(31)真相
「いよいよ全員が揃います。盛観ですなぁ……」
八重が現れ、ほとんどの花魁が揃った。広間の華やかさは圧巻で、八重の長年の経験の差が朝霧を希薄な存在に追いたてる。最上位の客である井筒屋の又吉と八重が仲睦まじく盃を取り交わしている。朝霧も躍起になって花田征四郎に取り入ろうとするが、こちらはおゆう一本槍の泣き上戸で相手にならない。
別の入り口が開き、おテツがにやりと笑う。
「これよりはどうかご内密に」
「来ましたね。噂の鬼子母天神」
清七は終始表情を崩さず、静かに微笑んでいる。
おテツがお蜀の手を引いて招き入れたが、二本の番傘で美貌が覆い隠されていた。
「もったいぶりますなぁ……」
長い廊下の端から徐々に近づいて、花魁が揃うなか、お蜀の席に鎮座した。
「江戸一の花魁、鬼子母天神。とくとご覧あれ!」
番傘が宙を舞う。
又吉がぽかんと口を開けた。
「これは?」
彦左衛門は瞬きもせず鬼子母天神を見つめた。
征四郎がふらふらと立ち上がった。
そして清七が丁寧に盃を膳に戻した。
「……おゆう」
死んだと思っていた征四郎には驚きで言葉も出ない。
おゆうの後ろに佇む男衆の中に玉吉もいた。征四郎がその事に気付くと腰の刀に手をかけた。
「下郎が! よくも俺のおゆうをかどわかしおって!」
彦左衛門は征四郎の腕をグイと掴んで半分鞘から抜けた刀を押し戻そうとする。若い征四郎の力に対抗して争いを収めるには力が要る。弦斎にやられた傷が痛んで脂汗が出た。
「話を――聞け!!」
彦左衛門は征四郎を捻り伏せた。息を整えて、周囲を見渡す。
「これで全員が揃ったな」
又吉は袖を噛んで憤慨した。たしかにおゆうも美女に違いないが、江戸一の美女を目の前に肩透かしを食らった。
「その娘が鬼子母天神なものか! お蜀はどうした!」
「そう怒りますな、又吉どの。これは鬼子母天神と会う前の、私の作った余興。先月起こった吉原大門の事件の真相を暴いてみせましょう」
「真相?」
彦左衛門が清七の前に立った。
「事の起こりは酉の市の朝。
江戸花火師、鍵屋清七が三女おゆうは花田征四郎殿から木彫りの毘沙門天を受け取る。その後花田殿は甲州へ旅立ったが、ある武士の姿と共に吉原におゆうがいたという目撃がある。
翌日の夕方、吉原の堀で骸があがった。町娘の恰好と髪をした女。顔は焼けて人相不明。そして木彫りの毘沙門天の根付が出てきた。その段階ではその骸はおゆうだと誰も疑わなかった」
又吉はきょろきょろと見た。
「おゆうって子は、この娘のことかい? 生きてるじゃないか」
「最初は騙された。次に木彫りの毘沙門天から花田殿を疑った。許婚で、浮気をされたとなれば武士が刀を抜くこともあろうかと。だが愛する者の顔を焼くのは理に反する」
「殺しは恨みを持った者が行ったということだな」
花田征四郎は腕を組んで聞いている。
「決定的だったのは、天誅の張り紙が母親の簪と共に鍵屋に刺さった時」
「そりゃぁ、天誅なんて恐ろしい。恨みの塊みたいなもんだなぁ」
又吉も頷く。
「動機が見つからなかった。大店のお嬢さんが吉原の堀で酷い仕打ちを受けて死ぬ理由なんてなぁ……。それにわざわざ形見の簪で、天誅の文字。吉原の外で動ける人物の仕業。そんな時御吉太夫が行方知れずという話をきいた。
越えに越えられぬ、それが吉原の堀だ。弦斎から桔梗の名が出た時、事件の匂いがした。酉の市の翌日、小春は弦斎に助けられた。あの時、会っていなければ確信することもなかった。俺の大切な友。清七、お前に出会わなければ死ぬこともなかった」
清七はしばらく黙っていた。
「根付が遺体から落ちたのは、やはり不自然でしたか?」
「まぁな。丹念に調べた後にしては雑な落とし方だ」
「どうにかして征四郎さまのせいにしたかったのでございます。詮議が恐ろしく、逃れたい気持ちもございました」
又吉はわなわなと清七を指で指した。
「人殺し?」
彦左衛門は軽く首を振った。
「清七、正直に話してくれぬか。このままでは死んだ御吉太夫が浮かばれぬ」
「太夫が!――今、御吉太夫と言ったな!」
又吉が膳を蹴って、四つん這いのまま清七に食ってかかった。今までにない真剣な瞳で清七の襟元を掴んだのである。
「おまえが殺したのか!」
彦左衛門は宥めたが、弱腰な又吉とは思えぬほどの形相であった。何より心を痛めていたのはおゆうであった。
「父上が?」
「はい。私が……」
清七が認めた瞬間、大勢の花魁たちがざわつきはじめた。
「皆、静かに。――順を追おう。まず、おゆう。酉の市に行ったな? 下女のお甲から聞いたぞ」
「はい。お母上になられる方がどのような方なのか、不安でたまらなかったのでございます。ちょうど酉の市ならば女子でも中に入れると聞き、良い機会だと思いました」
「ではお前と一緒にいた武士とは弦斎か」
「父と近しい弦斎さまなら母になる方をご存知かと。それにおなご一人ではさすがに。お吉さんは私の母とまったく違う世界で生きてきた方ございます。
逢ってみて、男を誘う目が汚らわしいと……。恥ずかしながら、その時の私は世間のことを何一つ分かっておりませんでした。つい失礼なことを言ってしまいました。おかげでたっぷり水やお酒をかけられて、乾くまでの着替えを戴きました。
さすがに吉原の装いでは帰ることもできず、弦斎さまのところに匿われておりました。私は玉吉さんと結ばれたくて、家に帰るのを拒みました。一緒に暮らすようになって、長屋で奥方さまがたの苦労話を聞き、お吉さんのことを後悔した次第です」
又吉がおゆうを睨んだ。
「この小娘可愛さに、鍵屋清七! なんてことを!」
清七の堂々とした巨体がひとまわり小さく見えた。しばらく沈黙を重ねていたが、おもむろに三歩下がり、畳に頭をこすりつけた。
「私がすべて……悪ぅございました!」
「お父上さま……」
おゆうはへなへなと座りこんだ。後ろで控えていた玉吉が訴える。
「私も同罪でございます。天誅の張り紙を考えたのは私でございます。旦那さまに疑いがかかるのが恐ろしくて。それに私はお嬢さまが死んだことになっているのを内緒にしておりました」
玉吉はすがるような目で彦左衛門に訴えかけている。
「悪を庇えば悪にそまる。そのようなこと清七は望んでおらぬ」
清七のはおもむろに周囲を見据えた。
「玉吉に何も話しておりませぬ。勝手に察したことで、ただの悪戯にございます。天誅の張り紙は罪にはなりますまい。おゆうには絶対に人目につくなと申し付けておいただけにございます」
「清七の望みはおゆうと玉吉が仲良く暮らすことだったのだろう?」
彦左衛門の言葉におゆうは両手で顔を覆った。娘の心に届くには遅すぎた父親の愛情だ。
「自由にしてやりたかったのでございます。かなり前から、おゆうが神隠しにでも遭えばと。玉吉もおゆうのことを想って番頭として長い間通ってくれた。このあたりで店を持たせてやって、幸せに暮してほしかった。
長女は重い病、次女は借金を棒引きの代わりに嫁に出し、末娘のおゆうまでも花田家に嫁がせなければならない。鍵屋は七代目で途絶えます。ご先祖様に申し訳が立ちませぬ。それは耐えられぬ。
――訳あって、私がお吉太夫を手にかけました。その時、おゆうを死んだことにしたのでございます」
「なぜ、お吉を?」
彦左衛門の問いに清七はしばらく黙っていた。
「お吉は私の馴染みです。岡上げし、妻にする約束でした。ですが貯めた小判を巻き取られたうえ、岡上げを断られたのでございます」
「岡上げを断った?」
「私でなくとも岡上げされる資金は充分に調達できると言われ――騙されついカッとなり、首を締めました」
彦左衛門は身じろぎもせず清七を見つめていた。
「堀に投げ入れたのはお前か?」
「はい。この手で殺し、顔を焼き、堀へ投げ入れました。おゆうだと思わせるためには仕方がありませんでした」
又吉は憤慨した。
「嘘をつくな! こいつ、嘘をついているぞ。馴染みで岡上げ? ふざけるな。親しいなら御吉太夫をお吉と呼んだりしない」
彦左衛門は目を瞑り、伸びた髭をさすって考えた。
「分かっておるし、腑に落ちぬ。
骸の髪を町娘風に結ったのは誰だ。髪結いの経験のある者でなければそれはできぬ。どうやって堀に落とした? 町娘といえども、大門をくぐって亡骸を外へ出せるものか――正直に話せ。誰を庇っている」
「いいえ。滅相もない!」
「ならば、どこでどうやって殺したのか。答えてみよ」
清七はしばらく俯いていた。告白するつもりか、それとも答えられないのか。正座し膝を握りしめた手が震えていた。
「知らぬことゆえ、簡単には答えられぬだろうな」
おゆうは目を見開き、救いを求めるような目で彦左衛門を見た。
「父が殺したのではないのですね?」
「殺してはおらぬ。だが手伝ったのは事実。おゆうに似せようと立案し、骸を堀に投げ捨てた。
御吉太夫の本部屋を調べた。三階の格子窓の下は吉原の堀だ。捨てられた証拠に部屋の格子の二本だけ、外した傷が残っておった」
おテツが難しい顔をした。
「でも、窓から堀まで投げ落とすにしても、重いし、遠いんじゃないのかい?」
「その格子、意外に太くて長いのだ。二本あると、近くの庭木まで橋渡しできる。足場ができるのだよ。少々命がけかもしれんが、花火師なら足場ぐらい何とかなるだろう。あとは庭木に布を巡らせ、亡骸を振り子の要領で、ぶうん、ドボンだ」
清七は頭を下げた。おテツは面倒そうに言った。
「そこまで分かっていながら、なぜ清七を番所で取り調べしなかったんだい? そっちのほうが手っ取り早いじゃないか」
「女の為に人生を棒に振れる男なら、牢屋に入って罪を全部自分でかぶるだろう。それでは納得できん。お吉を殺した女は炙り出さなければ出てこない。だからここに全員揃えた」
おテツはつまらなそうに腕を組んだ。
「じゃあ誰が御吉太夫を殺したというんだい?」
「御吉太夫は何年前にここに来た?」
「だいだい三年前くらいかねぇ」
「おゆう、母が亡くなって何年たつ?」
「七年です」
「弦斎の話ではその女郎とは清七の妻が病に伏せていたころからの付き合いだそうだ。つまり清七が馴染みにしている女郎とはお吉ではない。それにお蜀の馴染みならば、おテツが知らないわけないだろうし、金額も半端のない額になる。世間にも知れ渡るだろうしな」
おゆうは戸惑った。
「でも父はお吉と……」
「御吉太夫とお吉は別人だ。清七が言ったのは遊郭に入る前の、女郎の昔の名前だ。母親にするというのに、娘に花魁の名前で教えるものか。
しかしその花魁にとっては、さぞかし羨ましくも恨みも深かろう。同じ名前でかたやお蜀となり華々しい活躍ぶり。一方は桔梗楼のこの広間で、お蜀を見上げる立場だ。今、この中に下手人が居る」
花魁たちが互いに顔を見合わせている。互いに互いを疑う空気が流れている。
「全員が揃っている今、清七の馴染みの女の顔を知っているのは二人。一人は清七だが、簡単には話してくれまい。だが、おゆう、お主の喧嘩した相手じゃ。顔は憶えておろう? 長年勤め上げて、もうすぐ岡上げの女。父親を愛に狂わせた女だ」
おゆうはぐるりと辺りを見回した。
「小久保さま」
おゆうが指したのは朝霧であった。
「あたしじゃ無いよ!」
朝霧はすっとんきょうな声で立ち上がった。朝霧が桔梗楼に来て日が浅いのは周知の事実である。
「この方の後におられた方です」
「おテツ!」
彦左衛門の怒号が静けさを打ち消した。
だから全員を揃えておけといったのに、何という不始末。これでは小春がせっかく設けてくれた宴が台無しになってしまう。桔梗楼の花魁を全員揃えるのに幾らかかっていると思うのだ。
すべての責任はおテツにある。感じているからこそ、おテツの顔が強ばっていた。
「朝霧……あの娘は?」
朝霧の喉はカラカラに乾いていた。自分の悪巧みが露見しないよう必死に考えた。鬼子母天神を陥れるために席を立たせたとは言えない。
「鬼子母天神が『鍵屋を取る』なんて言うからだよ。そういや様子が変だった。そういやさっき八重のモノを盗んでた」
「あちきの櫛!」
「誰なのだ?」
彦左衛門は焦らさせて腹が立った。
「――お絹」
おテツの唸るような声が響いた。清七は虚ろ気な目で宙を仰いだ。
「また同じ過ちを繰り返すのか?」
もはや隠し通せない。それでも守りたかった。せめて罪を軽くしてやりたかっのに。清七の呟きに、おテツがカン高い声で叫んだ。
「過ちって、あんた!」
おろおろと二、三歩下がり、おテツは彦左衛門の袖を引っ張った。
「――何突っ立ってるんだい! 助けにいかないと!」
「誰をです? お絹以外の女郎はここに全員居る。あとはお絹を捕まえればいいだけだ」
「このお馬鹿。鬼子母天神。――小春だよ!」
彦左衛門のよく回転していた思考が真っ白になった。
「嘘だ」
まさか。否、信じない。おテツの言う事など。
本当は疑ってもいた。まだ認めたくなかった。
小春は身持ちの堅い芸妓だ。まだ肌の火照りも色褪せぬ。愛しあったではないか。……あのように激しく。
激しく。まるで最期だといわんばかり。
覚悟を決めていた?
「嘘をつく理由なんてあるもんか! 小春はあんたに手柄を立ててもらいたい一心で身を売っちまったんだよ。早く地獄から引き上げておやり! ――でないと本当に冥土行きだよ!」
おテツは彦左衛門の手を引いて廊下へと促した。
「小春が死んでもいいのかい!」
彦左衛門はぶるっと首を横に振った。
「花田殿、清七をお頼み申す」




