだろう。

 健と大智にできることは、深く掘り下げず、与えられた仕事をこなすのみだ。時には、深入りしてはいけないこともたくさんある。


「おばあさんも納得できるよう、必ず解決します。詳しく、聞かせてもらえますか?」


 大智が申し出ると、由美はパイプ椅子を2脚出し、健と大智に座るように促した。

 由美も座り、依頼するまでの経緯を話し始めた。


「夫が事故に遭ったのは2週間……いえ、もう3週間前になります。犬の散歩中、横断歩道を渡っていると、赤信号なのにブレーキもかけず車がぶつかってきたそうです。わき見運転でした。夫は腕の骨折と打撲、一番は頭を打ったことで、まだ意識が戻りません。ですが、担当の先生からは命に関わる怪我ではないと言われています」


 由美がベッドに横たわる夫、順一に目を向けた。

 順一の肌には、掛け布団から出ている部分だけでも、かすり傷が多いのが見て取れた。


「夫が入院して1週間が経った頃です。事故後の対応や、見舞いに通うこと、この子達の生活、私1人でやらねばならず、くたくたでした。慌ただしく1日を過ごし、この子達に夜ご飯を食べさせながら、つい、ボーッとしていたんです。そうしたら秀太……下の子が、入り口を指差して『パパがいるよ』と言ったんです」


「ぱぱ、いたんだよ」


 由美の膝に座った秀太が、由美を見上げて言う。少し怒っているような、訴えるような言い方だ。


「ぱぱ、お家にいるんだもん」


「……こう言うんです。ですが、現に夫はまだ目覚めずここにいますし、私と上の子も家で夫の姿を見たことはありません。この子だけが見てるんです。このまま夫が目覚めず……とか、秀太に何かあるんじゃないかとか、怖くなってしまって」


 膝に乗せた秀太を抱きしめた由美は、健と大智を見る。その眼差しは、戸惑いと怯えの混じったものだった。


「秀太君に、質問しても大丈夫でしょうか」


 健が由美を見ると、由美はこくりと頷いた。


「秀太君、パパはまだお家にいるか?」


「……いるよ」


 健に話しかけられた秀太は、警戒心をあらわにしながら小さく答えた。


「いつも?」


「……いっつもいるよ」


「パパは見てるだけ? 何か言ってる?」


「ましろって言ってる」


「ましろ?」


「僕んちの犬だよ」


 首を傾げた健に答えたのは、翔太だった。

 すっかり泣き止んでいた翔太だが、また眉尻が下がり、泣き出しそうな顔をする。


「ましろ、死んじゃったんだ」


「夫が散歩をしていた犬の名前です。その子は、夫と一緒に轢かれて亡くなりました」


 由美は翔太にティッシュを渡し、自身も目尻に浮かんだ涙を拭った。


「さっき、おばあさんが言っていたわんちゃんは、その子のことですか?」


「はい」


 大智の問いに由美は頷いた。


「結婚前から、私が飼っていた犬です。人見知りな子でしたが、夫にもよく懐いて、可愛がっていました」


「おばあさんは、なぜそのわんちゃんのせいだと?」


「義母は犬が嫌いなんです。それだけでなく、私の飼い犬でしたから、特に嫌っていました。ましろも、義母に近寄ることはありませんでした。叩かれたり、嫌がらせもされていたようですから。その嫌っている犬の散歩で夫が事故に遭ったから、そう言うのでしょう」


「そういうことですか……」


 大智の顔がわずかに歪んだ。

 お人好しで動物好きなこの男は、この短い間での出来事で由美に同情し始めているのだろう。

 健は、大智を肘で小突いた。


「お話はわかりました。今、俺から言えることは、ご主人の幽体……つまり秀太君の言っているご主人の姿は、この病室には()えないということだけです。ご自宅に現れるということですので、そちらを視たいと思うのですが」


「わかりました。ええと、お2人は学生さん……ですよね? 急ですが、明日はどうでしょう? 平日だと学校がありますよね」


 由美の提案に、大智は「あっ」と声を出した。

 健が大智を見ると、気まずそうに頭を掻いている。


「すみません、俺たち、名乗りもせずに……」


「いいえ、いいんです。こちらの対応が無礼だったので」


「改めまして、長谷 一楓の代役で参りました。長谷 大智です。こっちは」


 大智が健をちらりと見た。


「仁科 健です」


 健は軽く会釈をして、名前を告げる。


「長谷さんと、仁科さんですね。よろしくお願いします。では明日、14時にまたこの病室に来ていただけますか。それから自宅へご案内します」


「わかりました。お願いします」


 健と大智は頭を下げ、これ以上の用はないので早々に切り上げることにした。

 病室を出て振り返ると、翔太が手を振ってくれた。大智が手を振り返すと、秀太も小さく手を振ってくれた。

 ナースステーションを通り過ぎ、エレベーターに乗り込む。


「おい」


「え?」


 一階のボタンを押した大智が振り返る。


「深入りするなよ」


 いくら由美と、その愛犬の境遇が不幸だといっても、踏み込んではいけないラインがある。

 それは健と大智の仕事ではない。


「……わかってるよ」


 ボタンの羅列をじっと見つめたまま、大智が答えた。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ