トンネル 4
「君らが “トンネル” だったのか〜」
老爺の鉄槌から復活した男はへらへらと握手を求め、「 “じいちゃん” でっす」と挨拶をしてきた。
ちゃんと挨拶をしろ! と老爺が一喝したが気にする様子もない。普段から怒られているのだろう。
「私は山中正一と申します。孫は裕太。出会い頭にいきなり無礼を働いたことと、孫の軽率な態度、改めてお詫び申し上げます」
再び深く頭を下げた老爺に、大智はあわあわと頭を下げ、こちらの自己紹介をした。
健はといえば、孫の裕太という男がへらへらとこちらを見ているので辟易した目で見返していた。こういう手合いは苦手だ。
「先ほど長谷さんに伺ったお話ですが」
頭を上げた老爺が話し出す。
ここでいう長谷とは、一楓のことだ。
「本当のことであれば、あなた方の見たという赤いハイヒールは清子さんのもので間違いないと思います。そして」
老爺は一旦区切り、忌々しげに歯噛みした。
「その依頼主、ここの管理人だという男。……そいつは、清子さんの旦那です」
清子、つまりお妾の旦那ということは。
「あなたの幼馴染の、ご住職ということですか?」
健が尋ねる。
「そうです。名は、鈴木文勝と申します。依頼の際には “ふみかつ” と名乗っていたようですが、それは幼い頃に名乗っていた出家前の名です」
「なぜご住職がこんな依頼をされたのか、心当たりはありますか」
「さぁ……。清子さんはあいつを好いて一緒になっていたようでしたから、恨んでいるなどということはないと思いますが」
老爺は肩を落とした。
何十年も前の恋は、まだ終えることができていないようだった。
「ところで、トンネルの上の祠ですが、あなたの他に知っている方はいますか?」
健は続けて尋ねる。
「あの祠を知ってる者はほとんど、年老いて亡くなりました。私とあいつだけです」
はぁ〜、と長いため息をつく老爺。
「それと、孫が教えたという友達と」
裕太はびくっと肩を震わせて、明後日の方向を見た。
「まぁ、ですが。こんなところにあるトンネルです故、見つけられないとは思いますが」
まったくその通りだと、健も頷く。
依頼でここの場所を教えてもらっていたから知ったものの、こんなところに好き好んで来るものはいない。
あのトンネルも、長いこと使われていなかったに違いないはずだ。
すると、大智が健の横で「あっ」と声を出した。
「あの、山中さん。さっき祠を確認しに行ったんですけど、祠が開け放たれていて中にあったらしい物が無くなってたんですけど」
「なにぃ!?」
びくっと肩を震わせたのは今度は2人。健の横と、前の若い男だ。
大智は完全に老爺に怯えて健の背後に回った。
「その、そこにあったのって、ハイヒールなんじゃないかなって、俺たち思ったんですけど、何かご存知ですか……?」
老爺はこめかみをピキピキとさせているが、なんとかそれで怒りを収めているようだ。
「そこには確かにハイヒールがありました。私が置いたものです」
老爺が大きく息を吐く。
「先ほど、清子さんが私の寝所に現れたのです。ハイヒールがない、とずっと泣いていました。このことだったのでしょうね」
老爺はトンネルのほうを見た。
トンネルを見たのか、その上にある祠を見たのか。
さらにその先にいる、女性を思い描いて見たのかもしれない。
「心当たりはありますか?」
なんの、とは健は言わなかった。
なんとなく答えが限られている気がしたのだ。
「あいつしかいないでしょう」
老爺は言い切った。
そして、裕太に「連れてけ」とだけ言いさっさと車に乗ってしまった。
「じいちゃんまた鈴木さんとケンカすんの? やめようよ〜夜中だよ〜」
裕太は文句を言いつつ、運転席に乗り込んだ。逆らう気はないらしい。
車を動かす前にチラッとこちらを見た。ついてこい?
『2人ともついていって』
一楓がまるで見ているかのようなタイミングで発した。
健は固まっている大智の背中を急げとばかりに叩いて、車に押し込んだ。
❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎
住職宅についてからは凄まじかった。
夜中にあれだけの騒ぎを起こして、よく通報されないものだと。
裕太が「よくやってんだよね」と出されたお茶を啜りながら言った。
お茶を出してくれたのは騒ぎを聞いて起きてきた、住職の奥さん。話にあった正妻だという。
「今度は何をやらかしたんだい、あのボンクラは」
やり合ってる老人達を、仕切りを取り払った別室から見て呆れて肩をすくめている。
「ごめんね鈴木のばあちゃん、こんな時間に。うちのじいちゃんも頭に血がのぼるときかなくてさ」
「なに、いいんだ。ろくでもないことたくさんやってきたんだ。今ツケが回ってんだよ」
住職の奥さんは、老人達とさほど変わらない年齢のように見えた。
違うのは、年相応に足腰が弱っているらしいところだ。あの老人達は足腰が強靭過ぎる。
健と大智もお茶を用意され、茶菓子まで出てきた。
深夜にこんなことに巻き込んでしまって申し訳ない。
「だから、知らねえって何べん言わすんだ!」
「知らねえもんか! お前が盗んだんだろう! 返せ!」
「なんで儂がそんなもの盗むんだ! 知らん!」
「あれは儂がきよちゃんにあげたもんだ! お前が盗んでいいもんじゃない!」
「儂は知らん!」
老人達の喧嘩は堂々巡りしている。
お互いが主張し合う度にバンッ! とテーブルを叩くので、出されているお茶が常に揺れている。
「正一さんがきよちゃんにあげたものって。あれ、まさか」
まさか、もしかして、と住職の奥さんがよたよたと立ち上がろうとしている。
大智がすかさず手を貸すと「ありがとね」とはにかんで、その手を握って立ち上がった。
住職の奥さんは違う部屋へ行き、戻ってきた両手には茶色の紙袋が大事そうに抱えられていた。
「あのボンクラが捨てておけって放ってよこしたんだ。またどこの女のをと思ったけど、なんだか捨てられなくてね」
紙袋を開けると、中には茶色く焦げて煤けたハイヒールが入っていた。
「そうかい、きよちゃんのだったのかい。見たことあるなと思ったんだけど。ごめんねぇ、気づかなくて。きよちゃん……」
住職の奥さんはハイヒールをそっと撫で、静かに涙を流した。
「正一さんから唯一受け取って大事にしてた物だ。捨てなくて本当によかったよ……」
後に聞いた話だが、喧嘩している老人2人と住職の奥さん、それからきよちゃんの4人は、幼馴染だったらしい。
なので、正妻・妾は問わず仲良くやっていたとのこと。
なぜ妾に、という質問には「あいつは金だけはあったからね。周りは飢え死んでいく貧乏ばっかりさ」と住職の奥さんに返された。
涙を拭った住職の奥さんはハイヒールを丁寧に紙袋にしまい、それを2人の老人の前に置いた。
ぎょっと目を見開く住職と、訝しむ老爺。
「正一さん、あんたが探してるのはこれでしょう」
老爺は急いで紙袋を開けた。
住職が手を伸ばそうとしたが、その手は奥さんによって叩き落されていた。
「見つけた!!」
中身を確認した老爺はここにもう用はないとばかりに立ち上がり、裕太に「行くぞ」と合図した。
奥さんは「あとは私が叱っておきますんで」と頭を下げてから住職の頭を引っ叩き、説教を始めたようだった。
健と大智も頭を下げ、住職の家を出た。