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吉原大門事件帳ー小春日和ー  作者: WAKICHI
江戸の花火 第一幕 酉の市、翌日
4/57

(4)逢い引き

 そもそも小春が見返り柳の下に来たのは昼を過ぎた頃であった。日が暮れれば街灯ひとつない闇に包まれる江戸の街だ。女一人で歩くのは心もとない。早めに近くまできて、時間を潰すのが良策であった。

しかし彦左衛門はまだ仕事中であるから邪魔はできない。馴染み深い桔梗楼に顔をみせることにした。先日、酉の市の時に逃げ出した詫びをいれなければならないこともある。

しかし開店前のおテツは花魁を取り仕切るのに忙しい。あまり話の相手にならなかった。

「忙しいのはお互いさまだよ。――今夜は日本橋の井筒屋だよ。勘定方のお役人を呼んで宴会だから、そそうの無いようにね」

 今日は彦左衛門と約束があるから駄目だと言っておいたのに、おテツは仕事を持ち掛けてくる。

「でも支度が……」

「深川まで帰ることないよ。二階の奥に支度部屋があるから使っておいき。――まさか今度も断るつもりかい?」

 おテツはニヤリと笑っている。

 酉の市で儲けられなかったので、おテツは井筒屋でいつもの倍の値段で小春を仕向けたのだ。当然ほとんどの儲けはおテツに入る仕組みになっている。

「それと、またあんたを気に入った男がいて、小春はいくらかって聞きにきたよ。あたしも断るのが面倒くさくなって五十だって言ったんだ」

 芸妓が男と一夜を共にするのに普通は十五両。器量良しとなれば二十や三十が相場である。一晩の付き合いで五十両となれば破格の高値。おテツもこれが簡単に通るとは思わなかった。

「啖呵切っただけで本当にいるかどうか怪しいけど、男が『大門の外茶屋で毎日待ってるから』って。どうせアンタのことだ、鄭重にお断りするんだろう?」

 まだ時間があるから支度してから断って来いと言われ、ついでに井筒屋に顔を出せと言われ、結局おテツに誘導されて、鏡台の前に座った。

 おしろいを塗り、紅をさす。素顔の小春が消えて、妖艶な美女が出来上がっていく。女郎にはない芸への心得が品格と凛とした美しさを醸し出している。それに小春の美貌が重なると、女を見馴れたおテツでも、ため息がでるほど羨ましくなる。

 ひととおり用意が済んで、小春は煙管の先に煙草を詰めて一服つけた。

 長い煙管の先がポッと光り、赤い紅の唇からふうっと紫煙が立ち昇る。

 罪悪感。でも仕事はこなさなければならない。


 ――ひこさまに、何と謝れば良いのだろう。


 出かけ際におテツは火打ち石をカンカン鳴らした。

「行ってといで! 行きがけに外茶屋に寄ってくのも忘れないようにね」

 芸妓小春は黙って頷いた。

 



 吉原の唯一の入り口、大門は至って簡素な木製の門であった。一般の侍や町人にとってはただの木の棒であるが、遊女たちにとっては生きて入って二度と出られぬ地獄の入り口であった。

 桔梗楼を出た小春はその門をしばらく眺めていた。やがて言葉もなく橋を渡り、外茶屋の皺だらけの主人に声をかけた。

「深川の芸妓、小春と申します」

 店の主人は入り口で団子を焼きながら、顎で奥の座敷で寝転ぶ男を指した。

「朝から晩まで二日もここにいたんだぜ。随分ご執心じゃねぇか。もっとも姉さんのベッピン面じゃ、仕方ねぇかもな」

 小春は会釈して、土間を進んだ。小春が歩くだけで、ひらひらと舞い落ちる桜の花のように、艶やかな残り香が散っていく。年老いた茶店の主も一瞬その虜になった。

 六間ほど歩くと、つい立ての向こうに埃っぽい袴と薄汚れた白足袋が見えた。どうやら肘をついて横になっているらしい。

「来たか、小春」

 三十路を過ぎた男のガラの悪い声だった。

「足音だけで、小春だって分かるぜ。もう麻の草履は履かないのか?」

 小春の足はピタリと止まった。背筋が寒くなった。

「何の用?」

「用?――用ねぇ。金でお前を買うのも良いかもな。ゆっくり布団の上で話をするのも久しぶりだ。そういや、桔梗のおテツが五十だって吹っ掛けやがった。お前が五十もするかよ」

 小春は男と距離を置いたまま、話をつづけた。

「そういうお話なら、先にお断りしておきます。私は芸の道に生きる女。いくら積まれようとも無駄です。ただし花代ぐらい置いていきなさい。ここに二日もたむろしてたんでしょ」

「おう、相変わらずキツイね。愛想が無いっていうか、冷たいっていうか。まぁ、そこがそそるんだが」

 そう言って、男は上半身をもたげて、小春を見た。ぼさぼさの丁髷に髭面。清潔感の欠片もなく、その上飢えた獣のように目がぎらりと光っている。

 男は最初、驚いた顔で小春を見た。そして次にイヤらしい微笑にかわる。

「また、綺麗になった」

 誉め言葉なのに、鳥肌が立った。


 ――この男にだけは、会いたくなかったのに。


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