トンネル 6
健が腰の抜けてしまった正一をおぶってトンネルの入り口に戻ると、首を傾げたくなる光景が待っていた。
車の側面を背もたれに、地面に座り込んでいる大智と裕太。一緒に裕太のスマホを見ているようだ。
いつのまに仲良くなったのやら。
先に健に気がついたのは大智だった。
気づいてすぐに立ち上がり、駆け寄ってきた。
裕太は何やら高速でスマホを操作したあとに、同じく駆け寄ってきた。
「健、大丈夫!?」
「じいちゃんどうした! 腰やっちゃったのか!」
健は大智に大丈夫だと頷き、裕太に正一を任せる。
正一はいつも拳骨を落としてる孫に支えられて居心地が悪そうだ。
「じいちゃん、きよちゃんには会えた!? 何があった!?」
やたらと騒がしくたかる裕太に、正一の眉間の皺は元に戻っていった。
なるほど、あれは皺になるはずだ。
「ん、返す」
大智にスマホを差し出した。一楓との通話はとうに切れている。
「清子さんは成仏できた?」
スマホを受け取った大智が心配そうに尋ねてくる。
「思い残りはないはずだ。正一さんがちゃんと見送ったから」
正一を見ると、やかましい裕太に拳骨を落としたところだった。
やかましいものがなくなると、空をぼぅっと見上げて黙ってしまった。
「大丈夫? あれ」
「大丈夫だろ」
何も知らない人からみると、あの快活な爺さんが大人しくなって、と心配するかもしれない。
でも、そんな時くらいあってもいいだろう。正一は長い年月を越えて、清子とようやく向き合えたのだから。
裕太がしばらく地面に張り付いて悶えてますように、と健は願っておいた。
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「後日談があるよ」と大智から連絡がきたのは、トンネルで別れてから一週間後のことだった。
いつもの所で、ということで健はお馴染みの居酒屋に来ていた。
「うっす」
「おっきたきた。健もビールでいいよね?」
挨拶もそこそこに、空いていた大智の前の席に腰を下ろす。
大智の隣では、一楓がすでに口の周りに白い泡をつけて満足そうな顔をしていた。
「健くん、お先に〜」
「どうぞ、お構いなく」
健は目の前にあった焼き鳥をつまむことにした。
「あっ。それ、俺の!」
注文を終えた大智が、健の持つ串を見る。大智のだったのか。
すまん、と思いつつもう食べてしまったので遠慮なく残りも口に含む。
「まぁまぁ、私のあげるから」
一楓が頬を膨らませている大智の取り皿に自分の串をおいてやった。
溜飲が下がったのか、大智はそれ以上頬を膨らますことはなかった。
「で、後日談って?」
健が促すと、一楓も大智を伺った。
まだ一楓も聞いていないようだった。
「裕太がさ、たぶんまたじいちゃん同士で喧嘩するよって言うから連絡先交換しといたんだ」
「あなた達いつのまにそんなに仲良くなってたの?」
大智はへらっと笑った。
本当にこの男は人たらしだ。
「でね、やっぱり喧嘩しに行ったんだってさ。清子さんのことで」
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すっかり落ち込んでいた正一が裕太に「車を出せ」と言ったのは、大智達と会った2日後だった。
「どこ行くの?」
「文勝のところだ」
お、きたきた。俺の読みどーり。
これはフラグを立ててから行かねばなるまい。
「ちょっと待ってて」
スレに書き込むので。
裕太が目にも留まらぬ速さかつあざやかな手つきでスマホを操作しているうちに、正一はさっさと玄関を出ていた。
ちょっと待って、勝手に鍵持ってって車に乗り込まないで。
「じいちゃん、もう大丈夫なの?」
裕太は慌てて運転席に乗り込んで、正一の顔を窺う。
一応、心配は心配なのだ。いつも怒鳴り散らしている正一が意気消沈して大人しいのだから。
「少し感傷に浸りたかっただけだ。だいたい、儂が大人しいからと病院だなんだ騒がれてはかなわん」
正一は眉間に皺を寄せてため息をついた。
それは、日頃の行いのせいですよー。と言いたいところだが、呑み込んだ。
文勝と喧嘩すれば周りのそんな心配も一瞬でなくなるだろう。
「ところで、お前」
ジロリとした目が裕太に向いた。
「トンネルでの出来事を根掘り葉掘り聞いたり、あいつの所に今向かってるのも今回はめずらしく止めないな。またろくな事をしていないんだろう」
あ、バレてる。
裕太は無意識に目線を遠くへ投げていた。脇見運転になるので、ちょっとだけ。
その視線の先に、目的地である鈴木宅が小さく見えた。
鈴木宅の家の前に勝手に車を停めると、正一はさっさと車を降りてしまった。
チャイムを鳴らすのもそこそこに「邪魔するぞ」と上がり込んでいく。裕太もその後に続く。
勝手知ったる他人の家というやつだ。
居間を覗くと文勝と鈴木のばあちゃんが、そうめんを啜っていた。
ちなみに鈴木のばあちゃんは『三代子』という名前で、みよちゃんと呼ばれている。
三代子は瞬時に何かを察し、お盆に自分の分のそうめんを避難していく。
文勝は「な、なんだ!」と怒鳴りながら口からそうめんを噴き出していた。
「昼時にすまんな。話があるんだが」
「儂は話すことなど何もない!」
文勝は箸をテーブルに叩きつけた。
その行動が気に食わなかったらしく、正一のこめかみに青筋が立ち始めた。
「儂があるんだ。黙って聞け!」
正一の怒号が響く。
一瞬びくっとした文勝だったが、長年の仲なのでそんなことでは怯まない。
怒鳴り返そうと立ち上がったところで、三代子が間に割って入った。
「いつものお部屋を用意しましたので、そちらへどうぞ」
居間から出ていくように促した。
いつもの部屋というのは、テーブルと座布団以外に何もない簡素な和室のことだ。
三代子曰く、暴れてその辺の物が壊されたのは数知れない。いい加減にしろ、だそうだ。
老人2人が移動したので、裕太もついていこうとすると後ろからちょいちょいと突かれた。
「お前さん、お昼は?」
「あ、まだ」
「持ってくるから、座って待ってなさい」
そう言って三代子は台所へ姿を消した。
裕太は老人達がやり合っている部屋の、隣の部屋に腰を下ろした。
仕切りを取り払って一間続きになってるので、喧嘩のやりとりがよく見える。こちらの部屋にも、裕太の野次馬用のテーブルが用意されている。
「して、何しに来た」
座布団にどっかりと腰を下ろして腕を組み、ふんぞり返った文勝が言う。
「決まっておろうが。きよちゃんのことだ」
「きよちゃんきよちゃんと、昔に死んだ女のことをまだ言っとるのか。女々しいやつめ」
「なんだと貴様!」
正一がバンッとテーブルを叩き立ち上がろうとしたところで、三代子が2人の前にお茶を置いた。
毎度思うが、実にいい間で入っていく。
「お待ちどうさん」
裕太の前にはそうめんが置かれた。
つゆにトマトが入っている。
三代子も先ほど避難した自分のそうめんを持ってきて、食べ始めた。
裕太も一口啜る。
「うまっ!」
「だろう。濃いめに割ったつゆにトマトとシーチキンを入れて、ごま油をちょっと垂らしたんだよ。アクセントは大葉でさ」
うま、うま、と裕太は箸が止まらない。
三代子はアレンジを効かせた料理が好きなのだ。それをこうして、正一に連れられてくる裕太にたまに振る舞ってくれる。
「それで、今度はなんだい? またきよちゃんのことかい?」
「ん〜。報告と確認かなぁ」
三代子は首を傾げたが、裕太に突っ込んで聞くよりも老人達の成り行きを見守ることにしたようだ。
「——というわけで、きよちゃんは然るべきところへ導かれた」
「ふん」
「それで文勝、お前に質問がある」
「なんだ」
「なぜハイヒールを盗んだのか? なぜきよちゃんのことを依頼したのか? 質問はこの2つだ」
「答える必要はない」
ふい、とそっぽを向く文勝に、正一は握った拳を震わせた。
めずらしく我慢して穏便に話を進めようとしているな、と裕太は思った。それもいつまでもつかというところだが。
食後にと剥いてもらったりんごをシャクシャク齧っていると、三代子が立ち上がった。
「答えろ」
「断る」
「どうせ、パチンコがしたくて焼け残ったご本尊でも売り飛ばして小銭にしようと思ったんでしょう」
問答をしている2人の間に入り、三代子は剥いたりんごの皿を出した。
三代子を見るなり文勝がびくっと跳ねた。三代子の手にはりんごを剥いたあとの果物ナイフが握られていた。
「あんた、さっさと白状しなさいな。仏さんのきよちゃんまで巻き込んでくだらないことして」
文勝はしらばっくれようと何か考えていたようだが、三代子に睨まれてバツが悪そうな顔をしながら話し始めた。
「ハイヒールは、ご本尊を取りに行ったら一緒にあったから気味が悪くて捨てようと思った」
目的のご本尊は思った以上に焼けてたので、金にならないと諦めたらしい。
「その後から、夜中にうなされたり何もないところでつまずいて転んだりと続いた。絶対に清子が嫌がらせをしてるんだと思った。だから、除霊を依頼した」
そして、呼び出されたのが健と大智であった。
きっかけはどうであれ、その点においては幸運だったなと裕太は思う。
「夜中にうなされたのは暑くて寝苦しいからだし、転んだのも足腰が弱ってるからさ。きよちゃんがお前みたいなやつのことを構うもんか」
文勝の話を聞いて三代子がばっさりと一蹴した。
正一も何か言いたげだったが、文勝が三代子に慄いて小さくなったので溜飲を下げたようだった。
「で、でもな……」
「つべこべ言ってないであんた、きよちゃんに謝っておいで! 山の祠に手を合わせてくるんだよ!」
ピシャリと言って文勝を黙らせた三代子は、裕太を見た。
「お前さん、悪いんだけど、このジジイを山まで乗せてってやってくれんかね?」
裕太は構わないが、と正一を伺う。
正一は複雑そうな顔をしたが、頷いたので大丈夫だろう。
「車の中で喧嘩しないでね」
裕太は最後のりんごを口に放り込んで立ち上がった。
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「だってさ」
大智は長々と語り、そう締めた。
「えっとつまり、お小遣い稼ぎを考えた結果ハイヒールが盗まれて、勘違いで依頼された…?」
一楓がまとめようと頭に人差し指を置いて考えている。
裕太からの伝聞なのだろうが、いらない情報が多すぎる。
「あ、そうそう。裕太がオカルトスレ盛り上がって1000スレ達成したって喜んでたよ」
「はぁ?」
なんだそれは。
「実況してたんだって」
何をしてるんだあいつは。
健は苦虫を潰したような顔をした。
世話にはなったが、やっぱり苦手な人種だ。
「でね、今度お礼がてら裕太とご飯行くんだけど、健もどう?」
「行かない」
間髪入れずに断る。
「え〜!!」と文句を言って食らいついてくるが知ったことではない。
「行こうよ〜」
「行かない」
健と大智の押し問答を、微笑ましげに一楓は眺めていた。
居酒屋特有の喧騒、体に沁み渡るアルコール、美味しいつまみ。
それと、楽しい時間を一緒に過ごす仲間。
大智が饒舌に喋り、健が気だるげに相槌を打つ。
一楓は飽きることなく、2人を眺めていた。
次の依頼をいつ伝えようか考えながら。