捕縛と嘆願
一晩中動いて、事件から一夜が経った。
吉原大門番所の入り口では年寄りの客が財布を摺られたと嘆き、中央では客と妓夫が揉めて仲裁が入っている。裏では酔った男が座敷牢で歌っていた。唯一静かなのは一番奥の四畳半の座敷だけだった。
障子がぴっちりと閉められ、囲炉裏の前で佐助が端座をしている。背筋がピンと伸び清々しいが、縄に縛られて御用の身だ。
「待たせたな、佐助。頭を上げよ」
銀次は彦左衛門に言われたように佐助を捕えた。
佐助は彦左衛門の顔の傷に緊張していた。前に会った時とは別人のように容赦ない気迫に満ちていた。取り調べは死人が出るほど辛いという噂だ。恐怖に身体が震えた。
「なんで……俺なんですか」
彦左衛門はあまり語ろうともしない。
「まぁ、そういうことだ。今朝といっても丑の刻だが、この俺を襲ってきた人物がいてな、それでますます確信できた。魚河岸。お前の家の近くだ」
「俺は仕事に出ていたでしょう!」
「雛菊が殺された晩は?」
「いつものように仕事をしていました」
「いつものようにといっても、俺の見た限り、ずっと一か所に留まっている様子ではなかった。常に誰かと一緒だったというわけではあるまい?」
「それでは仕事になりません」
「自由に動けたわけだ」
佐助は何も言えなくなった。
彦左衛門は袖の下から一枚の布を出した。
「何ですかそれは?」
「頭巾だ。雛菊を殺した男がかぶっていたものと同様だと山吹の店主が言っていた。これが、お前の軒下から出てきた」
「――そんな! 俺は知らない!」
「どうにかしてやりたいが、どうあってもお前が咎人ということになりそうだ」
佐助は生唾をのんだ。
「俺は殺していない!」
彦左衛門はため息をついた。
「雛菊が殺してやると叫んだ相手。世間では佐助と見る方が、筋は通る。
雛菊と幼馴染。十日前、雛菊を訪れている。殺してやると憎んだ相手。二度目の来訪では顔が知れているので頭巾の客を装った。雛菊は頭巾の客に殺され、長屋から頭巾が出て来た。これでは抗いようがないだろう。以上の事実を覆し、証明できる者はいるか?」
「……。いません」
「ならば仕方ない」
彦左衛門は立ち上がり、佐助を外に連れ出した。
「おう、みんな離れてろや」
人の輪ができる中で、彦左衛門は佐助の縄を切り、長い木の棒を佐助に投げ与えた。
「腕に覚えがあるだろう?」
「――はい?」
「お前が勝ったら、お咎め無しにしてやる」
「え?」
「俺の立場もある。逃げたら斬るからな。とにかく戦え」
佐助は戸惑っていたが、もはや勝つしかないと分かると、中段で構えた。腰が据わってなかなかの構え。広範が言うだけのことはある。彦左衛門も刀に手をかけた。
「うりゃあ!」
佐助が先手をとり、突きに来た。彦左衛門は首を傾げ、軽く避けた。
「そんなもんか?」
「――まだ!」
佐助の動きは速いが、先が読みやすい。左右に振り、決めとばかりに喉元を狙う。
「若いなぁ」
決まり手を避けたら、脇が甘い。もはや刀で応戦するまでもないと思ったが、長年の勘で警戒を惜しまない。佐助の動きがうってかわって良くなった。不格好な攻めは演技か。
――こいつ! だまし討ちかよ
「それ!」
佐助が出した渾身の一撃。ギリギリのところで交わした。棒を脇で抱え、懐に入り込む。
「危ないな、本気にさせるなよ」
彦左衛門はあっさりと横一閃に斬った。
「ぐはぁ!」
佐助は腹を抑えて倒れ込んだ。銀次が走り寄る。しかし血はひとつも出ていない。
「まぁここんなもんだ。お前は運がいい」
佐助は膝をついて地に伏した。
「生きてる?」
「木刀以下の竹みつだ。昨日の男とは別人の動きで安心した。まぁ俺の中での疑いが晴れただけで、このままでお咎めは免れん」
「そうですか」
佐助は肩を落とした。
「すでに時遅し。填められたのだ。待遇は多少良くしてやろう。しばらく泊まっていけ」
お互いに手持ちの駒の数は多くない。ならば勝負に勝つために、相手の手持ちの駒は減らしておく。
※ ※ ※
吉原大門番所に大量の魚が届いた。ニコニコ笑いの商人が訪れた。
「駿河屋の八十吉と申します。佐助の放免をお願いに参りました」
「放免? 無理無理」
銀次は愛想なく八十吉を追い払おうとしたが、小太りの身体は頑として動かなかった。
「佐助は真面目な性分でして、決して悪事を働くような者ではございません。何かの間違いとしか」
銀次は目を瞑り、しばらく黙っていた。旦那の荒使いにはまったく世話が焼ける。睡眠不足で目も開けていられないのに、面倒な者が訪れてきたものだ。
とりあえず現場の状況からして、頭巾が見つかったことは大きな手掛かりだ。佐助に疑いがかかっている以上、放免というわけにはいかない。
「お許しは出んぞ。この事件が解決するまではな!」
「事件はいつ解決できるのですか?」
「は? そんなこと分かるものか! 佐助のことは暫し待てとしか聞いてない――さ、帰れ帰れ」
「困ったものですな。お陸の悲しみは深まるばかりです。今では水も食事も通りませぬ。佐助まで帰れぬようでは、お陸が先に倒れてしまいます」
銀次は薄目を開けて八十吉を見下す。
「お陸お陸と、今の娘がそれほど可愛いかい。まるで昔を忘れたような言い草だな。お松だってお前の娘だろ?」
「お松は……強情な娘です。私にはどうにもならなかった」
「ハン、冷たい親だねぇ――ま、吉原送りを承諾したくらいだからな」
「他人に言われるほどではありませんよ!」
八十吉の凄い睨みのおかげで、銀次の眠気が吹き飛んだ。
――やべぇ、すげー怒ってる!
「私は実母に帰したつもりだった! 妻が寺に預けたりしなければ、私のところに帰ってくるはずでした」
「どうだか。吉原に来た後でも、子供を引き取るぐらい金はあるだろう」
「吉原はお松自身が望んだ事です。吉原に売られた後、引き受けに行きました。でも、絶対に帰りたくないと断られて、引き下がるしかなかったのです」
「たかが子供の言うことに、言いなりになった。それでも親かい! まぁ後妻さんとはうまくいっていなかったんだろうし、ここは子供には綺麗で楽しい場所だろうがよ」
「どうして産みの親は迎えにこなかったんだ?」
「それは大人の事情で……」
銀次はピンときた。
「母親に旦那以外の男がいたってことか?」
「噂ですよ。めっぽう綺麗な女でしたから。とっかえひっかえで男を家に連れ込んでいるとか。そのために集落から離れた場所に住んでいるとか。良い噂はありませんでした。ですから仏罰があたったんです。寺に迎えに行く途中で崖から落ちて、死んでしまったのです」
「崖から落ちた? まぁ詠唱寺は山道だからな」
「幾日かして、母親が崖下で見つかったそうです。娘に花を摘んで渡そうとして足を滑らせたとか」
「また不憫な話だね。それで行き場を失って吉原に? 他に兄弟でも親戚でもいただろうによ」
「三つ子の美人姉妹でしたが、みんなバラバラになってしまった。だからお松の亡骸はお梅と一緒に詠唱寺で弔いをしてやりたかったのです。私にはこんなことしか……」
鼻をすする八十吉に銀次は共感した。
「八十吉さん、悪かった。あんたも長い間悔いてたんだな。だけど一度咲いた桜は元には戻れねぇ。お松だってりっぱな華咲かせたんだ、それも認めてやってくれ。
小久保様はこれが最善だと言っているから、件が片付くまでは佐助が放免されることはあるまいよ。確かにここは番所だが、悪いようにはしねぇから安心しな。俺の知る限りでは、小久保様はできた男だよ。それにな、あの人の事件の対する勘には、一目置いてるんだぜ」
八十吉はやむなく頷いた。
「佐助のことはじっくり待つことにします。せめてお陸には責を感じてほしくない。
お梅には私からも佐助とお陸のことを話していて、納得してもらったつもりでした。だから死ぬなどと思ってもみませんでしたよ」
八十吉は弱い足取りで番所を出たのだった。




