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浄霊屋  作者: 猫じゃらし
12/91

トンネル 5

 

 トンネルに2台の車が到着した頃には、真っ暗闇だった辺りもうっすら明るくなっていた。

 日が昇り始めるまで間もなくだ。


正一(しょういち)さん、そのハイヒールをお孫さんに渡していただけますか』


 時間がない、ということで一楓(いちか)が指示を出す。

 裕太(ゆうた)老爺(ろうや)から紙袋を受け取った。


大智(たいち)、裕太くんと上にのぼって、それを祠に戻してきて』


 祠に戻すなら私が、と老爺が手を挙げかけたが一楓によって遮られる。


(たける)くんは正一さんを連れてトンネルの中へ。各々(おのおの)、急いでちょうだい』


「姉ちゃんは?」


『健くんに渡して』


 はいよ、と大智にスマホを渡される。


「よし、行きましょう」


 健は先導して歩き出した。

 老爺は不思議そうに健の後を歩き始める。

 大智と裕太も足がかりを探して、のぼり始めた。


「なぜ孫を祠へ? 私も祠で手を合わせたかったのですが」


 老爺が言う。


『適材適所です』


 一楓が端的に答える。

 もう少し説明を、と思ったが健は口をつぐんだ。説明が上手くないのだ。

 健の背後では不満げなため息が聞こえた。


「ところどころ、水たまりができています。足元に気をつけて下さい」


「わかった」


 不満ながらも、大人しくついてきてはくれるようだ。

 健はホッと胸をなでおろした。





❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎





 大智は生い茂る草を掻き分けて、健と見つけた道筋を探していた。

 懐中電灯が必要ない程度には明るくなっていたので、祠も簡単に見つかるかと思いきやそうではなかった。

 仕方ないのでまた手探り状態だ。

 裕太は潔癖なのか大智が踏みしめた所しか歩こうとしない。


「おかしいな、この辺だと思うんだけど」


「うわぁ! 虫!」


「うわ! おどかさないでよ!」


「大智さん早く祠見つけてー!」


 あの祖父をもっているので図太いのか思っていたが、ヘタレだ。

 大智は仲間を見つけたような気がした。


「そのハイヒールさぁ、なんで住職は盗んだんだろ」


 なんとなく仲間意識が芽生えて、幾分か丁寧に草を踏んでやり裕太が歩きやすいようにしてやった。


「なんでハイヒールかっていうのはわかんないすけど。でも、だいたいなんかやらかす時は金が絡んでるんで、それかと」


 もし、なんなら。と裕太は続ける。


「うちのじいちゃんが後でまた喧嘩しに行くと思うんで、詳しいことがわかったら連絡しましょうか?」


「いいの? ありがとう!」


 裕太の、紙袋を持っていない空いた方の手を、大智は握りしめてぶんぶんと振った。

 掲示板での情報提供から裕太にはお世話になりっぱなしだ。

 今度お礼をしよう、と大智は決めた。


 さて、早く祠を探さなくては。





❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎





 トンネルの上でよくわからない友情が芽生えたことも露知らず、健と老爺は黙々と歩いていた。

 足腰はしっかりしているとはいえ、さすがに気を使って歩くペースを遅めにしていた。


「一楓さん、どこまで歩けばいい?」


『出口まで。その間に出てきてくれればいいけど、出なければ出口で待ちましょ。絶対現れるはずよ』


 健と一楓の会話がトンネル内に反響する。

 その合間にぴちゃん、ぴちゃんと水の跳ねる音が混じり、何度通っても慣れない不気味さが漂う。


「長谷さん、健くん。あなた達は清子(きよこ)さんをどうするつもりですか?」


 ふと、老爺が問いかけてきた。

 そういえば一楓がなんと説明して説得したのか、確認していなかった。


『私達は、清子さんの魂を然るべき場所へ導くだけです』


「それはどうやって? そもそも清子さんは、何を思い残して今もここにいると?」


 老爺はいまだ、半信半疑のようだ。

 自分の部屋に現れ泣き崩れる姿は信じることができても、こんな薄暗くカビ臭いじめじめとした空間に好きな女性がいるなど信じられなくて当然だ。信じたくもないだろう。


『話してみなければわかりません。ですが、発端を見つけきっかけを作ることができたので、清子さんを導くことができるはずです』


「それは……」


『清子さんの思い残りはきっと、最後にあなたに会いたいということでしょう』


「なぜ、私に」


 一楓は『なぜって……』と言いかけて黙った。

 反響する音が、足音と跳ね返る水の音だけになる。





 ジャリッ、ジャリッ、ジャリッ

ぴちゃん……ぴちゃん……



 カツ…………カツ…………





『なぜなのかは、本人に聞いてみてください』


 ハイヒールだ。

 健は音に意識を集中した。

 トンネルはすでに中腹を過ぎている。

 聞こえるのは、背後だ。


「何があっても、騒がずにお願いします」


 老爺にそれだけ言い、健は背後の暗闇を見た。






 カツ……カツ……カツ……カツ……






 音が近づいてくる。

 目を凝らすと、うっすらと人のような影が見えた。今は赤いハイヒールだけくっきりと見えている。


「な、あれは」


『しーっ』


 老爺は信じられないといった表情をしている。

 まさか、まさか、と口がぱくぱくと動き、涙ぐんでいるように見えた。


 近づいてきた赤いハイヒールは、持ち主をしっかりと現し始めた。

 黒髪のショートカット。

 白い手足はすらりと伸びている。

 赤いハイヒールが映えるよう、襟付きの白いワンピースを着ている。

 目鼻立ちはくっきりしているわけではないが、均等の取れた可愛らしい顔をした女性だった。




「きよちゃん!!」




 老爺は女性に駆け寄った。

 女性は姿を消すことなく、駆け寄ってきた老爺に手を握られる。


「きよちゃん、ごめんな。こんな、こんな所にずっといたなんて、ちゃんと供養してやれてなくて……」


 女性は縋り泣く老爺の手を握り返した。


「正一さん」


 女性が名を呼ぶ。

 老爺はハッと顔を上げて女性を見た。

 女性は嬉しそうに微笑み、一筋の涙が頬を伝っている。


「あなたに会いたかった」


「わ、私もだ。私も、きよちゃんにずっと……ぐぅぅ」


 そこまで言って、老爺は喋れないほどに号泣し始めてしまった。

 強靭だった足腰も力が抜け、へなへなと座り込んでしまう。

 女性は合わせて座り込み、老爺を落ち着かせるようにゆっくりと話しかける。


「正一さんには、死ぬ前も、死んでからも、ずっと心配をかけちゃいましたね」


「そ、そんな、ことっ……」


「私のことなんて、忘れてしまえばよかったのに。莫迦(ばか)な人ね……」


 老爺は大きく首を横に振った。


「私も、素直にあなたの手を握ってればよかったのよ……。大莫迦者(おおばかもの)よね」


 女性の表情に苦痛が少し混じったような気がした。

 その苦痛は黒い禍々しい影を作り出そうとする。あれではダメだ。

 見守っていようと一楓と話していた健だが、思わず声をかけてしまった。


「清子さん、嫌なことを思い出す必要はない。今、あなたの目の前にいる正一さんは、あなたの幸せだけを願ってここにいる」


 女性はちらりと健を見て、号泣して顔をあげられない老爺を再び見た。

 ちくりと刺した苦痛は消え、穏やかな顔つきに戻ったようだった。


「きよちゃん、私は、私はな、」


 老爺がしゃくりあげながら話し始める。

 女性は子供をあやすかのように、背中をトントンと叩いて、優しく相槌を打つ。


「ちゃんと、幸せに生きてきたんだ。孫も、いるんだ」


「うん」


「孫は、どうしようもない、馬鹿で優しくて、弱っちい」


「うん」


「きよちゃんに、自慢できるような孫じゃ、ないんだがな」


「さっき、祠に手を合わせてくれたわ」


 老爺は泣き腫らした顔を女性に向けた。


「若い頃の正一さんにそっくりね。今度、祠のそうじを約束してくれた」


 とても良い子ね、と。

 老爺は「そうか、あいつが、そうか」と嬉しげだった。




 さて、いつまでもこうやって話をさせてあげたいのだが、時間は有限だ。


 ハイヒールが戻ってきたこと。

 思い残りであった『正一に会う』こと。

 女性がここを彷徨う理由はもうない。

 導くべき時に導かなければ、いつか魔が差し悪霊になってしまうかもしれない。先ほどのように。


 一楓に確認すると、任せる。と返ってきたので、健は座り込む2人の側にしゃがみ込んで、まず説明をすることにした。


「清子さん、申し遅れました。俺は仁科(にしな)健といいます。あなたを導くために来ました」


「わかっていました」


 女性は頷く。


「時間がありません。清子さんには光の道筋が見えていますか?」


「はい。先ほどよりは薄く細くなっているようですが」


 女性の足元からトンネルの先、出口の方へ煌々と光の道が繋がっている。

 老爺と話をしているうちに少し消え始めた。

 この光の道が消えてしまっては、導くべき場所を失ってしまうのだ。


「それが消えてしまっては清子さんを導けません。正一さん、立てますか?」


「あ、ああ……」


「トンネルの出口まで一緒に行きます。清子さんを見送ってあげましょう」


 健は正一を立たせ、清子の手を正一の手に握らせた。

 スマホから『あらあら』と聞こえた。わかっている、柄にもないことをしているのは。

 健は耳が熱くなるのを感じてさっさと歩き出した。




 出口までの道のりは、やっと出会えた2人には短すぎる距離だっただろう。

 ぽつり、ぽつり、と思い出話をしては微笑みあっていた。

 ざっくり計算すると70年近く前の出来事を話しているので、清子はともかく正一のほうはよく覚えているな、と思う。

 それほどに清子との思い出が色濃く、忘れられない存在だったことが確かなのだろう。


 出口の光が見えてくると、正一と清子は沈黙した。

 寂しくてとか、悲しくてではなく、残っている時間をお互いの繋いだ手を通じて感じ合っているようだった。

 慎ましやかな最後の過ごし方だ。

 清子の性格がそうであり、正一も恐らく元来はそうなのであろう。

 今は見る影もないが、それは加齢のせいなのか、そのせいで大事な者を失ったからなのかはわからない。

 ただ、清子に会ってから正一の眉間に寄っていた皺が和らぎ、ずっと穏やかな顔つきになっていた。



「出口です」



 健はトンネルをくぐり抜ける一歩手前で立ち止まり、後ろの2人を振り返る。

 健から少し離れて歩いていた2人は互いを見つめ、抱きしめ合った。


「正一さん、ありがとう」


「きよちゃん、」


 正一から次の言葉が出てこない。

 どうもまた、嗚咽を漏らしているようだ。


「ぎよぢゃんっ……じあわぜにっ……」


 絞り出した言葉に、清子ははにかんだ。

 正一から体を離し、繋いでいた手を離す。

 最後に指先が離れると名残惜しそうに正一の手が伸びたが、清子に「だめよ」と言われ、伸びた手はだらんと正一の元に戻った。


 カツ、カツ、カツ、と健のいる所まで軽快に清子は歩く。


「お兄さん。お世話になりました」


 清子は健に頭を下げた。

 健も軽く頭を下げて返す。


「夜は明けていますが、まだ光の道は消えていません。いけますね?」


「はい。私が行ったら、あの人をお願いしますね」


 清子は正一を振り返って言う。

 正一は今にも泣き崩れそうだ。


「正一さん、笑ってさよならしましょ」


 清子は清々しいほどに笑顔だ。

 対して正一は、涙でぐちゃぐちゃになんとか口角をあげているくらいの顔である。


「正一さん、ハイヒール取り返してくれてありがとう。それから」


 清子は俯いた。

 ふぅ、と息を1つ吐いて顔をあげた。



「あなたのことがずっと好きでした」



 頰に赤が差した清子は、悪戯に前歯を出して笑って見せた。

 そして、あどけない表情をしたまま正一に背を向けた。


「さようなら」


 清子はトンネルの外へ一歩踏み出た。

 途端に風が吹き、清子の体はきらきらと光る粒子に変わり流されていった。


 空の彼方へ流されていく光の粒を、健と正一はいつまでも見送った。






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― 新着の感想 ―
[良い点] なんじゃろうか…… ラストでまた泣かされました (ノД`)・゜・。 人間模様を丁寧に書かれていますねぇ
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