妹のように・駿河屋のお陸
たいていの亡骸は裏門から出されて、浄閑寺に放棄される。
彦左衛門が吉原を一巡りし、番所に戻ると、裏へ通じる小道に棺桶があった。銀次に仔細を尋ねていると、雛菊の亡骸には引き取り手がいるという。
しばらくして狐のような瞳をもった娘が下男を二人連れてきた。着物も髪型も華美ではないが上品で、見るところ良家の娘である。棺桶の雛菊を見て、女はその場で崩れ落ちた。
「本当に……死んでしまったのですね」
「まぁ、立ち話もなんだ」
番所で仔細を聞く。肩を落として泣いている娘を放っておくわけにもいかないだろうし、何もわからないままで終わるにしては謎が多すぎる。
「日本橋、駿河屋の娘、陸と申します。本来ならば父である八十吉が参上するところ、鮮度が命の仕事ゆえ、取り急ぎ私が参りました」
日本橋といえば魚河岸。吉原遊郭や歌舞伎小屋にならび、賑わった街のひとつだ。三百年、長きにわたって江戸の食を支えている魚問屋の娘である。
だからこそ合点がいかない。
吉原の遊女の旦那となり援助することは普通だ。豊富な資金力で、女を囲うことに問題があるのではない。雛菊の遺体を引き受けるほどの情がありながら、なぜ吹き溜まりのような山吹桜に置いていたのかだ。金はあったはずだ。現に目の前の娘は姫のように美しく着飾っているではないか。
「雛菊とはどういう関係かね?」
「お松は私の姉でございます」
「お松? それに姉とは……」
落ち着いた化粧しているが、どう見ても雛菊より年上である。涼し気な陸の顔と、艶やかな雛菊の顔に共通点は皆無だ。
「雛菊の元の名前は松、というのですね。失礼かもしれませんが、姉妹というには、お二人は似ていらっしゃらないようだ」
「姉は先妻がいた時の養女です。私は後妻の連れ子ですので、血は繋がっておりません」
疑問の半分は解けたように納得できる。
「無粋な問いかもしれんが、姉が吉原で、妹が良家の娘となると、お松は厄介払いで売られたように思えるのだが?」
陸は追い詰められた顔をした。
「先妻の子でも養女ですから、血は繋がっておりません。下女のような扱いをされていたことは事実です。母はお松の大きな目が嫌いでした。お松は耐えきれずに吉原に逃げこんだのでございます」
「吉原に逃げた? 親が売ったのではないかね?」
世間の評判があるから、お松は死んだことにして、縁を切ったのではないか?
「それは違います。吉原へ行ったことを父は心配しておりました。何度も身請けの話を出しましたし、お松はただ、頷いてくれれば良かったのに……亡くなったことを聞き、父がどれほど肩を落としたことか」
死者は黙して語らずだ。
「お松が望んで吉原に来たように聞こえる。それは自己弁護ではないのかね?」
「私たち親子が来たことで、お松の人生は狂ってしまいました。嫌な思いをするよりは、親元で幸せに暮らしたほうが幸せだろうと生家へ返したのです。けれど気が付けば、吉原で禿として、働いておりました」
都合が良いように解釈しているとしか思えない。飯屋で働くとか、どこかに住み込みで働くなどいろいろ方法がある。煌びやかにみえるが、働くのは所詮女郎で女には地獄だ。
「本当です。最初は産みの母にあたる方が迎えにくるはずでした。けれど待ち合わせにしていた詠唱寺に現れず、結局寺に預けることになりました」
「迎えにこなかった。ほかに身内は?」
「同じ歳の姉妹が二人おります。お梅は病弱で、親戚の家で厄介になっており、それ以上世話になるわけにもいかなったようすです。お竹はすでに家を出ておりました」
「お松、お竹、お梅。三姉妹か。もっと可愛らしい名前を付けてやれば良いものを」
「産後の肥立ちが悪く、親戚の方が名付けたそうです。三人を育てきれないことが理由でお松も養女に出されたと父が申しておりました」
「寺で待っていても、誰もこないから吉原にというのは合点がいかんぞ」
「詠唱寺のお坊さんは親切にしてくださいました。うちで働いている者も詠唱寺で世話になっておりましたので、本当のことです。でもどうしてお松が吉原を選んだのか、私には理解できません。佐助ならもう少し知っていると思いますが」
「佐助を知っているのか」
「はい。うちの手代で、お松とも顔見知りです」
「それは一度、逢ってみたいものだ」
※ ※ ※
すぐに銀次が佐助を連れてきた。
棒手振りで魚桶を持ち、法被、はち巻き。魚屋で若い使用人の定番の姿は、佐助には無い。普通の着物で上品さすら漂っている。
「駿河屋で手代をしております」
「魚は売らないのか?」
「店先に立つ程度ですので」
歳は陸と同じ程度で、若いのにたまに店先に立つ程度とは、手代でもかなり上の立場のようだ。
「雛菊の調べの件でな。いくつか答えてくれ。十日前、雛菊と会っていただろう。吉原にはちょくちょく顔だしているのか?」
遊ぶほど金があるのかという問いに、陸がジロリと佐助を見る。
「用があってのことです。友人として繋がりがあるからで、それも旦那さまに頼まれてのことです。身請けの話を持っていった時以外、一つの部屋で、二人きりで顔を合わせて会うことは無いです」
彦左衛門以上に陸が疑っているので佐助は言い訳をした。
「顔が同じだから、好きになるわけではないし、そんな金も暇もないことは知っているだろう。お梅から手紙を預かって、店先まで届けるだけの付き合いだよ」
「お松が吉原にいるのは、一切の縁を断ちたかったからと言っていました。唯一、お梅とは連絡を取り合っておりました。薬代にと、お金や手紙を送っていたそうです」
彦左衛門は目の前の二人の繋がりが気になる。佐助の着物と身分が上等なのはそのせいだろうか。
「二人は恋仲かい?」
陸の赤面した顔と佐助の照れ笑いが答えだ。
「お嬢様はお優しい方です。あの三姉妹を気にかけてくださる。俺はそういうところに惚れました。お嬢様も俺を慕ってくださって、婿入りすることになりました」
「そうかい。それでお松との関係は?」
「ですから古い友人です。十日前に訪れたのもお嬢様の了解を得たことです。あの時はお松から文が来て、呼び出されました」
お陸も頷いた。
「お竹からこちらの事情を聞き、仔細が知りたいとのことでした。私が同行しては邪魔になると思い、佐助さんにお願いした次第です」
「邪魔になるとは?」
佐助は視線を落とした。
「罪滅ぼしさせてほしかったのです。私たちはこれ以上あの三人姉妹を不幸にしたくないのです。身請け金を用意するので、自由になってほしいと申し出ました」
「ほう、罪滅ぼし。どのような罪だね」
「お松を庇いきれなかったお嬢様の苦しみと、お梅の件です」
「お梅と、付き合っていたのか」
佐助は慌てて首を振る。
「お松と何回か身請けの話で説得しているうちに、お梅に手紙を届けてくれと頼まれるようになりました。二人の手紙のやり取りに付き合っているうちに、お梅と親しくなりました。親戚の家に預けられて、病を理由に閉じ込められ可哀想だったのです。でも俺は友達のつもりで、せめて話だけは聞いてあげていました。話が弾むうちに、惚れたと告白されました」
「色男だな」
「正直、困りました。布団から出ることもできないお梅ですから、これ以上絶望を与えるのは可哀想だと、お嬢様に相談しました」
お陸は言った。
「お梅がお松に宛てた手紙を拝見しました。これは佐助さんに対する想いだろうと、共感できる部分がいくつもあって、私は許せなかった。佐助さんに、きっぱり断ってほしいと願いました」
「俺もうやむやにするのは苦しかったので同意して、お梅に真実を話したのです。そうしたら、お梅は……母親の墓前で亡くなりました」
「病か?」
「いいえ、自害です」
「いつのことだ?」
「先月です」
彦左衛門は沈黙した。
雛菊だけでなく、妹のお梅まで?
「そのことはお竹からお松へ伝わったのでしょう。仔細を知りたいというから、俺はお松に正直に話しました。それが十日前です」
「お松はどう返事をしたのだ」
「手紙を読んだかぎり、見舞いに来てくれただけで、嬉しいようすだったと。それ以上のことがなかったのなら、それだけで死ぬような子では無いと」
「怒らなかったのか?」
「はい。身請けの話も、嫌というわけではないと確認できました。後日、山吹に金を払う約束をして帰りました」
「辻褄合わん。その時雛菊は追いかけたと、山吹桜の店主が言っている」
「なんのことでしょう」
「大門近くまで走ってきて、殺してやると叫んだのは俺も目にした。言われたのは佐助、お前か?」
佐助は首を振る。
「山吹桜の人には丁寧に見送られました。大金が入ると知ってご機嫌でした」
彦左衛門は呟いた。
「十日前、雪が降ったのだ。裸足に襦袢、あの睨み殺すような瞳。お松は必死に相手を追いかけた。相手が優雅に逃げ去るのを許さない、そういう執念だった」
彦左衛門は顎に手をあて、長い間考えている。
「雛菊は身請けが決まっていた。本来なら生きて吉原を出られたものを」
「どうしてこんなことに」
嘆くお陸を佐助が支えた。
「いいや、それは違う。雛菊は殺されたのだ」
雛菊はどうも一筋縄ではいかない女である。生き方にしても、死に方にしても合点がいかない。
寺で静かに暮らすことを拒否し、吉原へ来た。
雛菊は慎重に客を選ぶ女だった。それが殺してやると叫んだ十日後に殺された。殺した男は正体不明だが、身分のある者。女遊びが過ぎて、殺してしまったとしても、それを自殺のように見せかけ、店の者まで騙したキレ者だ。
――事件の鍵は過去にある
彦左衛門は痛めた首に手をあて、しばらく考えた。
「詠唱寺まで送ろう」




