(7)おゆう
冬の足音が聞こえる。遅咲きの山茶花がまだ白い花をつけている。小さな池には錦鯉が泳ぎ、年代物の赤松が大岩の間から腰を曲げている。
鍵屋の屋敷の縁側で、小春は広い庭を眺めていた。
廊下を挟んで向こうの部屋では鍵屋清七と小久保彦左衛門が何やら内密の話をしている。
「私には三人の娘がおります。その三女、名をおゆうと申しますが、捜していただきたいのです」
「行方知れずですか?」
清七はうな垂れて、しばらく顔が上がらなかった。
「はい。酉の市に行くと言って出かけたきり……。てっきり花田征四郎様と一緒だと思っていたのですが、違ったようです」
「花田征四郎殿とは?」
「おゆうの許婚でございます。旗本の花田さまとは懇意にしていただいております。そのご子息で。うちも三人娘がおりますので、一人ぐらい譲ってくれてもいいだろうと。
おゆうもまんざらでもない様子で、お付き合いさせて戴いておりました。ですが、酉の市の頃におゆうと征四郎さまの間で何かがあったようで、派手な喧嘩をうちの下女が見ておりまして。
――おそらく花田家のお屋敷のどこかにいるかと」
小久保彦左衛門は唸った。旗本相手では、彦左衛門の敵う相手ではない。だが、清七の願いを無碍に断ることもしたくない。
「おゆうさんを取り戻したいのですね」
「はい」
「喧嘩の原因は?」
清七は下女を呼び出した。下女は廊下の隅で深々と頭を下げたまま挨拶した。
「甲と申します」
彦左衛門は正座を崩さず、そのまま向き直った。清七は彦左衛門の態度に感服しながら甲を急かす。
「こちらのお役人さまに、ありのままを話しておくれ」
お甲は戸惑いながら、再び平伏した。
「お嬢さまはお綺麗で、そして誠実なお方でございます。なのに花田さまは……。
――あれは、私が裏木戸を通って洗い物をしようとした時でございます。花田さまがエライ剣幕でおゆうさまを殴ったところを見ました。その時の花田さまの言葉の端々に“浮気”とおっしゃっていたので、おゆうさまに限ってそんなことは無いと、止めに入ったのでございます」
「浮気、ですか」
小久保彦左衛門は、チラリと小春を見た。
縁側で、こちらを向いていた小春とちょうど目が合った。
――玉吉と小春の間には何かあるのか?
彦左衛門は咳払いした。
「でも、おゆうさんが花田さまのお屋敷にいるとは限らないでしょう。征四郎殿も酉の市には一緒ではなかったと言いましたよね。単なる行方知れずということも考えられませんかね」
彦左衛門とて、何の証拠もなしに旗本の花田征四郎を疑う訳にはいかない。好き合った者同士の痴話喧嘩を誰かが見たからといって、それで征四郎がおゆうをさらったとは考えにくい。
「確かに花田さまは、酉の市には一緒ではないと言っておりますが。どうだか。
そもそもあの方は執拗な方で、おゆうに熱心といえば聞こえはいいですが、実際は付き纏いに近いのです。あの方がお武家さまでなかったら、私は許しておりません。
それに、酉の市で二人が歩く姿を見た者もおります。
間違いございません。花田征四郎さまは嘘をついていらっしゃる。それに、おゆうが行方知れずになったというのに、あれきりまったくの音沙汰無しです。これを疑わずして、誰を疑いましょう。音沙汰がないのは、近くにおゆうがいるからに決まっております。町人風情が武家に口出しできないのをいいことに、横暴の極みではございませんか。おゆうはきっと征四郎さまのお屋敷で泣いておりましょう」
大柄な清七の言葉が弱々しく響いた。
「早くに妻を亡くしたものですから、おゆうには随分苦労をかけたと思います。だから幸せになってほしかった。それが何故こんなことになってしまったのか。
長女は労咳で、もう長くはないと言われております。嫁に行った二番目はあてにはなりません。私はおゆうに助けられていたんだとつくづく実感いたしました」
小久保彦左衛門は自分にどれだけのことができるか考えた。
――いづれにしても、大したことはできまい。何せ相手は旗本だ。
「おゆうさんはどのような方ですか?」
「歳は二十。身の丈は四尺六寸。目は大きいほうです。母親の形見の簪をいつも身につけておりました」
「いなくなった日の恰好は?」
「赤地に金の帯で桜の着物だと思います」
「桜?」
彦左衛門が眉間に皺を寄せた。。
「ええ。桜の着物は多いです。桜が咲く頃に生まれたものですから」
彦左衛門はごくりと生唾を飲んだ。
「もしやそれは空のような青ではありませんか?」
「そうです」
鍵屋清七の顔がぱっと明るくなり、そして不安にかられた。
「何かご存知なのですか?」
「……いえ。ひょっとしての話です。一度大門番所に出向いていただけませんかね。できれば、今すぐにでも」