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吉原大門事件帳ー小春日和ー  作者: WAKICHI
ー雪見桜ー 第4幕 桜舞い散るところ
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かどわかし

 彦左衛門は肩で息をしながら走った。


 昔ならば軽々と動けたものを、すっかり息があがってしまい、年老いたことを痛感した。白足袋は泥だらけで身なりも乱れてしまったが、夢中で境内を探し回った。


「――ち、畜生」

 弱音を吐いた。どうしても小春が見当たらない。とうとう限界で、膝に手をついて足元の草を見ることとなった。派手に動き回ったのも無駄に終わった。


 そう思った時、銀次がすっ飛んできた。

「旦那ぁ! 大変でやんすよ」

「銀。お前、まだいたのか。小春を見なかったか?」


「あ~ぁ、旦那はいいですねぇ。どうせ小春さんのコトで頭がいっぱいだったんでしょうけどねぇ、ちったぁこっちの身にも」

 彦左衛門は大きくため息をついた。なんとも期待外れな結果だ。


「ついさっき小便に寄って帰ろうとしていたんですが、林の中が騒がしいんで。なんと、そいつが寺の裏にいたんですよ。もう偶然も良いとこ」


「そいつ?」

「山吹桜の主ですよ」

 彦左衛門は銀次の襟首をぐいと引き寄せた。

「誰と話していた。広範か?」

「それが違うんで、旦那が言ったとおりになってたんですよ」


 銀次の話を聞いて、彦左衛門の顔は驚くほど青ざめた。

「身請けで損を二度とださないために、今日ここへ現われたのかもしれぬ。山吹桜の主が会いに来たのは梶原だ。けれど雲行きが怪しくなった。俺だったらまず芸妓を押える」

「それって……! 小春さんが」


「梶原に連れ去られて行方が知れぬ。もし出会ったら――まずい」

 彦左衛門は銀次を連れ、さらに勢いを増して走り出した。


 ※    ※    ※


「源次郎、放して……どこへ行く気なの?」

 梶原源次郎は強引に小春を連れまわす。カラスが鳴く林を急ぎ足で進み、人の目の届かない場所を探していた。


「事情が変わった。お前には暫時隠れてもらわねばならぬ」

「え?」


「騒ぎが収まるまでだ。このまま女連れでは俺の面目が立たぬ」

「武士の面目?」


 小春は腕を振り払い、立ち止まった。所詮女とは男に振り回され、その影で生きていくしかないのか。

 元々はそれが嫌になって柳橋の家を出た。時が経ち、源次郎はもう一度、共に最初からやり直そうと言い、小春はその言葉に従うこともできず、死をも考えた。隠れろと言われれば隠れ、男に組み敷かれ・・・・・・。


 この世の男と女の仕組みがそうなっている以上、小春に自由の道はない。


 彦左衛門以外に小春を救えない。

 芸妓という道を与えてくれ、好きなように生きていいと支えてくれた。そして自らの寂しい想いをと堪えつつ、ずっと待っていてくれた。その彦左衛門に応えたい。


 ――あの人のためなら、芸妓ぐらい辞められる。


 今分かった。芸妓をしていたのは、あの人との繋がりが欲しかったから。傍でみてもらいたかった。傍にいるだけで充分幸せだった。それがもし、それが叶わぬというのなら……。


「終りにしましょう」

 源次郎は笑ったが一瞬で退いた。


 懐剣の鞘が落ち、鋭利な刃に小春の瞳が吸い寄せられている。


 源次郎に向けるか、自分に向けて終りにするか。ちっぽけな刀が幸せを呼ぶとは思えないが、地獄道への踏ん切りはつく。


 源次郎が迷いもなく小春に近づいたので、結果刃が源次郎に向けられた。

「来ないでよ」


「つくづく強い女だ。いいだろう、ここいらが潮時だ。長年の付き合いもこれきりだな。さぁ、やってみろ。ただし俺も手加減はしねぇ」

 源次郎の低く威嚇した言葉だけで手に震えがきた。


 源次郎の手が刀にかかった。

 小春は狼狽えた。そこに虚無僧が現われた。


 小春の懐剣を打ち落とすと、手にした紐で小春を後ろ手に縛り上げた。あまりにも手馴れた行為に源次郎も驚いた。棍の一撃が源次郎の腹を捕らえ、宙に舞った。痛みを堪えて体を起こした時には、姿が遠い。


 小春は目隠しに猿轡。それに両腕を縛られている。籠で運ばれてどこか知らない場所へ。

 やがてどこかに閉じ込められ、音ひとつしない場所についた。


 孤独と暗闇。すっかり状況が変わっているが、思考を呼び戻すには充分だった。


 源次郎が小春に刀を向けたことは何度かあり、刀をちらつかせるぐらいは大した問題でもない。

 けれど今日ほど真剣に、源次郎が見切りをつけようとしたことはなかった。ゆえに記憶は源次郎と小春が刃を持ったままで、延々と繰返している。


 懐剣は自分に決着をつけるはずの刃だったのだ。源次郎に向けたのはなりゆきだったが、二人が決別するには充分な時間だった。男女の未練はないが、悔いの残らない別れとしては不充分だった。


 源次郎の助けを得られない今、攫われたことを知る者はいない。


 そう悟ると小春は本当に一人ぼっちだった。 誰に、どこへ、どうなるのか。死を覚悟して刀を抜いた時の勢いはもうない。 せめて源次郎が皮肉の一つでも言って、彦左衛門が悟ってくれればよいのだが。


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