廃校 1
◯◯中学校って知ってる?
少し前に廃校になったとこなんだけど……。
そうそう、あの郊外の。
あそこすごいらしいね〜。
肝試しに行く人達、ことごとく“視る”って言うし。
なんでもね、まだ中学校として機能してる時からそういう話が絶えなかったらしいよ。
裏に墓地もあるし、地元でも有名らしいね。
えっ、今度肝試しに行くの?
私も行きたい!
うん、じゃあ日時が決まったら教えて。
他にも誘っていいの?
んー、じゃあ……。
「健、お願い。本当にお願い」
大智が両手を合わせている。
小首を傾げるというあざとい動作はどこで学んだんだろうか。
男がやるなよ、と思うが、童顔の大智がやるとその辺の女の子より可愛らしい動作になるので手に負えない。
「なんで俺も?」
「だって誘われたから」
「断れないんだもん、じゃねぇんだよ断れよ」
だってー、と大智はしょんぼり項垂れた。
「はっきりばっさり意見言って友達いなくなるの恐いじゃん、健みたいに」
「お前、俺にははっきりばっさり言ってるじゃねえか……」
健のこめかみがピクピクと震える。
大智の言う通り、はっきりばっさり周りの顔色を伺うことをせず意見してきた結果、ここに孤独な男が誕生している。
それでも態度を変えず寄ってきてくれるのは大智くらいなものだ。
「健は誤解されやすいだけだからね。俺はその辺よく知ってるよ」
で、ね? と上目遣いまで取り入れて再び両手を合わせる大智。
「お願い、健」
「あー、もー!」
健はガシガシと髪を掻きむしった。
長年の付き合いである腐れ縁の友人は、本当によく理解している。
健も、頼まれ続けると断れないことを。
了承と受け取った大智は満足げに笑った。
「ありがと、健!」
夏休みは終盤、大智の “お願い” とは、残り少ない夏を大いに楽しもう! というリア充発案の廃校での肝試しであった。
ちなみにみんな同じ大学らしいが、大智のように社交的でない健に面識があるわけがない。
健は憂鬱で仕方ない。
肝試しなど、いい思い出がない上に、バイトと称してそんなようなことを散々やっている。
その上、仲もよくないどころかほぼ接点もない連中と一緒だと。
健の溜め息は大きい。
「いつだ」
「明後日だよ」
明後日か……。
健は天を仰いだ。
心の準備をするには時間が足りない。
健の中ですでにカウントダウンが始まっていた。
今でこそ、これほどまでの人嫌いである健だが、元々は普通の子供だった。
いや、色々と語弊がある。
人嫌いという点については、すれ違ったり挨拶をする程度なら問題ない。
問題なのは、会話のレスポンスが2回以上続く場合だ。何かしらのボロが出たり、めんどくささが際立って現れるので相手に不快な思いをさせてしまうのではと考え、極力避けている。
そして普通の子供だった、という点だ。
そもそも小学校中学年までは幽霊を視ていたので、その時点で普通ではない。
では何が普通かというと、対人面では他人に嫌な感情を持たず普通だった、ということだ。
しかし、そこにも大きな問題があった。
健の元来の性格か、ずけずけと物をはっきりと言う子供だった。
あ、傷つけたなと思うがだいたい後の祭りで、無神経やデリカシーがないとよく言われた。
それに加えて、幽霊が視えるということも恐れず周りに口にした。
お前の先祖、強そうだな。
お前、右足になんか憑いてるから気をつけた方がいいぞ。
先生、おばあちゃんが挨拶に来てるよ、さよならだって。
子供の戯言だと流せばいいものを、当たってしまうのでタチが悪かった。
そのうちに、無神経な気味の悪いやつという称号を与えられ、避けられた。
ただ救いだったのは、健自身がそのことを気にしていないことだった。
大智の存在も今にして思えば大きかった。
無神経な気味の悪いやつ、として過ごしていたある日、それを覆す出来事が起こった。
交通事故だった。
健は自転車に乗り、横断歩道を渡っていた。横断歩道の信号は青だった。
そこに、ブレーキもかけず軽自動車が突っ込んでくる。
健と車はぶつかった。
体が宙に放り出され、コンクリートに打ち付けられた。
不思議と痛みはなく、冷静だった。
すべてがスローモーションに見え、他人事のように思えた。
車から慌てて降りてきた、健の母よりいくつか年上くらいのおばさん。
大丈夫かと喚いている。
地面に横たわり、目は開いているのに応答のない健に、おばさんは心底肝を冷やしたようだ。
だが、健はそれどころではなかった。
おばさんの横に、背筋を丸めた小さな老婆が正座している。白髪で、頭の上にちょんとお団子をのせている。
健がずっと幼い頃からくっついている老婆だ。
もしかしたら守護霊だったのかもしれないし、違うのかもしれない。幼い健には判断することができなかった。
その老婆が、健に話しかけているのだ。
「健ちゃん。ばあちゃんが護ったからね、大丈夫だと思うよ」
喚くおばさんの声は耳を素通りするのに、老婆の声だけは自然と頭に流れてきた。
「そのままでいいから聞きなさい。健ちゃん、あんた頭をちょっと打ったから、今までと変わってしまうからね」
何が?
「ばあちゃん達のこと、視えなくなるよ。だから、今日でさよならだ」
ばあちゃん? 何言ってるんだ?
「健ちゃん、今あるものを大事になさい。これしかない、と思わず、こんなにあるんだ、と思って大事になさいよ」
ばあちゃん!
「それじゃ、これでさよならだよ」
ばあちゃん!!
健の意識はそこで途切れた。
次に目を覚ました時は、病院のベッドの上だった。
健の父と母が傍らにいた。ほっと安堵したように見えた。
でも、あの老婆はいなかった。
「かあさん」
健は母に呼びかけた。
「俺、視えなくなっちゃった。ばあちゃんがさよならって言った」
体はどこも痛くないのに、涙が溢れて止まらなかった。
胸がすごく苦しかった。もしかしたら胸も打ったのかもしれない。
とにかく苦しくて涙が止まらなかった。
「健……」
健の母と、そして父も健を抱きしめた。
この両親は幽霊が視えるという健を否定せず、見守ってくれていた。
心配をかけていたと思う。視えなくなったと伝えたら、さぞ安心しただろうと思う。
だが両親は「寂しいね、悲しいね」と共感してくれた。一緒に涙まで流してくれたのだ。
健の、自慢の両親だ。
事故の後遺症というものはまったくなく、検査入院として1週間ほどで退院した。
事故自体はお互いに不運としか言いようのないもので、特に大きな問題にはしなかった。
相手側の主張は、信号と健の存在が確認できないほど夕陽が眩しかった、とのことだった。
健も同じく、夕陽かと思いそちらを見ていた。
しかしそれは夕陽ではなく、神々しく輝く狐のような生き物だった。
目を奪われたといっていい。
そのせいで、健も突っ込んでくる車に気がつかなかった。
本当に不運だった。
ひしゃげて再起不能になった自転車は、最新式のマウンテンバイクになって返ってきた。
それでも、健の失ったものは大きく満たされることはなかった。
登校し始めると殊更にそれを感じることとなった。
今までは無神経な気味の悪いやつ、として存在していた自分が、幽霊を視ることができなくなってただの無神経なやつになってしまった。
気味の悪いやつという存在も、捻くれてはいるがアイデンティティだった。
それを失ってしまった今、自分はどれだけ惨めで脆いのかと痛感した。
いつも隣でにこにこしていた老婆がいないことも含めて。
初めて “孤独” だと感じたのだ。
それから健は感情を表に出さず、無口な子供になった。
周りは、無神経な気味の悪いやつから無口なやつと認識を改めてくれた。
それでいい。
アイデンティティを失ってしまった今、自分を主張し続けることは健にはできなかった。
そんな中で何も気にせず、以前と変わらず話しかけてくるのが大智だった。
話しかけてくるたびにへらへら笑っていた。
何もおもしろくないのにへらへら笑っていた。
へらへら笑いながら他愛もないことをずっと喋っていた。
いつしか、健もつられて笑うようになった。
大智の前だけでは笑えるようになった。
老婆の言っていたことを思い出す。
「これしかない、と思わず、こんなにある」
そうだ、健にはこんなに大事なものがある。大事な友達。
いつまでもずっと、大事にしていこう。
真っ暗だった心に、優しい光を見つけた。
健が大智のお願いを断れない理由は、ここにある。