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吉原大門事件帳ー小春日和ー  作者: WAKICHI
ー雪見桜ー 第一幕 事件
38/57

残雪のように・山吹の雛菊

 

 早朝である。

 小久保彦左衛門は銀次から場所を変えて話があると誘われた。


 気風の良い彼が、しどろもどろになるのは、決まって彦左衛門に都合が悪い話だ。小春のことならば、いよいよ覚悟を決めなければならない時が来た。


 重い腰を上げて、銀次の後方を歩く。

 片足を庇うようにして歩く銀次の背中が幾分年老いたように見える。長い付き合いで、信じられる男だ。最悪の結果を聞き、泣き腫らしても、黙って見逃がしてくれるだろう。


「殺しではないんですが。一応足を運んでいただかないと」


 その言葉を聞いて、どれだけ肩の荷が下りたことか。

「仕事かよ」


 坂を下り、大門をくぐれば、吉原遊郭。貧乏長屋が立ち並ぶ葦原にあり、世間とは無縁の華やかさだ。


 吉原で花魁が身体を売るのは余興のひとつ。武士や豪商のために作られたもので、湯水のように金をばらまきつつも、品格と気風の良さが求められる。贅沢ができる男の遊び場であって、庶民とは無縁のものだ。


 だが吉原の中央、仲ノ町通りも行き止まりまで歩くと、その性質も変わってくる。大門から奥へ行くほどに気品と格が落ち、身体を売るための売春宿となる。大店おおだなのような派手な朱色の建物と豪勢な飾りはなく、杉板でできた平屋造りが立ち並ぶ。


 戸を一枚開ければ、すぐに寝床が敷いてあるような有様だ。ふくらんだ借金を返せなかったなど、訳有りばかり。格落ちならぬ廓落ちの遊女が、男と傷を舐め合うようなことが日常的に続いている。安価であるが、三味線や太鼓の音はまばらで、かん高い女のねだり声ばかりする。


「この辺は相変わらずだな――どうにかならんか?」

「庶民が遊ぶにはこの程度のもんも必要なんですよ」


 彦左衛門がこの辺りに顔を出すことは滅多に無かった。たいていのもめ事は銀次とその仲間たちで処理される。もめ事が起きるのは日常で、自害しようが、吉原内部で人情沙汰になる分には彦左衛門の耳には、あまり届かない。



「なぁ、この間の件だが・・・・・・」

 十手で凝った肩を叩きながら、銀次を見た。どことなくソワソワしている。銀次はそれだけで、見当はつく。


「――あ、ほら旦那着きやした。山吹楼はこちらですぜ」

 銀次は彦左衛門をやり過ごし、暖簾をくぐった。



 彦左衛門は大きく息をもらした。


 残雪のような愛だ。触れないでおけば、美しいまま溶けて消える。踏みにじるより、じっと耐え思い出と暮らしていけば、老いぼれらしい最後を迎えられる。雪と桜が出会ったように、小春とのことは奇跡なのだから。



 ※    ※    ※



 山吹楼は安さが売りの下位遊廓である。


 女郎にはここが最期の砦で、山吹楼から追い出されると遊女は生きる術を失ってしまう。ゆえにみな必死である。客の応対も良く、手厚くもてなしてくれるし、料金次第で、初会や返しなど体面上のことで、実際は三回合わずとも手っ取り早く夫婦の契りを交わすことができる。


 便利な面もあるが、逆に客との揉め事も多く、事が起きれば女郎も無事で済まないことがある。ゆえに山吹桜の者たちの役人への対応が手馴れていた。



 すぐに店の裏に通され、屍にかけられていた莚を取る。


 まだ若い女郎で、大きな目をカッと見開いたままだった。

「こいつ……」


 彦左衛門は、膝を折り、瞼を塞いでやろうとしたが、何度やっても目が閉じない。しばらく手をあてて瞼を温め、やっと閉じた顔には涙の筋が残っていた。


「成仏しろよ」

 女郎には見覚えがあった。小春を突き飛ばしたうえに、すごい顔で睨んだ女、雛菊だ。気の強い女だったが、こういう形で再会するとは。



 ガリガリに痩せた女郎と正反対、球のような体格の店主がやって来た。

「今朝のことなんですが、首吊ってました」


「……で? それなりの事情ってもんがあるだろ。借金とか、怨まれる筋とかよ」

「金に感しては普通です。まともに勤めれば年季も明ける頃にはなんとかなります」

「ふうん」


 首吊りと言われれば、確かに真横に青く痕がついていた。

「大した傷痕もなく、綺麗な屍だな」

「そりゃあ自害ですから」


 彦左衛門は寝そべった死体と同じ方向を向くように、自分の首をぐいっと横に曲げてみた。


 ばきっ!


 筋がずれる音がして、顔が歪む。


「……。扱いにくい女だったか?」


「それはもう。つらは良いですが、すぐにカッとなる。そのうえ、とにかく客を選ぶ。どこの誰かとしつこく聞いてからでないと、寝ないんですよ。これでは客も寄り付きません。結果的に、何度も店を変えているようです」


「最近、何かに悩んでいた節はあったか?」

「いいえ。何か事が起きるとすぐ物に当たり散らすような女ですから、何かあれば分かると思います。割合とおとなしいものでしたよ」


「少し前に大門の近くまで走って男を追いかけていたよな?」

「そんなことありましたか?」

 店主は大汗を拭いた。


「殺してやると、凄い勢いで叫んでいた」

「嫌な客に当たっただけで簡単にそう言う女ですよ?」

 店主を困っている。死んだのだから利益は出ない。面倒事は早く終わりにしてもらいたいのだ。


「そうかもしれん。だがここから大門の近くまで走って追うとなると、大した執念だ」

 銀次が店主の前に立って挑発する。

「隠したらただじゃおかねぇぞ」


 銀次の圧力に負けて、店主は焦った。

「なんてことないです。その男は知り合いの男ですよ」

「名は? どんな関係だ?」


「佐助といって、魚河岸で働いているそうです」

 彦左衛門は傷む首に手をあててしばらく黙っていた。小春と会えなくなった日なので計算は早い。


「その男、よく来るのか?」


「恋文だか知りませんが、そういうのばかりで。雛菊は客を選びますし、相手にしないのか、部屋に上がろうともしない。金にならない男ですよ。その日はちゃんと金を払ったので、よく覚えています」


「その日の雛菊の客は佐助だけか?」

「そんなのいちいち覚えていませんよ!」


「まぁそうだろうな」

 十日すぎての自害。あの日に何かあったにしても、ほとぼりが冷める頃。


「その後、佐助が来たか?」

「あまり覚えていませんが、無いと思います」


 彦左衛門は痛めた首をさすりながらも、女の首の傷が気になる。十日前に何かあったことは事実だ。それがきっかけで、女が死んだ。首を吊って?


 殺してやると走った。

 それほどに酷い仕打ちを受けた。それは何だ? 


 佐助は雛菊に何を言った?

 何故、それほどに怒り狂った?


 それにしても首が痛い。これでは後を向けるかどうか……

 銀次のほうを見てみるが、どうも首が回らぬ。


 合点がいかない。雛菊は気性が激しく、すぐ爆発するような女である。ちまちまと死ぬ準備などするか? いっそのこと衝動的に手首を切るほうがずっと納得がいく。

「首を吊った部屋を見せてもらおう」


「そんなの片付けてしまいましたよ」

 銀次はやられたと思った。

「調べが終わってねぇのに? まだ客の入る時間じゃねぇだろ?」


 彦左衛門は店主を睨む。

「噂になるか、ならないかは今後の調べ次第だ。もっと大きな噂が流れてもいいなら、俺は帰る」


 銀次が店主に耳打ちする。

「ここで商売続けたければ、身の程を弁えろ」


 店主は渋い顔だ。

「本部屋の梁に腰紐括っただけです。実際は半尺も浮いていません――うちだって気持ち悪いんですよ。自害なんだしこれで良いでしょう」


「偉くなったものだな。誰が自害だと決めた」

 彦左衛門は店主の胸倉をぐいと掴み、持ち上げた。懐が重い。財布にはごっそり小判が入っているようだ。

「ずいぶんと持ち歩いているじゃねぇか」


 店主は大袈裟に笑った。

「まさか――仕度金の支払いで……」


「山吹で花魁道中でもするつもりか? 正直に話すつもりがないなら別にそれでも良い。ただしこの店は詮議のため差し止めにする。ひと月……いや、ふた月ほど待ってもらおうか?」


 彦左衛門が冷徹な笑いで見下ろす。


 店主の笑い顔が真っ青になり、地面に土下座した。

「そ、それだけはご勘弁ください!」


「金を隠す余裕と時間がなかったのだろう? 部屋の片づけを優先させ、一緒に寝た客から金を搾り取るのに時間がかかるからな? 金を出した客はどこにいる」


 大きく丸い身体を小さくして店主は言った。

「もういません。頭巾ですから顔も素性もわかりません」


 銀次が十手を片手に脅す。

「ちゃんと話せ!」


「客が言うには、目覚めたら、女が首を吊っていたそうです。私たちは男の悲鳴で駆け付けたんです。ひどく混乱されており、身分を明かせぬので、捕り手を呼ぶのは困る。この金で何とか穏便にと頼まれました。私どもも、一夜限りの付き合いで運の悪い客だと、つい仏こころが。一応は引きとめましたよ? けれど逃げ足も早うございました」


 彦左衛門は長く鼻息をもらし、言った。

「雛菊はそいつに殺された」

「旦那、やっぱりそうですよね!」

 勘が当たり、銀次は陰でがっちり拳を握る。


 彦左衛門は雛菊の首を指差した。

「吊るされているのだから首の痕はやや上方。いくらか斜めになる。しかし痕は真横で、力が加えられた方向が違う。しかも位置が低いのだよ。抵抗した様子はみられないが、手首に痕がある」


 雛菊の手首はうす皮が剥け、小さな傷があった。銀次はアァと漏らした。


 ――寝床で掘られながら、天に召されちまったか。


 客が女郎を縛って遊ぶ。そういう性癖の客はいる。吉原でも、この界隈でしか許されないことだ。だから金がありながらも、こういう店を選ぶのだろう。

「雛菊は強気でしたから、懇願するのを楽しむつもりだったのでしょう」


 彦左衛門は納得がいかない。

 あのように激しく佐助を追いかけて、殺してやると言った。それから十日、雛菊は普段通りの生活を続け、今朝になって運悪く、性癖の悪い男の手にかかり、死んでしまったと?


 女郎だから客は選べない。

 しかし雛菊は慎重な女で、それが理由で遊郭をたらい回しにされたほど。


 客を選ぶ基準が、どこの誰であるかということなら、見知らぬ頭巾の男を選ぶ時点でおかしい。雛菊は頭巾の下の顔を知っていたのだろう。


 しかし佐助ではない。10日前、殺してやると叫んだのは雛菊だ。そういう相手と寝たりしないはず。雛菊は自害に見せかけて殺された。そして金で店主をまるめこもうとした。狡猾であり、計画的。正体をなにひとつ明かさないまま、雛菊殺しに成功した。



「……。詳しいことは俺ではなく下手人に聞け。これ以上調べるのは難しい。俺は帰る」


 いずれにしても追う術はない。不運な女だ。可哀想だが、手掛かりもない。彦左衛門は店主の財布から小判を三枚抜き取った。


「下手人を逃がした罪はこれでお咎め無しだな」


 彦左衛門は、銀次に一枚、そっと袖の下を渡す。

「あと頼むぜ」




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