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吉原大門事件帳ー小春日和ー  作者: WAKICHI
江戸の花火 第六幕 吉原 花魁道中
30/57

(30)桔梗楼の宴

 


 三味線や小太鼓の音が響いている。桔梗楼の大広間に数人の客がいた。


 一段高くなった上座に席が二つ。ひとつはお蜀が来るべく空になっていて、隣は又吉である。花魁道中で迎えに来た朝霧は不機嫌そうな顔で、又吉の隣で煙草をくゆらせている。


 料理は大皿に盛ってあり、手前に取り皿と盃が二つ置いてある。次々と花魁が入っては盃を取り、終わった順に部屋の端に控えて全員が終わるのを待つ。端女郎から始まり新造、花魁まで見定められている。


 桔梗楼に小春が招いた客は花田征四郎と鍵屋清七である。

 武士と商人が宴を共にするなど、金がらみの案件以外では考えられぬことだが、ほぼ初見である三人を仲介するのが彦左衛門は上手かった。


 征四郎の前では武士としての顔を見せ、清七の前では友として労わる。又吉の前では芸妓に使われてしまうような女好きの顔をする。一番若い又吉は金にものを言わせて上座で上機嫌である。


「こんなに銭を使って、金をばら撒いているようにみえるかもしれませんがね、ちっとも無駄ではないのですよ。女遊びは心と懐に余裕がないとできません。井筒屋の屋号を守るためには抜くところは抜きませんとなぁ!」


 あまり働いていないであろう又吉が豪語するのは無視するとして、彦左衛門は小声で囁く。


「私はね、花火で江戸の夜を華やかに飾りたいんですよ」

「河原でちょろちょろと? 所詮、屋形船で見る火遊びでしょう?」


「すごいものを鍵屋さんが持っていますよ。あそこの親方が新作で大玉を作っております。驚きしかありませんでしたよ。江戸の夜空いっぱいに、大輪の菊の花がパッと咲いて、散っていく。それが花魁のようでね。美しく、儚い。うたかたの夢ですよ。


 あまりに大きいものだから、江戸城まで見えることでしょう。あの美しい大筒は誰が上げたのか。お殿様の声がかかりますよ。庶民にも大人気になる。そこで井筒屋の名があがる!」


 又吉の眼が輝いた。

「でかした! 小春め。そういえば小春は遅いな。あやつの設けた宴ではないか!」


「小春はあとから参ります。新しいお蜀をどうしても井筒屋さんに紹介したいのでしょう」

「噂の鬼子母天神か!」


 朝霧はそれが気に食わない。

「旦那さん、あちきのはじめての花魁道中。どうでありんした?」


「御吉太夫とでは比にならんわ。できれば鬼子母天神に迎えにきてもらいたかった!」


 彦左衛門の眉が動く。

「御吉太夫の馴染みだったのですよね」


「御吉の吉は俺の吉。最初は加代という名前だった。それをお蜀になりたい一心であいつは名を捨て、御吉太夫になった。いい女でした」


 又吉は首をひねりながら朝霧と盃を交わす。

「お前はどうも色香が足りない。綺麗なだけなら、こうして花魁を並べれば良いではないか。一輪の高嶺の花が欲しいのだよ。突っ張ってるだけでは客は馴染みませんよ。あの花魁の方がまだマシですよ」


 又吉が言ったのは清七に酌をするお絹の姿だ。

「愛しあう二人。そうは見えんかね?」


 昔は自分もそうだった。それが又吉の正直な気持ちなのだろう。

 花田征四郎は花魁に飲めと酒を注ぎながら、清七の動向を窺っている。


 


 遠くから賑やかな三味線とお囃子と共に笑い声が聞こえる。

 小春は一番奥の部屋、うす暗がりの部屋の隅にいた。蝋燭が焼けてじりりと音がするほど静かだ。


 じっと目を閉じ、時折血のような紅の唇で煙管を吸い、ため息まじりの煙を吐く。煙管の先が震えていた。


 ――あぁ、勇気が要る。お蜀として、彼の前に立つ時が来た。曝け出すのが怖い。もし、これで事件のことが何も掴めなかったら……。


 その可能性は充分にある。彦左衛門は志津のもの。小春の果ては女郎か、陸奥か。


「――強く、心を強く」  

 彦左衛門はそう言ったのだ。


 あの最初の一夜。男は客で、身体は商売道具。本音で男なんて信じられない。そう叫んだ夜だった。

 彦左衛門が初めて小春を抱いた。すべてを受け入れて、心の底から好きだと言ってくれた。小春の口からはとても返すことのできない言葉。だからこうして身体を張って応える。


 先の事はわからない。ただ、彦左衛門を愛すればこそ。粘り強く、ただ彼のために艶やかに着飾ろう。そして燃え尽きるまで……。 


 襖が開いた。髪結い女が深くおじきをしていた。

「井筒屋さまから櫛を戴き、つけて欲しいとのことにございます」


 襟が汚れぬように綿布を巻いた。その輪が一気に首を締まる。

「――っ!」


 ぐいぐいと締め付けられ、宙を掻き毟り、もがいた手が後ろに伸びる。

「……く」


「死んでしまえ! 邪魔する奴はみんな死ね!」

 冷静だったなら気づけたこと。戴き物ならば宴の席で披露するのが通例だ。

 

 ――ここで終わるわけにはいかない。


 意識が朦朧としてきた。胸が潰れそうに苦しい。もう、何も分からなくなってきた。


 

 こんな志なかばで……ひこさま! 



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